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第四章 円卓の影
一章-3
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俺は日が暮れるまで、オントルーマの街をぶらぶらとしていた。
余分な金銭は持って来てないが、幸いにして商談が流れて仕入れのための資金は手付かずだ。
俺はオープンテラスというのか、店の外にテーブルや椅子のある店で早めの夕食を食べることにした。
日が暮れ始めてから、俺はティレスさんの屋敷の裏手に廻った。屋敷や家の隙間に身を滑らすと、素早く塀を乗り越えた。
庭には人影もなく、窓から誰かが見ている様子もない。
俺は素早く裏口に近寄ると、ドアに耳を寄せた。もうすぐ夕飯の時間――早いところでは、もう食事中かもしれない。
だけど……裏口って台所や厨房が近いことが多いと思うんだけどな。耳を澄ましても料理とかしてる音が、まったく聞こえない。
さて……と。
今日は工具や道具の類いは持って来てない。となると……潜入はちょいと面倒だ。
裏口のドアの錠前は、数十年前に流行った型だ。なんて名前だったっけな……錠前は大きめのヤツだから、針金とかでなんとかできる代物じゃない。
日が落ちかけているのに、照明すら点いていない。俺は屋敷の窓を見回したが、開いている窓は屋根裏部屋の窓だけだ。
俺は窓枠に手を掛けると、窓を伝うように壁を登り始めた。暗くなってるからいいようなものの、昼間なら目立って仕方がない。
一応、窓から中の様子を見てから登っているが、人気のある部屋はない。屋根裏部屋の窓枠に手を掛けたときには、俺の腕力は限界に近かった。
いや、これ、マジでシンドイ。
屋根裏部屋に身体を滑り込ませた俺は、数分ほど腕の筋肉をほぐしてから、静かに階段を降り始めた。
階段の下は倉庫代わりにしているのだろうか、左右の壁には棚が並んでいた。俺は棚を開けながら、ヘラと金属の棒を取り出した。
少しだけ拝借……して、まずは目の前にあるドアの鍵を開けた。
ドアを薄く開けて周囲の気配を確認してから、俺は廊下に出た。物音や声を確認しながら、部屋を順番に確認していく。
四つ目の部屋で、俺は呻き声を聞いた。男女のものみたいだけど、どんな状況なんだろう。部屋に鍵は――かかってない。
俺がゆっくりとドアを開けると、ここは寝室らしくベッドが二つ並んでいた。
薄暗い室内にあるベッドには、中年の男女が寝ていたが――厚手のシーツごとロープで縛られていた。
俺がベッドに近寄って、まずは男性に声を掛けてみた。だけど、かなり衰弱しているらしくて、喘ぐような呼吸を繰り返しているだけだ。
多分だけど、数日は水や食事を与えられていないようだ。
縄を解いて、医者を呼んで――と考えているとき、ガランが話しかけてきた。
〝トト――近くに幻獣がいる〟
「なんだって? どこに――」
俺が周囲を見回すと、ベッドの横にある棚の上に、黒曜石が置いてあった。もしかして――と、俺が手を伸ばした瞬間、黒曜石から小さな人のような影が現れた。
牙のある豚のような頭部に、体毛のない身体はどこか類人猿のようだ。
〝オークか〟
ガランの声を聞きながら、俺は黒曜石を掴むと部屋の隅に投げた。ティアマトから聞いた話では、瀕死の人間なら身体を乗っ取ることができるらしい。
乗っ取られていないということは、この男女はまだ、そこまで酷い容体ではなさそうだ。
女性の側に置かれていた、もう一つの黒曜石を部屋の隅に投げた直後、二つの黒曜石から甲高い鳴き声が響いた。
〝トト――仲間を呼んだぞ。気をつけろ〟
ガランの忠告が聞こえてきた直後、階下から足音が聞こえてきた。
俺は身構えながら、ドアの横に移動した。
「ガラン、オークってどんな幻獣で、特殊な力とかある?」
〝集団で生息する以外に特徴のない、糧だ〟
「……糧?」
〝糧だな〟
……まあ、考察云々は後回し。
特殊な能力がないなら、肉弾戦でなんとかなる。ドアの外まで近づいてきていた足音に、俺は姿勢を低くしながら息を顰めた。
ドアノブが回り、勢いよくドアが外側に開いた。
ギメラン、ダラ、そしてダリヤの順に部屋に入ってきた。三人とも――か。あの声を認識できるということは、三人ともオークが乗っ取っている身体ってことだ。
なら――悪いが、容赦はしない。
俺は加減に気をつけながら、ダリヤの延髄に左脚を軸にした、真っ直ぐな蹴りを放った。
軽い身体はあっけなく吹っ飛び、前にいるダラの足に突っ込んだ。背後から予期せぬ衝撃を受けたダラは、なんの抵抗も出来ずに倒れた。
即座に駆け出した俺は、ダラの背中を踏みつけながら、振り返ったばかりのギメランの股ぐらに、全体重を乗せた蹴りをお見舞いした。
振り上げた両腕を勢いよく振り下ろすと同時に、蹴りつけた一撃を受け、ギメランは腹と股を手で押さえながら蹲った。
俺が三人を見回していると、ダラが立ち上がろうとしていた。俺はその首筋を狙って、威力を抑えた回し蹴りを喰らわせた。
「さて……と」
俺はベッドの男女を縛っているロープを解くと、ギメランたちを拘束した。警備隊を――と思ったが、まずは医者だし、ティレスさんたちの様子も気になる。
俺は先ず、ティレス夫妻と、ベッドの男女の子どもを探すことにした。
右隣の部屋には、五、六歳くらいの男の子が。一階の奥の部屋では、ティレス夫妻がベッドに拘束されていた。
三人とも酷く衰弱していたが、幻獣に乗っ取られているかどうかまでは、わからなかった。念のため、黒曜石だけは回収したけど。
計五つの黒曜石を回収したあと、俺は医者を呼ぶために玄関へと向かった。この屋敷は構造上、居間を通らないと玄関には行けないみたいだ。
俺は急ぐあまり、普段ならしているはずの警戒を怠った。ドアの隙間から漏れる光を気にすることなく、無造作に居間のドアを開けてしまった。
テーブルの上にある四つの燭台に灯された火――それが視界に飛び込んできた瞬間、俺の思考は真っ白になった。
前世で死んだときの光景が、蘇る。訳の分からないことを叫んだ気がするが、そんなことも意識の外だ。
この一家の衰弱は酷いから、急いで医者を呼んでこないといけないのに。視線を燭台の火で埋め尽くされたまま、俺は身動き出来なくなっていた。
フッと視界が暗くなったのは、どれだけの時間が経ってからだろう。
柔らかくて温かいものが、俺の身体を包み込んでいた。
「――トト? もう大丈夫ですからね」
語りかけ続けている女性の柔らかい声を頼りに、俺は冷静さを取り戻していった。
荒くなった息を整え、意識して瞬きをする。俺の目を覆い隠している手から視線を逸らすと、すぐ側にクリス嬢の顔があった。
「な――んで?」
「潜入するのなら、夜だと思って。こうなる予感がしてましたし。トト――あなたは、人の命が関わると無茶をしますから……あまり、心配をさせないで下さいね」
クリス嬢が頬を撫でてきたのをそのままに、俺は視線を左右に動かした。燭台は見ないようにしながら、だけど。
「……えっと、エイヴだけ、帰したんですか?」
「エイヴには、警備隊とお医者様を呼んで来るようにお願いしてます」
「エイヴ……一人で?」
「ええ。あの子は、思っている以上に強く聡い子ですよ。少しのあいだとはいえ、たった一人で生きていたんですから」
クリス嬢の返答を聞きながら、俺は目を閉じていた。
「……どうやって、入ったんです?」
「玄関が開いてましたけれど……気づかなかったんですか?」
「ええ。まったく」
あの壁をよじ登った苦労は、なんだったんだろう? 潜入ということに気を囚われ過ぎてたな、これは。
俺が落ち込んでいると、クリス嬢の身体が離れた。
「家の方々の様子は見ましたけれど。胃に優しいご飯と、お湯の準備をしましょう。とにかく、水を飲ましたほうがいいでしょうし」
「水……あの状態で、飲ませていいんですか?」
「口の中を湿らす程度から、ですよ。そのときは手伝って下さいね」
「あ、はい……それは、まあ」
まだ、トラウマから回復しきってない俺は、息を吐きながら返答するだけで、精一杯だ。
とにかく、もう俺のできることは限られている。這うように廊下に出た俺は、台所へといくクリス嬢の背中を見送った。
「ガラン、一つ訊いても良い?」
〝どうした?〟
「オークのことを糧って言ってたけど……人間を見て、美味しそうって思ったことある?」
〝ふむ……言えることは、人間とオークは異なる存在ということだ〟
「あー……まあ、そりゃそうかもだけど」
露骨に話を逸らしてきたな……答えたくないのか、答えられないのか。どちらにしても、なんだ。
……ちょっと悲しいよ、ガラン。
俺は少し遠い目をしながら、少なくとも俺には食欲を向けないで欲しいな――ということを願った。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
皆様、台風は大丈夫でしょうか? 9月18日現在、雨風は大したことないです。ただ、風はそこそこ強いのか、さっきベランダの物干し竿が落ちました。
固定してあった紐も切れてて……結束バンドで固定しなおしてました。
被害が少ないことを祈るばかりです。とりあえず現状としては、物干し竿が少し凹みました。現場からの被害状況は以上です。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
次回もよろしくお願いします!
応援ありがとうございます!
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