青空と黒い空

わたなべ ゆたか

文字の大きさ
2 / 6

しおりを挟む
   1

「ばあちゃんなんか、嫌いだ」

 日本海に浮かぶ隠岐諸島にある、島後にあたるN町。その、西側の島にある港の駐車場にいた少年が、誰にも聞こえない声で呟いた。
 短く切り揃えられた黒髪に、少し気の弱そうな顔。赤色で無地のTシャツにハーフパンツ、それにスニーカーを履いている。
 少年は海風に乗ってきた濃い磯の臭いに顔を顰めながら、水色のレンタカーのトランクを開けた。
 数枚の画用紙を挟んだ画板と、絵の具のセットを取り出した少年は、お茶や水の入った二本の水筒と一緒に肩から下げた。
 水平線の彼方まで広がる夏の青い空を見上げた少年は、顔を曇らせながら、観光客がまばらに往来する歩道へと出た。

「青空」

 レンタカーの助手席から顔を出した母親が、少年を呼び止めた。
 武田青空――それが、少年の名前だった。現在は、小学三年生である。
 青空が振り返ると、母親は少し不機嫌そうな表情を崩さぬまま、言い聞かせるように告げた。

「遅くならないでね。何かあったら連絡するから、スマホの電源は切らない。遅くなるようなら、連絡をすること。いいね?」

「……わかってるよ」

 青空は少し不機嫌そうに答えた。
 先ほどまで別れて行動することについて、母親と言い合いをしたばかりだ。最終的に折り合いをつけたものの、双方とも未だ興奮が冷めてなかった。
 青空の経験上、こういう状況になったら、次の日までは冷戦が続く。だからといって食事が出なくなることはないが、地味に夕食のおかずが減っていることが多かった。

(今日は宿のご飯だから、その心配はないと思うけど……)

 それから一度も母親のほうを振り返らないまま、青空は信号機がまったく無い道路の手前に立って、左右を見回した。
 N町は二つの島が一本の道路で繋がった町だが、信号機はたった一カ所、小学校の前にしかない。
 島民しか居ない閑散期はともかく、夏休みの間は必然的にスピードを出す車が増えている。そのほとんどは、観光客が運転するレンタカーだ。
 本土でも都市部に住んでいる青空は、こういったスピードを出す車には慣れていた。車の往来が切れるタイミングを見計らって、一気に反対側の歩道へと渡っていった。

「あ、こっちだとまた墓まで戻っちゃうかな……」

 先ほどまで居た共同墓地のことを思い出し、青空は足を止めた。
 青空が両親に連れられてN町に来たのは、観光のためではない。随分と前に他界した、祖母の墓参りのためだった。
 祖母は青空が産まれてまもなく他界したので、思い出になるような記憶はない。しかし毎年、貴重な夏休みに往復で三日間もかけて、離島であるN町まで来るのは苦痛でしかなかった。

 青空はふと、絵の具のセットを開けた。
 使いかけの絵の具が並ぶ中、青色の絵の具が収まる場所だけが、ぽっかりと空いていた。

「……ばあちゃんなんか嫌いだ」

 小学校での記憶を消すように頭を振ったあと、絵の具のセットを閉じた青空はトボトボと歩き始めた。
 晩ご飯までに、夏休みの宿題である写生を済ませるつもりだった。近場で理想的な場所を見つけようと、青空は
辺りを見回した。

(どこで描こうかな……青色がないから、海とかは描けないし)

 青空が歩きながら写生場所を探していたとき、歩道の縁に立っていた少女が、ずっと自分を見ていることに気がついた。
 青空は、つい少女をジッと見つめてしまった。

 年の頃は青空と同じか、少し下くらい。可愛らしい顔立ちに大きな黒い瞳、黒髪は市松人形のような髪型で、黒いリボンをしていた。肌は透き通るような白色で、足元は足首までの白いソックスに、黒い靴を履いていた。
 美少女といっても差し支えのない容姿だが、青空の気を引いたのは、そこではない。
 少女は真夏だというのに、フリルのある黒い長袖のワンピースを着ていたのだ。青空は今日、気温が三十五度を超えたというテレビのニュースを見たばかりだ。
 そんな炎天下の中で、黒い長袖の服を着ていることが、青空には信じられなかった。

 なんで見知らぬ少女が自分を見ているのか。気にはなったが、青空は初対面の少女に話しかける気になれず――そして、話しかける勇気もなく――、そのまま通り過ぎようとした。

 しかし少女は青空が近づくと、にこっと微笑んだ。

「ねえ。君、この島の子じゃないよね? なにをしているの?」

 突然に話しかけられて、青空はビクッと身体を強ばらせた。
 恐る恐るといった表情で振り返ると、にこにこと微笑む少女と目が合い、ドキドキというより、警戒心でビクビクとしながら、画板を少しだけ上に挙げた。

「夏休みの宿題。写生する場所を探してるんだけど……」

「ふぅん」

 少女は意味ありげに微笑むと、青空に顔を寄せた。吸い込まれそうな黒い瞳に見つめられると、頭の芯から思考が鈍っていく――青空はそんな感覚に気づきながらも、目を背けることができなかった。

「絵を描くなら、良い場所を知ってるよ。あたしの秘密基地なんだけど。どう? 興味あるでしょ」

「別に……秘密基地で盛り上がるほど、子どもじゃないし」

「な――自分だって子どものくせに。なんか生意気よ」

 唇を少し尖らせた少女に、青空は力なく言い返した。

「生意気って……そっちのほうが、年下に見えるけど……」

「そんなの関係ないのよ。女の子は、同年代の男の子よりは大人だってことを主張していいのよ。知らないの?」

「なにそれ」

 随分と理不尽なことを言わたが、青空は怒るよりも呆れてしまった。

 そんな態度をまるで意に介することなく、少女は両手を後ろ手に組みながら、青空と目を合わせた。

「あたしの秘密の場所に行こうよ。ね?」

 この誘いを、青空は即座に断ろうとした。しかし、少女の瞳に虹色の光が浮かんだのを見た瞬間、青空は思考が真っ白になった。

(あれ――?)

 と思うが早いか、まるで自分の意思とは別の力によって操られたように、青空は少女に頷いていた。

「それじゃあ、決定ね」

 少女は青空の手を取ろうと右手を伸ばしかけ――しかし、すぐに引っ込めた。そして笑みを浮かべたまま踵を返すと、「こっちよ」と手招きをした。
 青空は頷きながら、溜息を吐いた。

(なんでだろう……面倒なだけなのに)

 しばらく前を歩く少女についていった青空だったが、先ほど渡った道路が見えなくなってくると、流石に不安を感じ始めた。

「あの……さ。そこって遠いの?」

「んー。ちょっと歩くかな。なんで?」

「だって、もう三時半を過ぎてるし……」

 船でN町に着いたのが、午後一時半くらい。遅い昼食を終えてからレンタカーで墓参りに行き、両親と別れたときには三時を過ぎていた。

「遅くなると、怒られちゃうから」

「大丈夫よ。六時過ぎても明るいんだし。もう船もないから、泊まりでしょ?」

「それは……そうだけど」

 語尾を濁すように青空が答えると、少女はチラッと空を見上げてから「しかたないなぁ」という顔をした。

「それじゃあ、急ぎましょ。近道するけど、いいよね?」

「うん」

 青空が頷くと、少女は民家と民家のあいだにある坂道を登り始めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

地味な薬草師だった俺が、実は村の生命線でした

有賀冬馬
ファンタジー
恋人に裏切られ、村を追い出された青年エド。彼の地味な仕事は誰にも評価されず、ただの「役立たず」として切り捨てられた。だが、それは間違いだった。旅の魔術師エリーゼと出会った彼は、自分の能力が秘めていた真の価値を知る。魔術と薬草を組み合わせた彼の秘薬は、やがて王国を救うほどの力となり、エドは英雄として名を馳せていく。そして、彼が去った村は、彼がいた頃には気づかなかった「地味な薬」の恩恵を失い、静かに破滅へと向かっていくのだった。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

異世界転生してしまった。どうせ死ぬのに。

あんど もあ
ファンタジー
好きな人と結婚して初めてのクリスマスに事故で亡くなった私。異世界に転生したけど、どうせ死ぬなら幸せになんてなりたくない。そう思って生きてきたのだけど……。

聖女を追放した国は、私が祈らなくなった理由を最後まで知りませんでした

藤原遊
ファンタジー
この国では、人の悪意や欲望、嘘が積み重なると 土地を蝕む邪気となって現れる。 それを祈りによって浄化してきたのが、聖女である私だった。 派手な奇跡は起こらない。 けれど、私が祈るたびに国は荒廃を免れてきた。 ――その役目を、誰一人として理解しないまま。 奇跡が少なくなった。 役に立たない聖女はいらない。 そう言われ、私は静かに国を追放された。 もう、祈る理由はない。 邪気を生み出す原因に目を向けず、 後始末だけを押し付ける国を守る理由も。 聖女がいなくなった国で、 少しずつ異変が起こり始める。 けれど彼らは、最後まで気づかなかった。 私がなぜ祈らなくなったのかを。

俺の伯爵家大掃除

satomi
ファンタジー
伯爵夫人が亡くなり、後妻が連れ子を連れて伯爵家に来た。俺、コーは連れ子も可愛い弟として受け入れていた。しかし、伯爵が亡くなると後妻が大きい顔をするようになった。さらに俺も虐げられるようになったし、可愛がっていた連れ子すら大きな顔をするようになった。 弟は本当に俺と血がつながっているのだろうか?など、学園で同学年にいらっしゃる殿下に相談してみると… というお話です。

処理中です...