最凶と呼ばれる音声使いに転生したけど、戦いとか面倒だから厨房馬車(キッチンカー)で生計をたてます

わたなべ ゆたか

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第三章『不条理な十日間~闇に潜む赤い十文字』

一章-2

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   2

 夜明けを知らせる鐘の音が、街に響き渡った。祖父の屋敷に行く二度目の鐘は、およそ三時間後。街で公務を始めることを報せる鐘だ。
 第一の鐘で目を覚ました俺は、いつもの馬車の中で起きあがった。ああ、気が重い。祖父の家に行くというだけで、寝起きから溜息が出てしまう。
 のろのろと起きあがると、俺は丁寧に仕舞い込んでいた上質な衣服を取り出し、着替え始めた。
 慣れない絹や綿の素材に違和感を覚えながら着替え終えると、俺は借金返済用の革袋を確認した。
 あとは、二度目の鐘の鳴る時間を待つばかりだ。祖父の屋敷へ行く以上、午前中の商売は諦めるしかない。
 遠くから、アリオナさんが商売を始める声が聞こえてきた。隊商のみんなは、商売と買い出し、半々くらいの予定だったはずだ。
 商売をしなくちゃいけないのに――胸中から湧き上がる義務感と習慣、そして責任感に、商売をしたいという渇望に耐えながら、俺は予定の時間が来るのを待ち続けた。
 日差しがそこそこ高くなってきたころ、ユタさんが幌から馬車の中を覗き込んできた。


「クラネス君。そろそろ行くわよ」


「……お願いします」


 俺の返事にユタさんが頷いてから、十秒ほどで馬車はゆっくりと動き出した。
 商人が集う通りを過ぎると、十字路に差し掛かる。そこから右に曲がった道を真っ直ぐに行けば、領主の住む屋敷だ。
 馬車は俺の記憶通りに進み、やがて止まった。


「クラネス・カーター様をお連れしました」


「ご苦労。通って良し」


 ユタさんと衛兵の会話が聞こえたあと、金属が軋むような音が聞こえてきた。金属製の門が、開いた音だ。
 邸内に馬車が入ると、あれよあれよと俺は馬車から降ろされ、革袋を手に屋敷の一室に通された。
 会談などを行う部屋なんだろうけど、この優に一〇人は座れる長テーブルに、俺と祖父のバートン・カーター伯爵の二人っきりというのは、なんというか無駄な広さだと思う。


「遅れました」


 三人目となる会計士がやってくると、革袋の中の金額を確かめ始めた。


「……今回は、かなり稼いだようだな。商売は順調なのか?」


 五十五を過ぎたこともあって、爺様は少し痩せてきた。それでも白髪が増えてクレイに見える髪は行動部で束ねられるほど豊かで、目は猛禽類のように険しい。口髭はなく、顎髭だけが短く切り揃えられている。
 パッと見だけなら、まだ五〇台前半か、四〇台後半だ。
 俺は爺様の問いに、小さく頷いた。


「ええ、そこそこですが。今回は、商売以外にも色々と巻き込まれまして。意図せず、そちらで稼いだものも入ってます」


「噂では聞いておる。山賊の根城を壊滅させたり、魔物を操る黒幕を斃したり……か?」


 やはり俺が巻き込まれていた事件について、爺様は知っていたみたいだ。どうやって調べたのかは、考えても仕方が無いので置いておく。だけど、爺様の表情を見る限り、俺を褒めている感じはまったくない。
 俺は爺様の表情に注意を払いながら、鷹揚に肩を竦めた。


「まあ、そうですね。ですがギリムマギの一件にしろ、巻き込まれた結果の稼ぎですから。決して不当な仕事を受けたわけじゃありません」


「ふん――物は言いようだな。商売の稼ぎが悪くて、冒険者や傭兵のような仕事を受けたのではあるまいな」


「……違います。何度も言いますが、商売はそこそこ順調です」


 この皮肉というか、嫌味を毎回聞かされるわけだ。そりゃ、帰って来たくなくなるってものだろう。
 そういった嫌味を聞かされながら待っていると、会計士が顔を上げた。


「バートン様。確認が終わりました。こちらが、返済金額となります」


 金額を書き記した羊皮紙を手渡され、爺様は鼻を鳴らした。
 会計士を下がらせてから、爺様は俺を真っ直ぐに見てきた。


「さて。これで借金は、九割以上の返済を終えた。順調にいけば、今年中にでも借金は返し終えるだろうな」


「……はい。そのつもりです」


「借金を返し終えて、それからどうするつもりだ?」


「もちろん、隊商を続けます。そのために、借金をしてまで馬車を手に入れたんですから」


 俺の返答に、爺様は眉を顰めるばかりだ。
 どう答えるのが正解なのかは、わからない。だけど、変なことを言って機嫌を損ねたくないし、変に望む答えを言って期待を持たせるのも違う気がする。
 空気の重さに耐えきれなくなってきた俺は、立ち上がると爺様に一礼をした。


「それでは、残りの借金を返すためにも、商売に精を出そうと思います。これから街で商売をして、明日の朝一で街を出る予定です。今日は、これにて失礼をさせていただくこと、どうかお許し下さい」


「……待て、クラネス」


 退室しようとした俺を、爺様が呼び止めた。
 俺が振り返ると、どこか不機嫌そうにした爺様が視線を逸らした。そして視線を彷徨わせながら、何度も咳払いをした。


「急いで屋敷から出ることもあるまい。久しぶりに帰ってきたのだ。御婆様や、従兄弟らと話していくといい」


 そう言いながら手元にあったベルを鳴らすと、使用人の男がやってきた。


「クラネスをグラネンスのところへ案内しろ」


「はい。クラネス様、こちらへ」


 使用人に促されるまま、俺は廊下へと出た。
 特に会話もないまま食堂へと通された俺は、聞き馴染みのある声に出迎えられた。


「まあ、クラネス! よく戻りましたね」


 俺の祖母であるグラネンス・カーターだ。茶色のドレスに、小柄で丸っこい身体つき。少々厚化粧だけど、それはそれで愛嬌がある。
 紅茶でも飲んでいたのか、小さなカップをテーブルに置くと、俺を手招きした。


「借金の返済で、バートンと喋っていたのでしょう。嫌味ばかり言われなかった?」


「少しだけ……って感じです、御婆様」


「まったく、あの人ときたら。あたしから、少し言っておくわ。でも、あの人は素直じゃないだけなの。あなたに、妙な期待をしているのね」


「期待ですか。妙なっていうのが気になりますけど」


「そうね。今日はゆっくりできるの?」


 ポンと手を打つ婆様に、俺は残念そうに首を振った。


「いえ。これから帰って商売をしたいんですけど……じ――お爺様には、従兄弟とも話をしてこいと言われてまして」


「あら。でもそうね。マリオーネも喜ぶと思うわ。あなたのことを、兄のように慕っていたものね。ここに呼んだほうがいいかしら?」


 婆様の申し出に、俺は苦笑した。


「俺のために、そこまでしなくても構いませんよ。俺が会いに行きます」


「あらそう? それなら、またあとで会いに来て頂戴ね」


「はい。必ず」


 俺は婆様に微笑みながら、小さく手を振った。
 廊下に出た俺は、階段で二階へと上がった。少し前まで暮らしていた屋敷だけあって、構造などは勝手知ったるなんとやら、だ。
 二階の廊下を歩いてると、なかなかに豪華な服を着た男が近寄って来た。金髪に緑の目、髭は口と顎を覆い、白い肌は酔いのせいか赤くなっている。
 俺の叔父である、バラン・カーターだ。
 叔父は俺に気付くと、大袈裟に手を振ってきた。


「よお、クラネスじゃねぇか。借金の返済は順調か? ん?」


「ええ、まあ。あと一割くらいですね」


「へえ……これで、おまえも我が家から追い出されるわけか。精々、辺境の地で儲からない商いをしててくれぇ」


 へっへっへ――と笑い声をあげながら、バランは去って行った。
 酒と女好きで、この街でも有名なベガランだが、伯爵家の長男であり、爺様の後継となる人物だ。
 ああいう性格だからか俺が隊商を率いる前に、奥方は実家に戻っている。二人のあいだに出来た子どもが、今から俺が会いに行くマリオーネだ。
 二階にある一番端っこの部屋の前に立つと、俺はドアをノックした。


「……はい」


「マリオーネ、クラネスだけど入っても?」


「――はい! どうぞ、お入り下さい!」


 まだ幼い声に促され、俺はドアを開けた。
 部屋の中は左側に机とベッド、右側には本棚が並んでいた。机に座っていた一二歳の少年は立ち上がると、俺に一礼をした。
 金髪碧眼の顔はまだ幼く、頬は触るとプニプニとしそうだ。普段よりも質の良い衣服を着たこの少年が、マリオーネだ。


「久しぶり。元気そうで良かったよ」


「クラネス兄さんも、息災のようでなによりです」


 駆け寄って来るマリオーネは、駆け寄って来ると俺の手を掴んだ。


「こっちで話しませんか? 椅子も二つありますから」


「そうだね。そうさせてもらおうかな」


 俺はマリオーネに誘われるまま部屋に入ると、机の側にある椅子に座った。おそらく、これは家庭教師が使うためのものだろう。
 俺は机の上に広がった、書物や羊皮紙をチラ見した。


「相変わらず、勉強を頑張ってるみたいだね。まあ、叔父さんの後継ぎだから、当然か」


「後継ぎなんて、そんな。僕はずっと、お爺様の後継ぎはクラネス兄さんが相応しいっていってるのに」


「やめてくれって。権力抗争に巻き込まれるのは、ゴメンだよ。それに、兄さんは止めたほうがいいって、言ってるだろ? ここじゃあ、俺は追い出された次男坊の息子なんだからさ」


「そんな! 僕はクラネス兄さんのこと、家族だと思ってます。だから、そんなこと言わないで下さい。クラネス兄さんが、僕らと疎遠になったら……寂しいじゃありませんか」


「……ごめんな。そういうつもり……で、言ったわけじゃないんだ」


 マリオーネはずっと、俺に懐いてくれている。少しばかり、懐きすぎる気がするけど、ほかに年の近い子が周囲にいない環境では、俺だけが友だち付き合いのできる相手なんだろう。
 俺は後継ぎの話を切り上げたくて、立ち上がった。


「それじゃあ、そろそろ戻るよ。今日は、借金の返済ついでに顔を見に来ただけなんだ。婆様からマリオーネと喋って来いって、言われたのもあるけどさ。それで、また婆様のところに戻るんだけど……なんか、時間稼ぎでもされてるみたいだな」


「時間稼ぎ……あ」


 マリオーネは小さく声を挙げると、俺の顔を真っ直ぐに見てきた。


「今日は、来客があるそうなんです。もしかしたら、クラネス兄さんも同席させるつもりなのかも」


「……マジデ?」


 俺は焦りから、少し発音がおかしくなっていた。
 まさかとは思うけど……あの爺様と婆様なら、やりかねないと思ってしまう。俺なんか同席したって、なんの意味もないと思うけど。ただ、貴族の価値観や思考というのは、俺の予想の斜め上を走るからなぁ……。
 そんなことを考えていると、庭でラッパの音が高らかに鳴り響いた。
 俺とマリオーネが窓から外を見ると、屋敷の庭に馬車列が入って来るのが見えた。掲げられた旗に描かれた紋章は、公爵家のものだ。
 まさかの公爵家の来訪……俺の脳裏と胸中に、『イヤな予感』が渦巻いていた。

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本作を読んで頂き、まことにありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

とりあえず、カーター家のご紹介――という回ですね。次回には、公爵様の登場です。
まだ、書けることが少ないですわ……。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

次回も宜しくお願いします!
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