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第一〇部『軋轢が望む暗き魔術書』
二章-3
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空が白ばんできたころ、リリンは魔術書を閉じた。
ユバンと呼ばれた傭兵に殺されかかったあと、リリンは身体の奥から湧き上がる衝動に耐えきれず、魔術書を読み、儀式について調べ続けた。
魔方陣の形状はもう、暗記できている。呪文はとうてい、数日で覚えきれる量ではないが、そこは魔術書を見ながらでも、儀式としては成立する――ということも理解した。
儀式に使う道具や機材、贄を集める手段を考え始めたリリンは、そこで顔を上げた。
(――贄)
ユバンの言葉が、脳内で何度も蘇る。
〝そいつは、すでに贄だ。もう、どう転んでも贄としての役目しか果たせない〟
この意味が、リリンにはまだ理解できていなかった。
最初は魔術の儀式をする意志のことを、言われているのかと考えた。しかし、儀式を執り行う術者自身が、贄になることはない。
贄は魔方陣の内部や祭壇に供える方式が、ほとんどだ。
だからリリンは魔術の常識として、ユバンが儀式のことを言っている可能性を、最初に排除した。
あとの可能性は――。
(家族)
デュークとジュリアは、執拗にリリンを王都に連れ戻そうとしている。その理由は、ジュリアから鉱山の問題が理由だと聞いたが――リリンは納得していなかった。
(鉱山の問題――落盤、地下水による水没、ガスの噴出……爆発)
過去の事例を思い出しながら、リリンは一つ一つ否定していく。
ガスの噴出や爆発は、一時的なものだ。落盤は魔術師よりも鉱夫の仕事だし、水没になると魔術だけでは解決できない。
それに、そのどれもリリンが贄になるということにはならない。
(なら……鉱山というのは、口実?)
ラーニンス家は一体、なにをさせたいのか――リリンは考えるが、彼女の〈計算能力〉を以てしても、明確な回答は導き出せなかった。
(鉱山、贄、家族……情報が足りない)
溜息を吐いたリリンが魔術書に手を添えたとき、全身の毛が逆立つような、ゾワッとした感触を感じた。
〝おまえの願いは、なんだ?〟
耳の奥に、異質な声が聞こえてきた。男の声のような気がしたが、どことなく老婆のような印象も受けた。
リリンが顔を上げると、再び声が聞こえてきた。
〝おまえの願い――叶えたくないか?〟
「願い……叶えたい」
その声の正体を探るべきだと思うのに、リリンの口が勝手に言葉を発していた。
願いを叶える――その言葉に、抗えない。
「わたしは、願いを、叶えたい」
〝なら、願いを叶えよう。すべてを賭けて、願いを叶えるとしよう〟
「すべてを賭ける――」
その言葉を発した直後、リリンはハッと顔を上げた。
周囲を見回しながら魔術書から手を離すと、小さく首を傾げた。
(あれ……わたしは、なにを?)
少し前のことが、思い出せなかった。
考えている途中で、机の上の蝋燭が消えた。蝋燭のカスと芯の残りだけが残った燭台を机の隅に置き直すと、リリンはベッドの中に潜り込んだ。
*
昼になってからレティシアの召喚によって、デュークとジュリアが《白翼騎士団》の駐屯地を訪れた。
昨晩の怪我のせいか、あの老騎士は同席していない。その代わり、傭兵の一人が護衛として付いて来ただけだ。
対するレティシアは、俺を護衛として選んでいた。リリンの姿も、ここにはいない。今は自室で、待機させている。
ここにはいないが、俺が駐屯地に来たときにユーキから聞いた限りでは、リリンは酷い寝不足だったようだ。
昨日、殺されかけたばかりだ。
不安で眠れなかったのかもしれない。とにかく、俺たち四人は二度目となるデュークたちとの話し合いに臨んだ。
「まずは、昨晩の一件について説明をして頂きたい」
「だからあれは、わたくしたちの命令ではありませんわ!」
レティシアの問いに、ジュリアは苛立ちを露わにしていた。昨晩も同じ問答をしたばかりだから、ここで蒸し返されたくなかったんだろう。
対するレティシアは、冷静な態度を崩さない。
「あの傭兵は、あなたがたが雇ったのでしょう? となれば、あなたがたの命令でリリンを襲ったと考えるのは、妥当でしょう」
「万物の神アムラダ様に誓って、そんな命令などしていない」
姉に代わり、デュークが答えた。
「では、あの傭兵の独断だと?」
「ああ、そうだ! 大体、リリンには死んで貰っては困るのだ。そんな命令など、下すはずがない」
「……わかりました。そちらの意見を尊重しましょう。それで、リリンを王都に戻す理由が、鉱山が使えなくなったから、その責任を取らせる――と?」
「それは……鉱山を勧めたのは、リリンだ。責任は彼女にあるだろう」
デュークの返答に反応したのは、瑠胡だった。
実は瑠胡とセラも、この場に同席していた。最初に四人といった、残りの二人である。
「話を聞けば、リリンが鉱山とやらを勧めたのは、十年も前であろう? とすれば、そのあとのことは、御主たちに非があるのではないか?」
「な――大体、貴様は誰だ!? 部外者が、口出しをするな!」
「妾は部外者とは言えぬぞ。リリンとは、親しい間柄でのう。リリンに無下な扱いをするようであれば、放ってはおけぬ」
瑠胡に軽く睨まれたデュークは、レティシアへと怒りの目を向けた。
「レティシア殿。どうして、こんな蛮族の女が同席している!?」
……こいつ! 知らないとはいえ、とんでもないことを言いやがる。
怒りに任せて怒鳴ろうとした俺に、瑠胡は手を握ってくることで制した。
小さく首を振る瑠胡の瞳は、冷静そのものだ。ここで、こちらからことを荒立てるのは得策ではない――というのは理解しているが、あそこまで言われたら、二、三発はぶん殴る権利があってもいい。
そんな俺たちのやり取りを一瞥してから、レティシアは努めて冷静に発言した。
「……失礼なことを言わないのをお勧めします。彼女は村に滞在をしておりますが、他国の姫君です。リリンとも仲良くして頂いているので、今回の話し合いへの同席を許可しております。もっとも外交問題に発展した場合の、全責任を負うというのであれば、構いませんが」
「が、外交……」
「ええ。余談ですが、王家のキティラーシア姫や、老王との会談もされております。処刑台に登りたい願望があるなら、お止めしませんが」
ほとんど脅しに誓いレティシアの忠告に、デュークの顔から血の気が失せた。
しかし表情を強ばらせたのも、つかの間のことだ。すぐにレティシアを指さしながら、怒鳴り声をあげた。
「そういうことは、最初に説明しろ! さっきのことは、すべて貴様の責任だからな!」
「これは失礼。ですが瑠胡姫様に会われた貴族の方々は、辺境の方々であろうと、その物腰からすぐに察しておられましたので。王都の貴族であらせられるデューク殿であれば、すぐに理解なされると思っていたのですが」
このレティシアの釈明に、デュークは二の句が告げられないようだった。
これを否定すれば、貴族としての資質が、地方の貴族より劣っていると認めることになる。逆に肯定すれば、瑠胡が他国の姫だと理解した上で暴言を吐いたことになる。
どちらにしても、デュークの立つ瀬はなくなってしまう。
この追い込み方は、上手い。俺も使えるように、ちょっと覚えておこう。
悔しさを滲ませながらも、デュークは黙り込んでしまった。ジュリアも瑠胡の存在を気にしてか、発言に迷っているようだ。
不用意な発言をして、問題を起こすのを怖れているように見える。
そんな二人を交互に見ながら、レティシアはテーブルに肘を突いた姿勢で、両手を組んだ。
「先日の説明は、鉱山に問題があるからリリンを王都に連れて行きたい――という解釈をしております。ですので、我々《白翼騎士団》としては鉱山の調査か、鉱山の内部、もしくは周辺で起きている問題の解決――のための派遣であれば、許可を出しても良いと考えております。その際、騎士団から別の者を同行させて頂きますが」
「……別の者?」
「ええ。騎士団の団員から、一人。そして、護衛としてランドを。あとは、そちらにいる瑠胡姫様とセラの二名も同行を希望しております」
俺と瑠胡の名を聞いて、デュークとジュリアは互いの顔を見合わせた。
俺はともかく、瑠胡の同行が理解できないでいるようだ。セラについては、『誰だ?』という顔をしたみたいだが……まあこれは、初見だろうから仕方ない。
返答を待つ俺たちの視線を受けて、デュークとジュリアは小声で相談を始めた。普段は攻撃的な二人だが、瑠胡を気にしてか、牙を抜かれたように大人しい。
やがて、ジュリアが俺たちへ向き直ると、ぎこちなく頷いた。
「……その条件で、構いませんわ。それで、今日にも出発できるのかしら?」
「いいえ。流石に、我々も準備が必要です。明日以降――かと」
「準備もそうだが、逃げたユバンの捜索もしたいな。移動中に襲われる可能性は、無くしたい」
「……そうですね。リリンを狙っているのなら、先に捕らえておいたほうがいいでしょう」
俺の意見に、セラがすかさず同意した。
ただし、最後の部分はラーニンス家の二人に向けたものだ。リリンが殺されては困る――という言葉が真実なら、ユバンは二人にとっても邪魔な存在になるはずだ。
「同行する団員の剪定や旅の準備が終えるまで――ユバンの捜索も同時に行うということなら、あなたがたも文句はないでしょう」
セラの問いに、ジュリアは溜息とともに頷いた。
「ええ。それで構いませんわ」
同意が得られたことで、俺たちのやることは決まった。
話し合いが終わってデュークとジュリアが去ったあと、レティシアは従者にリリンを呼んでくるよう命じた。リリンを待っているあいだ、瑠胡はレティシアを軽く睨んだ。
「……妾はもう姫ではないと申すに。なぜ、あのような嘘を述べおった」
「これは失礼を。ただ、そのほうが話が早いと思ったのですよ。それで、暴言も止めさせると思いましたので、勝手ではありましたが、異国の姫とさせて頂きました」
レティシアは素直に謝罪を述べたが、その顔には、ある種の達成感が浮かんでいた。
デュークを口だけで黙らせることができたのが、嬉しくて仕方が無いといった印象を受ける。それほどまでに、気に入らなかったんだろう。
瑠胡はまだ、なにか言いたげだったが、レティシアを問い詰めることはしなかった。先ほどの説明に納得したわけではないが、一定の理解はしたようだ。
「……お待たせしました」
そんなとき、リリンが応接室にやってきた。
レティシアは小さく頷くと、リリンを手招きした。
「リリン。鉱山の問題を調査するため、王都に行ってくれるか? ランドと瑠胡殿、セラも同行する」
「王都……ランドさんたちもですか?」
「そうだ。あと団員から、一名だけだが同行させるつもりだが……誰がいいと思う? 諜報ならキャット、護衛という面ならユーキだと思うが」
レティシアの問いは、リリンだけでなく、俺やセラにも向けられたものだ。
確かに諜報や護衛という点から考えれば、レティシアの意見は正しい。だが――俺の頭に思い浮かんだのは、別の顔だった。
多分だけど俺の持つ《スキル》の一つである、〈計算能力〉が導き出したんだと思う。
俺はレティシアに、その人物の名を告げた。
「エリザベートがいいんじゃないか?」
「エリザベートが最適だと」
意図せず、俺とリリンの発言が重なった。
同時に告げられた意見に、レティシアは目を瞬いた。
「……二人して、同意見か」
レティシアは苦笑してから、少し考える素振りを見せた。
数秒後、瑠胡へと目を向けた。
「また、村の警備に紀伊殿の協力を得たいのですが、構いませんか?」
「ふむ。そういうことであれば、良いと思うが」
瑠胡の返答を聞いて、レティシアの顔に笑みが戻った。
「それでは、エリザベートを同行させよう。リリンとランド……二人が同意見というのであれば、それが一番良い気がするしな」
俺――というより、リリンの〈計算能力〉への信頼なんだろう。呆気なく人員が決まった。
あと俺がするべきなのは、ユバンを見つけることだけだ。
魔剣の柄を握り締めると、俺は戦いに備えて、意識を切り替えていた。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
やっと、話が村の外へ――というのが決まりましたが、出発まではもう少し。
それにしても、思ったより長くなりました――というのも、いつものことですね。反省の色が……半透明になってる気がしますが、なんかもう今さら感が(汗
少しでも楽しんで頂ければ、幸いです。
次回も宜しくお願いします!
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