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10・少女の思い
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ミリムの部屋は、あまり飾り気がない。
大きなものは、質素な衣装棚と、絵本がしまわれている本棚、後は寝台が二つ置かれている程度だ。
ミリムはツインテールをほどくと、そのうちのひとつにもぐりこむ。
「すみません。私は慣れていますが、父上はああいう気性なのです」
「あれ、慣れるんだ……すごいね」
セレルも空いている方を使わせてもらうことにする。
「この町、ミリムとカーシェスしか住んでいないの?」
「はい」
時折吹き込む風が、薄い窓を揺らした。
ミリムは窓へと顔を向ける。
「私は赤子だったので覚えていませんが、ここは豊かな町だったそうです。しかしある時、前触れもなく土地が悪くなり、生息していた動物が暴れだすという異変がありました。父上は土地の劣化のせいか、突然体調を崩したそうです。そこで勇敢な母上は原因を突き止めようと、有志の方を募って出かけましたが、それ以来帰って来ないそうです。土地の状態は悪化する一方で、人々はこの土地を捨てて去り、廃墟の町が残りました」
「カーシェスとミリムだけが、ここに残ったんだね。食べ物を作るのも大変な土地に……」
「父上は今も、母上の帰りを待っているのでしょう。そして母上が帰ってくるときまでに、ここを元通りにして、また一緒に暮らそうと、ひたすら頑張っているのです」
「……疲れるね」
「はい。疲れます。でも私にとってはたった一人の、愛おしい父上なのです」
淡々としたその言葉は、セレルの胸を打つ。
自分は今まで誰とも、そんな風に関係を築こうとしていなかったのだと、ふと知らされたような気持ちだった。
セレルは動揺をごまかすように、ミリムのシルエットに呟く。
「……そんなに大切に思っているなら、たまには一緒に寝てあげたら?」
「私は父上にも、一人の時間を作ってあげたいのです」
「え? ミリムが一人になりたいんじゃなくて?」
「父上は、母上のいない私を心配しすぎて、一生懸命すぎるのです。大切な妻を失ったことを、悲しもうとしない。彼女が必ず帰ってくると、娘のために言い聞かせている」
その言葉に、セレルはただ暑苦しく疲れると思っていた男の明るさが、今までとは違う姿で胸に迫ってくる。
それを見透かすかのように、ミリムの背中が小さく笑った。
「セレルもそうですね。私の父上に、少し似ています」
「……すごく、嫌なんだけど」
「ならば、治したほうがいいでしょう。まずは自分の悲しみを、人に献身することでごまかしていると、自覚したほうがいい」
「そんなこと、ないと思うけど」
「そうですか? セレルが見つけてくれた、あんな健康的なモモイモが、この土地で育つとは思えません。遠目でよくわかりませんでしたが、なにかをイモに施して、ロラッドに注意されていたでしょう」
癒しの力を使っていたことは、バレていたらしい。
事情を説明するか迷っていると、ミリムが寝返りを打ってセレルを見た。
「意地を張らないほうが、ロラッドも安心できるはずですよ」
「え? ロラッドが?」
「先ほど、一緒に寝ようと言ったのは、誰のためだと思いますか」
セレルは口を開いたが、なにも出てこなかった。
ただ、からかわれているだけだと思っていたのに。
ミリムの目から見ると、あれは無力感に打ちひしがれている自分の孤独を、ロラッドが少しでも和らげてくれようとしているものとして映っていたのだと知り、セレルは恥ずかしくなる。
自分では、なにも気づけていなかった。
「私、ロラッドにからかわれているんだと思ってた」
「それはそうでしょう」
「……やっぱり、そうなんだ」
「ですが、私たちは、ずいぶん甘やかされているのです。セレルも少しは、知っていたほうがいいですよ」
「ミリムもそこまでわかっているのなら、たまには一緒に寝てあげると、カーシェスはきっと喜ぶよ」
「正直、年頃の娘ですので、父親と一緒に寝るのは不快なのです」
「愛おしい感情、どこ行ったの」
「セレルこそ、ロラッドと寝てあげてはいかがですか。もし症状が出てきて、狂剣士化したロラッドが父上を八つ裂きにすれば、心の弱いあなたは後悔しますよ」
「それは、そうかもしれないけど……。だ、だけど、ミリムの言葉を借りると、私だって年頃なんだからね」
「セレルはいくつですか」
「18だけど」
「18にもなって、そんな幼女みたいなことを言って、恥ずかしいを通り越して、呆れますよ」
「そ、そんなこと……お、男の人と一緒に寝るなんて……たとえ手を繋いでいるだけだとしても、そんな……」
「セレルにも私の絵本を貸してあげましょうか。私もそうやって学んでいるうちに、自然なことだと理解できるようになりましたから」
「……読んでいる絵本の種類、偏りすぎてると思う」
「そうかもしれません。私も父上とこの土地を戻す方法を探しているので、色々読んではいます」
「親孝行だね、ミリムは」
「はい。今日は召喚術に失敗して、セレルとロラッドを呼び出したらしいことは申し訳なかったのですが、父上は久々に、楽しそうでした。ですから、もしセレルが嫌でなければ……しばらくいてくれると、嬉しいのですが」
セレルは横たわるミリムのシルエットを、ぼんやりと見つめる。
どこかもわからないひどい土地だが、セレルは帰る場所がなかったし、ここならロラッドの追手もこないだろう。
それになにより、今日出会った、一緒にいるだけで疲れる男と、偏った知識の少女に、健康なモモイモを食べてもらいたいと思い、セレルは小さく頷いた。
「それもいいかもね」
大きなものは、質素な衣装棚と、絵本がしまわれている本棚、後は寝台が二つ置かれている程度だ。
ミリムはツインテールをほどくと、そのうちのひとつにもぐりこむ。
「すみません。私は慣れていますが、父上はああいう気性なのです」
「あれ、慣れるんだ……すごいね」
セレルも空いている方を使わせてもらうことにする。
「この町、ミリムとカーシェスしか住んでいないの?」
「はい」
時折吹き込む風が、薄い窓を揺らした。
ミリムは窓へと顔を向ける。
「私は赤子だったので覚えていませんが、ここは豊かな町だったそうです。しかしある時、前触れもなく土地が悪くなり、生息していた動物が暴れだすという異変がありました。父上は土地の劣化のせいか、突然体調を崩したそうです。そこで勇敢な母上は原因を突き止めようと、有志の方を募って出かけましたが、それ以来帰って来ないそうです。土地の状態は悪化する一方で、人々はこの土地を捨てて去り、廃墟の町が残りました」
「カーシェスとミリムだけが、ここに残ったんだね。食べ物を作るのも大変な土地に……」
「父上は今も、母上の帰りを待っているのでしょう。そして母上が帰ってくるときまでに、ここを元通りにして、また一緒に暮らそうと、ひたすら頑張っているのです」
「……疲れるね」
「はい。疲れます。でも私にとってはたった一人の、愛おしい父上なのです」
淡々としたその言葉は、セレルの胸を打つ。
自分は今まで誰とも、そんな風に関係を築こうとしていなかったのだと、ふと知らされたような気持ちだった。
セレルは動揺をごまかすように、ミリムのシルエットに呟く。
「……そんなに大切に思っているなら、たまには一緒に寝てあげたら?」
「私は父上にも、一人の時間を作ってあげたいのです」
「え? ミリムが一人になりたいんじゃなくて?」
「父上は、母上のいない私を心配しすぎて、一生懸命すぎるのです。大切な妻を失ったことを、悲しもうとしない。彼女が必ず帰ってくると、娘のために言い聞かせている」
その言葉に、セレルはただ暑苦しく疲れると思っていた男の明るさが、今までとは違う姿で胸に迫ってくる。
それを見透かすかのように、ミリムの背中が小さく笑った。
「セレルもそうですね。私の父上に、少し似ています」
「……すごく、嫌なんだけど」
「ならば、治したほうがいいでしょう。まずは自分の悲しみを、人に献身することでごまかしていると、自覚したほうがいい」
「そんなこと、ないと思うけど」
「そうですか? セレルが見つけてくれた、あんな健康的なモモイモが、この土地で育つとは思えません。遠目でよくわかりませんでしたが、なにかをイモに施して、ロラッドに注意されていたでしょう」
癒しの力を使っていたことは、バレていたらしい。
事情を説明するか迷っていると、ミリムが寝返りを打ってセレルを見た。
「意地を張らないほうが、ロラッドも安心できるはずですよ」
「え? ロラッドが?」
「先ほど、一緒に寝ようと言ったのは、誰のためだと思いますか」
セレルは口を開いたが、なにも出てこなかった。
ただ、からかわれているだけだと思っていたのに。
ミリムの目から見ると、あれは無力感に打ちひしがれている自分の孤独を、ロラッドが少しでも和らげてくれようとしているものとして映っていたのだと知り、セレルは恥ずかしくなる。
自分では、なにも気づけていなかった。
「私、ロラッドにからかわれているんだと思ってた」
「それはそうでしょう」
「……やっぱり、そうなんだ」
「ですが、私たちは、ずいぶん甘やかされているのです。セレルも少しは、知っていたほうがいいですよ」
「ミリムもそこまでわかっているのなら、たまには一緒に寝てあげると、カーシェスはきっと喜ぶよ」
「正直、年頃の娘ですので、父親と一緒に寝るのは不快なのです」
「愛おしい感情、どこ行ったの」
「セレルこそ、ロラッドと寝てあげてはいかがですか。もし症状が出てきて、狂剣士化したロラッドが父上を八つ裂きにすれば、心の弱いあなたは後悔しますよ」
「それは、そうかもしれないけど……。だ、だけど、ミリムの言葉を借りると、私だって年頃なんだからね」
「セレルはいくつですか」
「18だけど」
「18にもなって、そんな幼女みたいなことを言って、恥ずかしいを通り越して、呆れますよ」
「そ、そんなこと……お、男の人と一緒に寝るなんて……たとえ手を繋いでいるだけだとしても、そんな……」
「セレルにも私の絵本を貸してあげましょうか。私もそうやって学んでいるうちに、自然なことだと理解できるようになりましたから」
「……読んでいる絵本の種類、偏りすぎてると思う」
「そうかもしれません。私も父上とこの土地を戻す方法を探しているので、色々読んではいます」
「親孝行だね、ミリムは」
「はい。今日は召喚術に失敗して、セレルとロラッドを呼び出したらしいことは申し訳なかったのですが、父上は久々に、楽しそうでした。ですから、もしセレルが嫌でなければ……しばらくいてくれると、嬉しいのですが」
セレルは横たわるミリムのシルエットを、ぼんやりと見つめる。
どこかもわからないひどい土地だが、セレルは帰る場所がなかったし、ここならロラッドの追手もこないだろう。
それになにより、今日出会った、一緒にいるだけで疲れる男と、偏った知識の少女に、健康なモモイモを食べてもらいたいと思い、セレルは小さく頷いた。
「それもいいかもね」
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