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27・別れ
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セレルは不満げに口をとがらせながら、ロラッドの手にそっと触れる。
いつも自分を守ってくれる、かたく大きなてのひらが懐かしかった。
「ごめんなさい」
ふと言葉がついて出る。
「私はいつも自分のことばかりだから。倒れたときも、ロラッドが心配してくれていることなんて考えてなかった」
セレルの謝罪に、ロラッドが意外そうに見つめてくる。
「違うだろ。セレルは自分のことばかりじゃなくて、いつも人を助けようしてばかりなんだよ。異常なくらい」
「えっ」
セレルは弾かれたように顔を上げる。
「だけど目の前に助けられる人がいたら助けたいのって……おかしいかな」
「考えてみろよ。惑いの森に捨てられて自分のこともままならない状態で、突然現れた血まみれの男が呪われた狂剣士だって自己紹介したら、命がけで助けようと思わないだろ、普通」
「そうかな」
「そうだろ。ここに転移した後も、汚染された広大な泥畑を治そうとして気を失うまで土地に力をこめたり、一角獣とやりあって怪我した俺に卒倒するまで力使うとか、そばで見てるの結構怖いぞ。まるで自分を痛めつけようとしているみたいで」
「そんなつもりじゃ……。ただ私、目の前に助けられる人がいるのに自分だけ助かるのは……」
「助かるのはいいだろ」
「だけどまだお母さんが、」
自分でも思わぬ言葉が滑り出ると、なにかがつかえているかのようにセレルの声がせき止められた。
もうずっとしまい込んでいて、覚えていることすら忘れていた昔のこと。
両親が始めた粗末な道具屋の一角が崩れ、セレルと母はがれきの下にいた。
突然降り注いできた苦しさと痛み、信じがたい状況に、幼いセレルが身も心も押しつぶされていたあのとき。
姿は見えなくてもそばにいた母は声をかけ続け、励ましてくれた。
しかしやってきた父は、比較的救助しやすかったセレルだけをすくいあげてその場を離れた直後、建物は完全に潰れた。
「そうか」
低くつぶやくその声でセレルは現実に引き戻される。
ロラッドは両手を差し出すと、壊れ物を扱うようにそっと、夜風に冷えたセレルを包み込んだ。
気を使わせている。
セレルは胸に渦巻く物事をなんでもない風に説明しようとしたが、やはり声が出てこない。
そうしているうちに、ぽっかりと空いてしまった心の中に父が再婚をしたこと、誰も母を助けられなかったこと、自分だけが助かって生きているわだかまりが、くっきりと浮かび上がる。
父はかたくなに母の話を避けながら、突然体調を崩して亡くなるまでセレルのことを大切にしてくれた。
腫物を扱うように。
「ごめんな」
その悲しみに満ちた声色が、セレルのひりひりとする追想を静めていく。
「わかってるよ。誰かが悪いわけじゃないこと。それなのにどうしてロラッドが謝るの?」
「ごめんな。守護獣は俺が殺すよ」
ロラッドの腕がわびしく通り過ぎる夜風から守ってくれているのに、その意味がしみ込むと心はみるみるうちに冷えていく。
きっとそれが、これ以上あの一角獣を苦しませない最善の方法なのだと、理屈ではわかった。
それでも一角獣を撫でたときの人懐こくしっぽを振る姿や、涙をぬぐってくれたときのきれいな瞳が浮かんできて、それが無防備なセレルの心に深々と刺さる。
セレルの瞳から透明の液体が溢れ、とうとうと頬を伝った。
「どうしても治らないの?」
涙に濡れた声に、抱きしめてくるロラッドの腕の力が強まる。
「あのままだと、ひたすら苦しみながら死ぬだけだから。俺はこういうこと、慣れてるし」
セレルの脳裏に、惑いの森で出会った今にも死にそうな青年がよぎった。
ロラッドはあのときのように、どこかさびしい場所でひとり横たわり、呪いと共に動かなくなるつもりなのだろう。
わざわざ守護獣の命を奪う必要も、そのことを告げる必要もないのに。
誰もやりたくない嫌なこと憎まれる役まで全て引き受け、一人で去っていこうとしている。
セレルは深く息を吐くと、ロラッドをまっすぐ見上げた。
慣れているというのは平気だという意味ではない。
「ロラッド、来て」
そう言ってロラッドの手を取ると、迷いなく進み続ける。
セレルはどこへ向かっているのかもわからないまま、家や涸れ森側ではない方向を目指し、廃墟の町を横切っていく。
ロラッドはしばらく手を引かれ続けていたが、町の外れに差しかかってきたところでさすがに口を開いた。
「セレル、どこへ行くつもりなんだ」
「一緒にどこか別の国の田舎にでも逃げよう。それでロラッドは王子だってことを忘れて、私とのんびり暮らすんだよ」
内容に覚えがあったのか、ロラッドの表情が変わった。
それはふたりがまだ会ったばかりのとき、ロラッドがセレルに向けたものとよく似ている。
ただひとり、死を待つしかなかったセレルを拾い上げた、彼女にとって特別な言葉だった。
セレルはまっすぐと行く先を見つめたまま、明るい声を響かせる。
「今度は私から誘うよ。来てくれるよね?」
いつも自分を守ってくれる、かたく大きなてのひらが懐かしかった。
「ごめんなさい」
ふと言葉がついて出る。
「私はいつも自分のことばかりだから。倒れたときも、ロラッドが心配してくれていることなんて考えてなかった」
セレルの謝罪に、ロラッドが意外そうに見つめてくる。
「違うだろ。セレルは自分のことばかりじゃなくて、いつも人を助けようしてばかりなんだよ。異常なくらい」
「えっ」
セレルは弾かれたように顔を上げる。
「だけど目の前に助けられる人がいたら助けたいのって……おかしいかな」
「考えてみろよ。惑いの森に捨てられて自分のこともままならない状態で、突然現れた血まみれの男が呪われた狂剣士だって自己紹介したら、命がけで助けようと思わないだろ、普通」
「そうかな」
「そうだろ。ここに転移した後も、汚染された広大な泥畑を治そうとして気を失うまで土地に力をこめたり、一角獣とやりあって怪我した俺に卒倒するまで力使うとか、そばで見てるの結構怖いぞ。まるで自分を痛めつけようとしているみたいで」
「そんなつもりじゃ……。ただ私、目の前に助けられる人がいるのに自分だけ助かるのは……」
「助かるのはいいだろ」
「だけどまだお母さんが、」
自分でも思わぬ言葉が滑り出ると、なにかがつかえているかのようにセレルの声がせき止められた。
もうずっとしまい込んでいて、覚えていることすら忘れていた昔のこと。
両親が始めた粗末な道具屋の一角が崩れ、セレルと母はがれきの下にいた。
突然降り注いできた苦しさと痛み、信じがたい状況に、幼いセレルが身も心も押しつぶされていたあのとき。
姿は見えなくてもそばにいた母は声をかけ続け、励ましてくれた。
しかしやってきた父は、比較的救助しやすかったセレルだけをすくいあげてその場を離れた直後、建物は完全に潰れた。
「そうか」
低くつぶやくその声でセレルは現実に引き戻される。
ロラッドは両手を差し出すと、壊れ物を扱うようにそっと、夜風に冷えたセレルを包み込んだ。
気を使わせている。
セレルは胸に渦巻く物事をなんでもない風に説明しようとしたが、やはり声が出てこない。
そうしているうちに、ぽっかりと空いてしまった心の中に父が再婚をしたこと、誰も母を助けられなかったこと、自分だけが助かって生きているわだかまりが、くっきりと浮かび上がる。
父はかたくなに母の話を避けながら、突然体調を崩して亡くなるまでセレルのことを大切にしてくれた。
腫物を扱うように。
「ごめんな」
その悲しみに満ちた声色が、セレルのひりひりとする追想を静めていく。
「わかってるよ。誰かが悪いわけじゃないこと。それなのにどうしてロラッドが謝るの?」
「ごめんな。守護獣は俺が殺すよ」
ロラッドの腕がわびしく通り過ぎる夜風から守ってくれているのに、その意味がしみ込むと心はみるみるうちに冷えていく。
きっとそれが、これ以上あの一角獣を苦しませない最善の方法なのだと、理屈ではわかった。
それでも一角獣を撫でたときの人懐こくしっぽを振る姿や、涙をぬぐってくれたときのきれいな瞳が浮かんできて、それが無防備なセレルの心に深々と刺さる。
セレルの瞳から透明の液体が溢れ、とうとうと頬を伝った。
「どうしても治らないの?」
涙に濡れた声に、抱きしめてくるロラッドの腕の力が強まる。
「あのままだと、ひたすら苦しみながら死ぬだけだから。俺はこういうこと、慣れてるし」
セレルの脳裏に、惑いの森で出会った今にも死にそうな青年がよぎった。
ロラッドはあのときのように、どこかさびしい場所でひとり横たわり、呪いと共に動かなくなるつもりなのだろう。
わざわざ守護獣の命を奪う必要も、そのことを告げる必要もないのに。
誰もやりたくない嫌なこと憎まれる役まで全て引き受け、一人で去っていこうとしている。
セレルは深く息を吐くと、ロラッドをまっすぐ見上げた。
慣れているというのは平気だという意味ではない。
「ロラッド、来て」
そう言ってロラッドの手を取ると、迷いなく進み続ける。
セレルはどこへ向かっているのかもわからないまま、家や涸れ森側ではない方向を目指し、廃墟の町を横切っていく。
ロラッドはしばらく手を引かれ続けていたが、町の外れに差しかかってきたところでさすがに口を開いた。
「セレル、どこへ行くつもりなんだ」
「一緒にどこか別の国の田舎にでも逃げよう。それでロラッドは王子だってことを忘れて、私とのんびり暮らすんだよ」
内容に覚えがあったのか、ロラッドの表情が変わった。
それはふたりがまだ会ったばかりのとき、ロラッドがセレルに向けたものとよく似ている。
ただひとり、死を待つしかなかったセレルを拾い上げた、彼女にとって特別な言葉だった。
セレルはまっすぐと行く先を見つめたまま、明るい声を響かせる。
「今度は私から誘うよ。来てくれるよね?」
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