巻き戻り冤罪令嬢ですが、もふもふ幼女の継母になりました

入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆

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1巻

1-1

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   プロローグ


 婚約破棄だけで済んだら、ただ泣いて終わっていたでしょう。
 それなのにあなたは、罪まで私に押し付けて――断頭台に立たせるのですね。


「毒薬で王国をけがした魔女! リシェラ・マリスヒルに死を!」

 その声はかつて、「リシェラを守る」とちかった人のもの。
 ライハント王子は囚人服の私には目もくれず、広場に集まる群衆を見つめています。
 雪が頬に落ちても、もう冷たさすら感じません。

「まぁ、お義姉様ねえさまったらみじめ! エレナは殿下の婚約者なのに~!」

 彼の隣でわざとらしく笑うのは、元義妹のエレナ。派手に巻いたピンクブロンドに、滑稽こっけいなほど飾り立てたドレス。彼女は勝ち誇るように、ライハント王子の腕に絡みついています。
 エレナなら、父上も母上も納得する……
 独房で聞かされた、彼の言葉でわかりました。
 最初から、私と結婚するつもりなんてなかった。

「おまえのことは、それなりにかわいがってやっただろう?  だがな、バレたら終わりなんだよ」

 ライハント王子は、私以外には聞こえないくらいの小声で呟きました。
 あなたの言葉って、嘘ばかりですね。
 私の力を利用して、自分の罪をごまかそうとした。それが限界になったら全部、私のせいにして。
 あなたを信じていたから、動物ともだちのことを話したのに。
「誤解を解きたい」って言葉まで、嘘だった……
 本当はあの子たちを捕まえて、 お金に変えるためだったんですね。

「魔女は哀れだ。だが俺は次期国王。王国のために、ここで処刑する義務がある!」

 群衆の怒号と一緒に、石や腐った果物が飛んできました。
 それでもいいから、食べたい……最後に食事をしたの、いつでしたっけ。
 家族も愛も、とっくに諦めました。でも、せめてごはんを……あれは?
 怒り狂う群衆の中、フードを深くかぶった人物が私を見つめています。
 壊れた道具を眺めるような、冷たい金の瞳。でも口元には満足そうな笑み。まるで望みが叶ったかのように。

「見てよ、このドレス!」

 ギラギラ光るドレスが目の前でひるがえり、視界が遮られました。
 エレナはその裾を持ち上げ、得意げに一回転しました。

「ふふっ。殿下におねだりした、王族しか持てない金糸入きんしいりよ! 羨ましいでしょ、お義姉様?」
「いえ、まったく」
「なっ、なによ! エレナの引き立て役のくせに! 欲しがりなさいよ!」
「残飯の方がマシです」
「っ! もういいわ! さっさと処刑して!」

 衛兵たちは私の腕をつかみ、雪の積もる断頭台に縛りつけました。
 エレナの高笑いが響きます。

「真っ白な墓場を、真っ赤に染めなさいよ! 最期くらい派手にね!」

 最期……
 それならせめて、誰かと笑いながら、あれを食べたかった……
 いいえ。
 本音を言えば、最期なんて嫌です。生きて、誰かと笑いながらあれを食べたい、あれを……? 
 私、なにを食べたかったのでしょう。
 私の大好きな――
 ――れ……
 ? 今、なにか聞こえたような。あっ、粉雪がきらめいています。最期の幻でしょうか?
 ――れ…… だよ

「れ……だよ? あれだよ?」

 もしかして、の名前を教えてくれている? もう一度……お願い。もう一度だけ……
 ――かれに あうんだよ
 あっ、その声……!
 広場の喧騒が遠ざかっていきます。雪が虹色に舞い上がり、私の身体を包み込むと暖かくて心地よくて、まるであれを食べたときのようです。
 思い出しました。私がずっと願っていたのは、あれ――


「――アップルパイが食べたいです!」

 声とともに、ガバッと身体を起こします。
 こんな大切なことを忘れるなんて、空腹とは恐ろしい。

「あれ? 拘束具が……付いていない?」

 それに断頭台も、嘘つき王子も、エレナも見当たりません。
 あるのは懐かしい景色。
 カーテンのない窓、差し込む陽光、がれかけた天井。この服、あのころのメイドのお下がり……えっ?

「この部屋……ま、まさか!」

 傾いたベッドから飛び降り、窓を開けます。
 遠くに見えるのは、マリスヒル伯爵邸。

「ここ、私の暮らしていた小屋? でも、どうして……」

 呆然としていると、小さな影たちが地面を走ってきます。
 リスに野ウサギ、それにアライグマ。
 ライハント王子に捕まり、戻ってこなかった友達です。

『『『リシェラ、二十歳の誕生日おめでとう!』』』

 えっ? 私、二十一歳です。そしてさっき、断頭台で処刑されました。でも、まさか……
 おそるおそる首元に指をわせてみます。くっついています。

『ジャーン! オレたちから誕生日プレゼントだ!』

 リスから小さな麻袋を渡されました。記憶が正しければ、この中には木の実がたくさんあって、ひとつだけ、とても珍しいハート形が……

「……」
『おーい、どうしたリシェラ? 急に固まっちゃってさ』
『も、もしかして、気に入りませんでした……?』
『リシェラの反応は予想外だ。詳細な感想を求めたい』

 私は思わず、彼らをぎゅっと抱きしめました。

「嬉しいです! 私の大切な友達がいてくれて、本当に嬉しいです!」
『イェーイ! オレたちだって、リシェラがいてくれてサイコーだぜ!』

 みんな笑っています。生きています! 
 もしかして私は、処刑された記憶を持ったまま、一年前――二十歳の誕生日に戻っているのでは?
 そういえば、処刑される直前、懐かしい声が聞こえました。
 幼いころ、私は空の向こうにいる『誰か』と、よくおしゃべりしていました。
 好きな食べ物のこと、明日なにを食べたいのか……そんな他愛ないつぶやきに返ってくる、不思議な声。
 今でも、それが誰だったのかはわかりません。でも……
 ――昔々、誰とでもお話のできる聖女様がいました。
 おとぎ話が好きだった幼い私は、流行り病で亡くなった母が聖女になって、空から見守ってくれていると信じていました。
 この小屋に住むようになってからは聞こえなかったのに、どうして今になって?
 そういえば巻き戻る前、なにか話してくれたような……でも、今は思い出している暇なんてありません。
 私は知っています。このままでは私たちの命が奪われてしまうことを。
 でも養家と決別し、ライハント王子から逃げられれば、未来は変えられるはずです。

「みんな、協力してほしいことがあります!」

 私は動物たちと輪になって計画を話すと、彼らは笑い出しました。

『ふむ! リシェラの誕生日パーティーならば、盛大にすべきだろう!』
『ブルブル、武者震いが……で、でも、奴らはもっとブルブルさせます……』
『よっしゃ! あの気に食わない連中、パーッとやっちゃおうぜ!』
「みんな、ありがとうございます!」

 動物たちは力強く頷き、風のように散っていきました。
 私も負けていられません。
 壊れかけの引き出しから便箋びんせんを取り出すと、あの養家が積み上げてきた罪の数々を書き連ねていきます。
 もう、処刑の未来を繰り返したりしません。
 あの絶望の記憶――それを私の切り札にします。



   第一章 巻き戻った令嬢


 出立の準備を整えた私は、マリスヒル伯爵邸に向かいます。
 一家の趣味が丸出しのキンピカ像を通り過ぎたころ、下品な笑い声が聞こえてきました。
 食堂の扉を開けると、食器がカチャカチャと鳴り、スープをすする音まで耳に飛び込んできました。
 養家は相変わらず、お行儀がよくありません。

「ねぇお父様、お母様! エレナがかわいいご褒美に、豪華なパーティーをしてほしいわ!」
「もちろんだとも!」
「エレナのパーティーですから、派手にしましょう!」

 養家は私の誕生日など目もくれず、エレナのわがままで盛り上がっていました。

「エレナは本当に美人だ。あの不気味な化け物とは大違い……」
「それ、私のことですか?」
「ヒッ!」

 養父母は私に気づくと、気味の悪いものを見たように青ざめました。
 この国では動物が「魔女の手下」と呼ばれ、み嫌われているせいです。
 だから動物と話せるようになったとき、養父母は私を壊れかけの小屋に押し込め、人目から遠ざけました。
 あの日から、彼らは私を汚物のように扱っているのです。

「リシェラ、ワシらの前に現れるな! また飯を抜かれたいのか!」
「物乞いなら、使用人に残飯でもねだりなさい!」

 養父母が声を荒らげる中、エレナは優越感に浸った笑みを浮かべています。

「お義姉様ったら、相変わらず泥色の髪と目……パッとしないわね!」
「これはお母様譲りの色なので、私は気に入っています。でもエレナは……いつそんなに『変身』したのでしたっけ?」
「なっ、なによ! エレナがかわいいのは生まれつきなの! だからお義姉様と違って、盛大な誕生パーティーをしてもらえるんだから!」
「そうよ。エレナに比べて化け物は……」
「まったく、縁談のひとつもない!」
「エレナが社交界で、私の悪口を流しているからではありませんか?」
「なんだとっ! エレナに文句をつけるのか!」
「いいえ、感謝しています。身売りしなくて済みました」

 養父はギリギリと歯噛みしながら、顔を赤くしています。以前の私は食事を抜かれる恐怖で口答えしなかったので、こうして反論するのが気に食わないのでしょう。

「化け物のくせに、伯爵家の娘だと勘違いしているのか!? 最初から我が家にはエレナがいた、おまえを娘だと思ったことはない!」
「では、こちらにサインをお願いします」

 私は微笑みながら一枚の紙を養父に差し出します。養父母の顔色がみるみるうちに青ざめました。

「絶縁宣誓書!?」
「どっ、どうしてこんなものを……!」
「先日、使用人たちに投げつけられました。『おまえはマリスヒル伯爵家の娘じゃない』と」

 背後に控える使用人たちは顔を背け、知らないふりをしています。
 彼らはエレナに取り入ろうと、私の食事を残飯にしたり、わざと捨てたり、仕事を押し付けてきたりとやりたい放題でした。この絶縁宣誓書も意地悪のつもりだったのでしょう。でも今回ばかりは、ありがたく使わせていただきます。
 絶縁宣誓書を持つ、養父の手が震えています。

「私を娘だと思ったことはないのに、なぜためらうのですか?」
「おまえがいなくなったら、送金が……そうか! あの金を狙っているんだな? ははははっ! そんなもの使い果たしている!」

 養父の家には、私の教育費という名目で多額の資金が送られていました。
 それは私が養女になるとき、私の実父――ブリザーイェット前侯爵と交わした契約でした。
 マリスヒル伯爵家ではそれを、私の学びのためではなく、自分たちの利益のために使っていました。
 そのことは巻き戻る前、「もう金にならん、用済みだ!」と怒鳴られたときに知ったのです。
 あのときは傷つきましたが、もう彼らのいいようにはされません。

「もう成人していますので、教育費の支給は不要です」
「……そうか、今日はおまえの誕生日か! 未成年でなければ、教育費は入らん……つまり、おまえは用済みだ!」

 元養父からサイン入りの紙を受け取ると、心が軽くなりました。
 エレナと元養母は高笑いしています。

「お義姉様はもう貧乏平民! あはははっ!」
「さっさと出ていきなさい!」
「では、本題です。私の教育費、ブリザーイェット侯爵家からの支援金を、全額返金していただきます」
「「「はっ?」」」
「さらに、不正使用への謝罪と違約金の支払い。それが私からの要求です」

 元養父母の顔が凍りついたかと思うと、すぐ真っ赤に染まります。

「ふっ、ふざけるな!」
「養女の教育費をどう使おうと、私たちの勝手よ!」

 彼らは不正を認めるつもりがないようです。
 自ら認めれば、和解という形をとり、返金と違約金だけで済んだかもしれないのに……
 でもこの件については、すでに準備済みです。
 動物たちと話し合った後、あの小屋ですべてを書いた手紙。養家の罪を暴く証拠は今、私の手元にあります。

「返金は当然です。支援された教育費は、私が伯爵令嬢として教養を身につけるためのものですから。あなた方が浪費するためのお金ではありません」
「知らん! あの教育費は裏取引……ゴホンっ! 必要経費だと帳簿に書いてある!」
「使用人に偽装させたのですよね?」
「黙れっ! 今すぐここから叩き出されたいのか!」
「怒鳴っても、記録は消えませんよ」
「なんだとっ、ワシを愚弄ぐろうするのか!」
「ただ知りたいだけです。不正に手に入れた品はどこですか? どこに隠しているのですか?」
「隠し部屋など知らん!」

 食堂は凍りついたかのように静まりました。
 元養父のフサフサ頭から、冷や汗がつうっと流れていきます。

「ええいっ、卑怯な化け物め! 侯爵家の厄介者だったおまえを引き取ってやったのに、この恩知らずが!」

 元養父が椅子を倒して立ち上がり、怒りに任せて私に手を振り上げました。
 そのとき彼の足にネズミが飛びついて、キュッと小さく鳴きます。

「ぎゃあああっ!」

 勢いよく転んだ元養父に、壁の隙間から現れたネズミの群れが一斉に飛びかかります。

「おいっ、リシェラ! これはおまえの仕業っ、耳いぃっ! 鼻をっ! 頭をかじるなあぁっ!」
「そっちに出たわ! そっちにも! そっちにもそっちにもそっちにもっ!」
「いやああぁっ!!」

 元養家に絶叫が響く中、使用人たちは我先にと逃げ出しました。

「誰かっ! お、お義姉様っ! 助けっ、たすけてえぇっ!」
「後悔しても、もう遅いですよ?」

 私は邸を後にします。叫び声がしても振り返る気はありません。
 門を出ると、動物たちがあちこちを跳ね回っています。

「パーティーの準備は順調のようですね」

 宴の盛り上げは、頼もしい友達にお任せして。
 私は奪われた未来を取り戻すために、この手紙を最初の一手として届けに行きます。


 ◆ 元養父 マリスヒル伯爵の不正 ◆


 忌々しい害獣ネズミが食堂から去ると、あの化け物娘はすでにいなかった。
 窓のない隠し部屋でひとり、ワシは裏取引で手に入れた禁制品を確認する。

「……すべてあるようだな。はははっ、これさえあれば復活、フッサフサだ!」

 ワシは鼻歌まじりで薬瓶を取り出し、頭皮に最強毛生え薬を塗布する。

「妻は激ヤセ薬、エレナは超美女薬……もう手放せん!」

 だが裏取引の品は法外な値だ。領地収入だけでは足りない。
 そこでワシは裕福なブリザーイェット前侯爵の娘、リシェラを養女にして多額の教育費を手に入れる計画を立てた。

「あれは急ぐ必要があった。妻のお腹が目立ちはじめたころだったからな」

 ブリザーイェット前侯爵は好色で、家庭に興味がないと有名だった。
 こちらから都合のいい女を送り込めば、財布の紐も、口も緩む。チャンスはすぐ巡ってきた。

「前妻の娘を引き取ってくれと来たもんだ。もちろん、たっぷりの教育費付きでな」

 後妻は前妻の娘をうとんでいたらしい。後妻の機嫌を取りたい前侯爵にとって、ワシという引き取り手は渡りに船だっただろう。

「まぁ、ワシが思っていた以上に、送り込んだ愛人は強欲だったが。前侯爵を刺して、挙句の果てにふたりとも落下死……全部、自業自得さ」

 ワシは悪くない。勝手に死んだのは奴らだ。
 その後、遺された幼児がブリザーイェット侯爵となり、その母親である後妻が侯爵代理として切り盛りしている。それでも教育費の支払いは続いており、ワシは不満もなかった。

「だがリシェラが成人し、教育費の送金はもうない。どうすれば……」

 隠し部屋から私室に戻ると、執事が慌てた様子でやってきた。

「なにぃ? ライハント王子が、リシェラに会いたい……だと?」
「極秘でと」

 リシェラがワシの養女となってからは、ライハント王子があいつに会いに、しょっちゅう訪ねてきた。
 ワシの妻はそれを悔しがった。そしてライハント王子の興味をエレナに向けさせようと、来訪日にリシェラを山奥へ置きざりにした。
 しかしあの化け物……本性を現した。「動物と話せるようになって、道案内をしてもらった」と笑いながら、獣を従えて戻ってきやがった。
 あれから、ライハント王子はマリスヒル伯爵邸に寄りつかなくなった。
 もし奴がリシェラの邪悪な力を吹聴すれば、ワシの立場が危うくなる。ずっとヒヤヒヤしていたが、なぜ今さらになってあいつに会いに来たのか……わからん。

「殿下、ようこそお越しくださいました」

 ライハント王子は金色の髪と瞳を持つ、見た目はいい男だ。おかげで国内の令嬢たちからは、ちやほやされている。
 待てよ、リシェラがいなくなった今こそ、エレナを売り込めるのではないか? 
 そうか、これは絶好の機会! エレナがとつげば、ワシは次期国王の義父!
 王国からの金がドバドバ、夢のように流れてくるってわけだ! 
 ワシは得意の猫なで声で媚を売った。

「本日はどのようなご用件で? 私の愛娘のエレナは、とても美しく……」
「そのようだな。父上も母上もエレナの容姿を気に入っていた」

 だがライハント王子は違うのか、つまらなそうな顔で言った。

「そこでマリスヒル伯爵、エレナを俺の妻にしないか?」
「そ! それは喜んで! では――」
「問題がひとつある……リシェラだ。エレナの義姉が獣と話せると知られれば、この話は成立しない」

 ありえる話だ。ソディエ国王夫妻は獣を嫌悪している。

「だからリシェラを俺に引き渡せ。その後のことは……聞かない方がいい。これは前金だ」

 ライハント王子は革張りのトランクを開く。そこには目もくらむような金貨がきらめいていた。
 ワシはゴクリと生唾を飲んだ。
 これはリシェラを買い取るための金、人身売買だ。国際法では重罪……だが、それがどうした!
 ワシは欲望のまま目の前の輝きに手を伸ばす。

「リシェラを引き渡せるな?」
「そ、それが……あれはエレナの付き添いで不在なのです」

 とっさのでまかせに、ライハント王子の眼差しが鋭くなる。
 しまった。リシェラは絶縁して追い出したばかりだ。

「まあいい。明日、引き取る用意を終えてから来る」

 明日……時間がない! 
 ワシはライハント王子を見送り、邸の前庭に使用人を集める。

「リシェラを捕まえた奴に金貨一枚をくれてやる! 早い者勝ちだ!」
「金貨ァ!?」
「私がもらうわ!」
「バカ言え、俺が先だ!」

 晴れ渡る空の下、金貨に目をギラつかせた使用人たちが一斉に駆け出していく。
 ははは、これならすぐ見つかる!
 だが……リシェラはなぜ、ライハント王子が来ることを知っていたかのようなタイミングで去ったのだろう。
 まぁ、気にするだけムダだ。そう思おうとしても、胸騒ぎがどうにも収まらない。

「獣がまったく見当たらないな……」

 いつもならせいせいするはずが、嵐の予兆のように静まり返って……いや、なにか聞こえる。
 低く不気味な音とともに、足元が震え出す。
 目の前に広がる光景に気づき、思わず息を呑んだ。

「あれは、獣の大群!?」

 大地を揺るがす猛進だ。その勢いはとどまるところを知らず、逃げ惑う使用人たちを次々となぎ倒していく。

「「「ギャアアアッ!!」」」

 野ウサギが顔を蹴飛ばし、リスの行列が服の中へ侵入する。アライグマを背に乗せたイノシシが、地響きを立てて突進する。
 悲鳴が飛び交う中、獣たちの勢いはさらに増し、ワシの邸を襲った。

「ギャッ! やめなさい! これは私のものよ!!」

 妻の悲鳴もむなしく、獣たちは邸を蹂躙しながら外へ飛び出した。その手や口には見覚えのある宝石、そして書類……まさか!

「それは、ワシの裏帳簿! 裏取引の品っ、毛生え薬まで! やめろおぉっ!!」

 ワシの声を聞き、獣の波が向かってくる。恐怖で足がもつれ、そのまま地面に転がった。

「ヒイッ、や、やめ……来るなああぁっ!」

 混沌とする中、すべての元凶である、あの娘の去りゆく姿が脳裏をかすめる。
 ――後悔しても、もう遅いですよ?
 だが、これがリシェラの用意した罰の、ほんの序章だったとは。
 このときのワシには、知る由もなかった。


   ○ ● ○


 そろそろライハント王子が、マリスヒル伯爵に私の売買を持ちかけているはずです。でも、追手の気配はありません。

「取引を邪魔する作戦がうまくいったようですね!」

 そして友達に教えてもらった道を進むと、湖の点在する渡りの森にたどり着きました。
 上空では白い大鳥の群れが旋回しています。

『あら、リシェラじゃない!』

 そのうちの一羽、白亜鳥の長が舞い降りました。

『会えて嬉しいわ。暖かくなってきたし、そろそろ北へ向かうつもりよ』
「すぐ出立することはできますか?」

 ライハント王子が最初に私をあざむいたのは、『白亜鳥たちを救う』という嘘をついたときでした。私はその嘘を信じて、白亜鳥が明朝まで滞在すると彼に教えたのです。

「今夜、ライハント王子の命を受けた密猟者が来ます。あなたたちの羽毛を狙って」
『そんなことが……リシェラ、教えてくれてありがとう。さっそく出発するわ』
「もしよろしければ、私も一緒に連れていってもらえませんか?」

 白亜鳥たちの向かうブリザーイェット侯爵領には、母の故郷へ続く航路があります。
 絶海のフロスベイン諸島までは、元養父もライハント王子も追いかけて来ないでしょう。

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