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30 大聖女の約束
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◇ ◇ ◇
大司教から「大聖女の不調の原因を調べてほしい」と頼まれて三日後。
私は菓子折りを抱え、公爵とともに大聖堂へ向かうため、公爵領の聖堂に来ていた。
帝都までは馬車なら数日。
でも、ここにある転移陣を使えば一瞬だ。
隠し部屋の床には、淡く光る魔術の紋様が刻まれている。
「どうした?」
「転移陣は、初めてなので……」
少し緊張して答えると、公爵が私の肩を抱き寄せてくる。
「足元ではなく、俺を見ていろ」
陣の上に立つと、足元の感覚がふっと抜けた。
瞬きをする間もなく、次の瞬間にはもう別の部屋にいた。
力が抜けて、ふうっと息をつく。
(本当に一瞬で、帝都側の聖堂に着いたようね)
一階へ上がると祖父……というか、大司教が待っていた。
私と目が合うと、一瞬だけ柔らかい笑みを浮かべる。
けれど、その後ろにいる公爵を見た途端、いつもの厳格さが戻った。
「ロブロフォン公爵夫人、ご足労に感謝する。だが……私が呼んだのはあなたであって、なぜ閣下まで?」
「私の妻の護衛です。問題でも?」
私を間にして、夫と祖父が容赦なく火花を散らしている。
(やっぱり仲が悪いのね。三大派閥のトップ同士だし)
「では、教会の……私の馬車で夫人を案内しよう。乗り心地は保証する」
「ありがとうございます。ただし、妻の隣は譲りません」
張り合う二人を横目に、馬車は兵士の威厳と民の活気が入り混じった石造りの街を進む。
やがて帝都の一角にある教会領――大聖堂の門前へと到着した。
降り立つと、清められた香のような気配が鼻先をかすめた。
「ここから先は、魔力を無効化する封魔結界が張られている」
大司教に先導されて、私は公爵と並んで門をくぐる。
その瞬間、草木や人々から自然に滲み出ていた魔力が、ぶつりと途切れた。
魔力の気配が絶たれると、耳鳴りがするほど静かだ。
(猊下の言うとおり、封魔結界は魔力の放出を断つのね)
ステンドグラスが連なる回廊を進み、螺旋階段を上る。
すれ違う聖騎士が多く、大聖女の警護が厳重であることを物語っていた。
やがて尖塔の最上階にたどり着くと、大司教が振り返る。
「大聖女はこの先にいる。だが……私といると落ち着かないようだ。ここから先はすべて、あなたに一任する。私はここで待とう」
「わかりました」
「アルージュ、なにかあれば、すぐ俺を呼べ」
「ありがとうございます」
深呼吸して心を整える。
(大聖女様の不調を癒せるかはわからない。でも……うちの店のお菓子が美味しいのは、間違いない!)
私は重厚な扉に手をかけ、ゆっくりと押し開いた。
部屋の隅には侍女が二人、静かに控えていた。
高窓から差し込む光は床まで届かず、壁際には祭具と分厚い聖典が整然と並んでいる。
磨き上げられた石床に、私の足音がひやりと響いた。
張り詰めたような空気感に、思わず背筋が伸びる。
薄い帳、ヴェールの奥で、人影が揺らいだ。
(この方が、神獣の夢の断片<啓示>を受ける大聖女様……!)
「先日の甘味をお届けに参りました。アルージュ・ロブロフォンと申します」
「どうぞ、おはいりください」
気品のある高い声が、澄んだ鈴のように響く。
侍女がしずしずとヴェールを払った。
「アルージュさま、ようこそおこしくださいました」
(えっ!?)
その先に――白亜のソファに腰掛けていたのは、エトワールより少し大きいくらいの幼女だった。
(か、かわいい……!)
長くつやめく金髪に、大きな黒い瞳。
子猫みたいに少しつり目で、清楚なローブがよく似合っている。
まるで小さな妖精のように愛らしいのに、振る舞いは落ち着きをまとっていた。
(この子が、大聖女様!?)
ふと、大司教が私の店のスイーツを、大量に買い込んでいたことを思い出す。
エトワールに相談したのは、年齢の近い大聖女へ贈るためだったのかもしれない。
(って、納得している場合じゃないわね)
私は平静を装い、一礼した。
「大聖女様。帝国を支えてくださる尊き御方に拝謁でき、光栄の至りにございます」
「かしこまらないでくださいませ、アルージュさま。おあいできて、とてもうれしいですわ。どうぞ、おすわりください」
すすめられるまま、私は向かいに腰を下ろし、包みを開く。
「こちらが本日お持ちした、甘味でございます」
どれが体調に作用するかわからないので、今日は和菓子縛りで攻めてみる。
材料と工程はすべて記録済み。
効いた品があればそこから絞り込み、外れたら次回は洋菓子に方向転換するつもりだ。
「あら、これは……」
大聖女の視線が止まったのは、スライム型のわらび餅だ。
「見たことのない、ふしぎなせいぶつですわ」
「こちらは、スライムという生き物を模したお菓子です。私の息子、三歳なのですが、大のお気に入りなんです。お口に合えば嬉しいのですが」
大聖女は銀の匙でぷるぷるのわらび餅をすくい、そっと口へ運んだ。
「ひんやりして、したにやさしくて……もっちり。あまさがすぐきえないのも、うれしいですわ!」
(食レポまでかわいい!!)
「こちらはなにかしら?」
「たい焼きです。小麦の生地で、あんこを包んで焼いています」
「あんこ……! これをはじめてたべたとき、こころがおどりましたの。さっそくいただきますわ!」
大聖女はぱくりと頬張ると、目をキラキラ輝かせる。
「だいすきなあじですわ!」
それから私の菓子店の甘味や扱っている魔道具について、興味津々で質問された。
気づけば話はすっかり弾んでいた。
――ゴロゴロゴロ
雷鳴が塔を揺らし、空になった皿がかすかに震えた。
(あら? さっきまで晴れていたのに)
高窓の外がいつの間にか陰り、ハッとするほど空が白く光った。
大聖女は驚いたように立ち上がる。
小さな指がこちらへ伸びかけ――けれど、ためらうように引っ込んだ。
(今の……抱っこしてほしそうだったわよね?)
降ろされた小さな手は、雷に耐えるようにぎゅっと握られていた。
「突然の大きな雷鳴でしたね。……もし、大聖女様さえよろしければの話ですが――」
私は両手を膝に置き、静かに誘う。
「ここに、来ていただけませんか?」
大聖女は驚いたように顔を上げ、その頬がふわりと赤く染まる。
「っ、ええ! かまいませんわ!」
ぱたぱたと慌てて駆け寄り、ちょこんと膝の上に乗ってくる。
エトワールより少し背は高いけれど、もっと柔らかい感じ。
私は背後からそっと腕を回す。
大聖女は私の腕に触れ、安心したように微笑んでいた。
◇
「――では大聖女様、本日はありがとうございました」
「え、ええ……」
別れの挨拶をしていると、大聖女は真剣な瞳で私を見上げてきた。
「これで……おわかれ、なのですね?」
「私は明日もお会いしたいと思っておりますが、よろしいでしょうか?」
「! もちろんですわ! ……やくそく、してくださるの?」
「はい。明日は今日よりもっと楽しいと、お約束いたします」
私が手を差し出すと、大聖女は両手でしっかりと包み込み、こくこくとうなずいた。
「わたくし、アルージュさまをおまちしていますわ!」
その明るい声と笑顔は、扉が閉まっても胸の奥に残った。
(これは、ただの社交辞令じゃないわ)
廊下に出ると、公爵と大司教が鋭い視線をぶつけ合っている。
私はまっすぐその間へ歩み寄る。
「猊下。お話があります」
大司教から「大聖女の不調の原因を調べてほしい」と頼まれて三日後。
私は菓子折りを抱え、公爵とともに大聖堂へ向かうため、公爵領の聖堂に来ていた。
帝都までは馬車なら数日。
でも、ここにある転移陣を使えば一瞬だ。
隠し部屋の床には、淡く光る魔術の紋様が刻まれている。
「どうした?」
「転移陣は、初めてなので……」
少し緊張して答えると、公爵が私の肩を抱き寄せてくる。
「足元ではなく、俺を見ていろ」
陣の上に立つと、足元の感覚がふっと抜けた。
瞬きをする間もなく、次の瞬間にはもう別の部屋にいた。
力が抜けて、ふうっと息をつく。
(本当に一瞬で、帝都側の聖堂に着いたようね)
一階へ上がると祖父……というか、大司教が待っていた。
私と目が合うと、一瞬だけ柔らかい笑みを浮かべる。
けれど、その後ろにいる公爵を見た途端、いつもの厳格さが戻った。
「ロブロフォン公爵夫人、ご足労に感謝する。だが……私が呼んだのはあなたであって、なぜ閣下まで?」
「私の妻の護衛です。問題でも?」
私を間にして、夫と祖父が容赦なく火花を散らしている。
(やっぱり仲が悪いのね。三大派閥のトップ同士だし)
「では、教会の……私の馬車で夫人を案内しよう。乗り心地は保証する」
「ありがとうございます。ただし、妻の隣は譲りません」
張り合う二人を横目に、馬車は兵士の威厳と民の活気が入り混じった石造りの街を進む。
やがて帝都の一角にある教会領――大聖堂の門前へと到着した。
降り立つと、清められた香のような気配が鼻先をかすめた。
「ここから先は、魔力を無効化する封魔結界が張られている」
大司教に先導されて、私は公爵と並んで門をくぐる。
その瞬間、草木や人々から自然に滲み出ていた魔力が、ぶつりと途切れた。
魔力の気配が絶たれると、耳鳴りがするほど静かだ。
(猊下の言うとおり、封魔結界は魔力の放出を断つのね)
ステンドグラスが連なる回廊を進み、螺旋階段を上る。
すれ違う聖騎士が多く、大聖女の警護が厳重であることを物語っていた。
やがて尖塔の最上階にたどり着くと、大司教が振り返る。
「大聖女はこの先にいる。だが……私といると落ち着かないようだ。ここから先はすべて、あなたに一任する。私はここで待とう」
「わかりました」
「アルージュ、なにかあれば、すぐ俺を呼べ」
「ありがとうございます」
深呼吸して心を整える。
(大聖女様の不調を癒せるかはわからない。でも……うちの店のお菓子が美味しいのは、間違いない!)
私は重厚な扉に手をかけ、ゆっくりと押し開いた。
部屋の隅には侍女が二人、静かに控えていた。
高窓から差し込む光は床まで届かず、壁際には祭具と分厚い聖典が整然と並んでいる。
磨き上げられた石床に、私の足音がひやりと響いた。
張り詰めたような空気感に、思わず背筋が伸びる。
薄い帳、ヴェールの奥で、人影が揺らいだ。
(この方が、神獣の夢の断片<啓示>を受ける大聖女様……!)
「先日の甘味をお届けに参りました。アルージュ・ロブロフォンと申します」
「どうぞ、おはいりください」
気品のある高い声が、澄んだ鈴のように響く。
侍女がしずしずとヴェールを払った。
「アルージュさま、ようこそおこしくださいました」
(えっ!?)
その先に――白亜のソファに腰掛けていたのは、エトワールより少し大きいくらいの幼女だった。
(か、かわいい……!)
長くつやめく金髪に、大きな黒い瞳。
子猫みたいに少しつり目で、清楚なローブがよく似合っている。
まるで小さな妖精のように愛らしいのに、振る舞いは落ち着きをまとっていた。
(この子が、大聖女様!?)
ふと、大司教が私の店のスイーツを、大量に買い込んでいたことを思い出す。
エトワールに相談したのは、年齢の近い大聖女へ贈るためだったのかもしれない。
(って、納得している場合じゃないわね)
私は平静を装い、一礼した。
「大聖女様。帝国を支えてくださる尊き御方に拝謁でき、光栄の至りにございます」
「かしこまらないでくださいませ、アルージュさま。おあいできて、とてもうれしいですわ。どうぞ、おすわりください」
すすめられるまま、私は向かいに腰を下ろし、包みを開く。
「こちらが本日お持ちした、甘味でございます」
どれが体調に作用するかわからないので、今日は和菓子縛りで攻めてみる。
材料と工程はすべて記録済み。
効いた品があればそこから絞り込み、外れたら次回は洋菓子に方向転換するつもりだ。
「あら、これは……」
大聖女の視線が止まったのは、スライム型のわらび餅だ。
「見たことのない、ふしぎなせいぶつですわ」
「こちらは、スライムという生き物を模したお菓子です。私の息子、三歳なのですが、大のお気に入りなんです。お口に合えば嬉しいのですが」
大聖女は銀の匙でぷるぷるのわらび餅をすくい、そっと口へ運んだ。
「ひんやりして、したにやさしくて……もっちり。あまさがすぐきえないのも、うれしいですわ!」
(食レポまでかわいい!!)
「こちらはなにかしら?」
「たい焼きです。小麦の生地で、あんこを包んで焼いています」
「あんこ……! これをはじめてたべたとき、こころがおどりましたの。さっそくいただきますわ!」
大聖女はぱくりと頬張ると、目をキラキラ輝かせる。
「だいすきなあじですわ!」
それから私の菓子店の甘味や扱っている魔道具について、興味津々で質問された。
気づけば話はすっかり弾んでいた。
――ゴロゴロゴロ
雷鳴が塔を揺らし、空になった皿がかすかに震えた。
(あら? さっきまで晴れていたのに)
高窓の外がいつの間にか陰り、ハッとするほど空が白く光った。
大聖女は驚いたように立ち上がる。
小さな指がこちらへ伸びかけ――けれど、ためらうように引っ込んだ。
(今の……抱っこしてほしそうだったわよね?)
降ろされた小さな手は、雷に耐えるようにぎゅっと握られていた。
「突然の大きな雷鳴でしたね。……もし、大聖女様さえよろしければの話ですが――」
私は両手を膝に置き、静かに誘う。
「ここに、来ていただけませんか?」
大聖女は驚いたように顔を上げ、その頬がふわりと赤く染まる。
「っ、ええ! かまいませんわ!」
ぱたぱたと慌てて駆け寄り、ちょこんと膝の上に乗ってくる。
エトワールより少し背は高いけれど、もっと柔らかい感じ。
私は背後からそっと腕を回す。
大聖女は私の腕に触れ、安心したように微笑んでいた。
◇
「――では大聖女様、本日はありがとうございました」
「え、ええ……」
別れの挨拶をしていると、大聖女は真剣な瞳で私を見上げてきた。
「これで……おわかれ、なのですね?」
「私は明日もお会いしたいと思っておりますが、よろしいでしょうか?」
「! もちろんですわ! ……やくそく、してくださるの?」
「はい。明日は今日よりもっと楽しいと、お約束いたします」
私が手を差し出すと、大聖女は両手でしっかりと包み込み、こくこくとうなずいた。
「わたくし、アルージュさまをおまちしていますわ!」
その明るい声と笑顔は、扉が閉まっても胸の奥に残った。
(これは、ただの社交辞令じゃないわ)
廊下に出ると、公爵と大司教が鋭い視線をぶつけ合っている。
私はまっすぐその間へ歩み寄る。
「猊下。お話があります」
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