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9・1 その後の姿
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***
しかしノアルトは妹たちを見つけるより先に、荒魔竜を倒した。
その直後に断崖から落ち、滝にのまれた。
意識が遠のいていく。
それを阻む警鐘のように、別の自分が叫んでいた。
――まだ生きたい。生きて帰りたい。
(俺は自分であることを諦めていたはずだったのに。こんなに強い感情が眠っていたのか)
彼女が教えてくれた。
(エル……)
気づけばノアルトの目の前に、願っていた人がいる。
(これは夢なのか? でも夢にしても、どうしてそんな顔で……)
エルーシャは笑ってはいなかった。
川辺に倒れたノアルトを案じるように、なにか話しかけてくる。
(聞いている人が安心するような、やさしい声……彼女だ。間違いない)
エル、とかすれた声で呼ぶ。
言葉は届かなかったかもしれない。
それでもエルーシャはあの笑顔を見せてくれた。
「もう大丈夫ですよ、お姉さん」
(ん?)
*
ノアルトは施療院に運ばれて治療を受けた。
自分についての事情をいっさい話さなかったが、エルーシャも無理強いしなかった。
彼女は時間の許す限りノアルトに付き添い、心を込めて介抱した。
そのおかげもあり、ノアルトは数日の療養で施療院を出られるほど回復する。
身元を明かさなかった彼は、エルーシャの暮らす邸館に孤児の名目で保護されることになった。
邸館に着くと、エルーシャに連れられて個室をあてがわれる。
ノアルトは壁に埋め込まれた全身鏡に気付くと、真っ先に駆けつけた。
そこには見覚えのある若い女性が、こちらを見て驚愕する姿が映っている。
「そろそろあなたの名前を教えてくれるかしら?」
「ティアナ……」
「素敵な名前ね、ティアナ。私はエルーシャ。みんなはエルって呼んでるの。ティアナもそうしてね」
(この姿はティアナの若いころだ、間違いない)
ノアルトが最後に見た乳母は、母親の黒魔術の影響で老婆のような姿に変わっていた。
しかし彼は覚えている。
乳母が1枚だけ持っていた写真には、今より若く快活そうな彼女が写っていた。
ノアルトは写真の中の乳母を思い出すたび、胸が痛んだ。
いつか彼女の黒魔術を解きたい。
どうにかあの健やかな姿を取り戻したいと願い続けていた。
(でもまさか、俺の姿がティアナの若いころに変化するのは……なんか違うような)
「ところでティアナ。あなた、魔病で姿が変わっているわね?」
「!」
迷いのない指摘に振り返る。
エルーシャは相手を安心させるような、穏やな笑みを浮かべていた。
「大丈夫、軽度だからあなたや周囲の人に害はないわ。ただ勝手に魔病を治したら、変化する直前の姿に戻ってしまうの。だから一応本人に確認を取ってからにしようと思って。今、治癒していいかしら」
「待ってくれ!」
「?」
ノアルトは鏡に映った自分の姿を見る。
どこからどう見ても「待ってくれ!」という言葉づかいに違和感があった。
「……待ってくれますか?」
「ええ。でもどうしたの?」
(もし俺の魔病が解けてノアルトの姿に戻れば、ロイエが2人いると噂になるはずだ。そうなれば、俺がロイエではないとバレる……)
おそらく黒魔術で人質にされている妹の心臓は止まる。
ノアルトはもう一度鏡に映る自分の姿を見た。
「私の魔病は治さないでくれますか?」
「えっ、治さないの?」
「お願いします。姿が変わっていることを、誰にも知られたくないんです」
(それに今知られれば、俺が施療院でエルに介抱されていたとき、女性になりきって渾身の演技をしていたこともバレる……)
ノアルトの切実な顔を見て、エルーシャはいたわるように彼の肩に手を置いた。
「わかったわ、ティアナの魔病については私たちだけの秘密にしましょう。安心して。まだティアナの話を聞いていなかったし、あなたが魔病を起こしていることは誰にも言っていないから」
エルーシャは事情があると察したのか、なにひとつ追求しなかった。
「しばらくはゆっくり休んだほうがいいわ。わからないことや心配なことがあったら、遠慮せずに聞いてね」
「……ありがとう」
「いいわよ。それに元気になったら、ここでの仕事を覚えてもらうんだから。私の大切な使用人たち、すっごく頼りになるのよ!」
こうして行き場のないノアルトはティアナとして、エルーシャと孤児の暮らす邸館に身を寄せることになる。
「ただし期限があるわ」
「期限?」
ノアルトの疑問に、エルーシャは微笑んだ。
しかしノアルトは妹たちを見つけるより先に、荒魔竜を倒した。
その直後に断崖から落ち、滝にのまれた。
意識が遠のいていく。
それを阻む警鐘のように、別の自分が叫んでいた。
――まだ生きたい。生きて帰りたい。
(俺は自分であることを諦めていたはずだったのに。こんなに強い感情が眠っていたのか)
彼女が教えてくれた。
(エル……)
気づけばノアルトの目の前に、願っていた人がいる。
(これは夢なのか? でも夢にしても、どうしてそんな顔で……)
エルーシャは笑ってはいなかった。
川辺に倒れたノアルトを案じるように、なにか話しかけてくる。
(聞いている人が安心するような、やさしい声……彼女だ。間違いない)
エル、とかすれた声で呼ぶ。
言葉は届かなかったかもしれない。
それでもエルーシャはあの笑顔を見せてくれた。
「もう大丈夫ですよ、お姉さん」
(ん?)
*
ノアルトは施療院に運ばれて治療を受けた。
自分についての事情をいっさい話さなかったが、エルーシャも無理強いしなかった。
彼女は時間の許す限りノアルトに付き添い、心を込めて介抱した。
そのおかげもあり、ノアルトは数日の療養で施療院を出られるほど回復する。
身元を明かさなかった彼は、エルーシャの暮らす邸館に孤児の名目で保護されることになった。
邸館に着くと、エルーシャに連れられて個室をあてがわれる。
ノアルトは壁に埋め込まれた全身鏡に気付くと、真っ先に駆けつけた。
そこには見覚えのある若い女性が、こちらを見て驚愕する姿が映っている。
「そろそろあなたの名前を教えてくれるかしら?」
「ティアナ……」
「素敵な名前ね、ティアナ。私はエルーシャ。みんなはエルって呼んでるの。ティアナもそうしてね」
(この姿はティアナの若いころだ、間違いない)
ノアルトが最後に見た乳母は、母親の黒魔術の影響で老婆のような姿に変わっていた。
しかし彼は覚えている。
乳母が1枚だけ持っていた写真には、今より若く快活そうな彼女が写っていた。
ノアルトは写真の中の乳母を思い出すたび、胸が痛んだ。
いつか彼女の黒魔術を解きたい。
どうにかあの健やかな姿を取り戻したいと願い続けていた。
(でもまさか、俺の姿がティアナの若いころに変化するのは……なんか違うような)
「ところでティアナ。あなた、魔病で姿が変わっているわね?」
「!」
迷いのない指摘に振り返る。
エルーシャは相手を安心させるような、穏やな笑みを浮かべていた。
「大丈夫、軽度だからあなたや周囲の人に害はないわ。ただ勝手に魔病を治したら、変化する直前の姿に戻ってしまうの。だから一応本人に確認を取ってからにしようと思って。今、治癒していいかしら」
「待ってくれ!」
「?」
ノアルトは鏡に映った自分の姿を見る。
どこからどう見ても「待ってくれ!」という言葉づかいに違和感があった。
「……待ってくれますか?」
「ええ。でもどうしたの?」
(もし俺の魔病が解けてノアルトの姿に戻れば、ロイエが2人いると噂になるはずだ。そうなれば、俺がロイエではないとバレる……)
おそらく黒魔術で人質にされている妹の心臓は止まる。
ノアルトはもう一度鏡に映る自分の姿を見た。
「私の魔病は治さないでくれますか?」
「えっ、治さないの?」
「お願いします。姿が変わっていることを、誰にも知られたくないんです」
(それに今知られれば、俺が施療院でエルに介抱されていたとき、女性になりきって渾身の演技をしていたこともバレる……)
ノアルトの切実な顔を見て、エルーシャはいたわるように彼の肩に手を置いた。
「わかったわ、ティアナの魔病については私たちだけの秘密にしましょう。安心して。まだティアナの話を聞いていなかったし、あなたが魔病を起こしていることは誰にも言っていないから」
エルーシャは事情があると察したのか、なにひとつ追求しなかった。
「しばらくはゆっくり休んだほうがいいわ。わからないことや心配なことがあったら、遠慮せずに聞いてね」
「……ありがとう」
「いいわよ。それに元気になったら、ここでの仕事を覚えてもらうんだから。私の大切な使用人たち、すっごく頼りになるのよ!」
こうして行き場のないノアルトはティアナとして、エルーシャと孤児の暮らす邸館に身を寄せることになる。
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