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戊型潜水艦
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「良い天気だな」
伊二六八の艦長田村少佐は部下に言った。
このところ部下が緊張気味であるからだ。
「は、はい。艦長」
返ってきたのが上ずった声だったため、彼等が恐怖で顔が引き攣っていることが容易に想像できた。
彼等が顔を引き攣らせることは仕方が無い。
マリアナでの決戦が行われつつある今、伊二六八は敵船団に向けて急行中だからだ。
伊二六八の現在位置は太平洋上、マリアナ諸島の東側海域だ。
第六艦隊司令部からの情報によれば、この近辺を敵の船団が移動中とのことだ。
規模と位置から推定して上陸部隊の後続部隊、或いは補給部隊と考えられる。
これを襲撃するのが伊二六八に与えられた現在の任務だった。
「なに、いつものように襲撃するだけだ」
そういってタバコを取り出しおもむろに一服吸って見せた。
艦長の余裕のある態度を見てようやく部下達は安堵した。
空気が変わったのを肌で感じた田村少佐は、ようやく満足した。
自分の演技力が無駄で無いことに。
先日までインド洋で船団襲撃をしていた時とは訳が違う。
インド洋の時は、二式大艇の空中哨戒があり、簡単に敵船団の位置を知ることが出来た。
機動艦隊も配置されており、邪魔な護衛艦艇は艦載機の攻撃で排除して貰っていた。
そして田村達潜水艦は丸裸になった船団の商船を艦載機に食われる前に食うのに必死だった。
二ヶ月間の出撃の度に八隻前後の商船を食うのは当たり前。それ以下は艦長の腕が悪いと言われる。
機動部隊はライバルだが同時に敵の航空機や護衛艦艇を排除してくれる心強い味方であある。
潜水艦は悠々と敵を求めて航行できる上、イギリスの資源供給源であるインドから出航する商船は多く、インド洋は絶好の狩り場だ。
敵の対潜部隊がゴロゴロいる中部ソロモンなんかより、遥かに割の良い狩り場だ。
戦果を挙げ意気揚々と根拠地に戻り上陸を楽しむ。英気を養ったら再び出撃して戦果を挙げる。
非常に良い日々だった。
一番良いのは連合艦隊の無茶ぶり、物資や人員の輸送、偵察、散開線配置に付かされずに済むことだ。
獲物である商船を狙ってひたすら自由に洋上を航行出来たのだから。
一緒に協同作戦をとったモンスーン戦隊――ドイツ海軍インド洋派遣Uボート部隊も中々に良い連中だった。
Uボートの戦術を教えてくれたし、上陸が重なれば互いにどんちゃん騒ぎだ。
彼等のドイツビールやイギリス商船から奪ったスコッチで一杯やるのは最高だ。
イギリス軍の空襲があるスリランカではなく後方のペナン帰ったときなど、艦備え付けの小銃を持って第八潜水戦隊の有泉参謀と虎狩りに行ったりと最高の日々を送った。
だが、今いるのは太平洋だ。
機動艦隊は敵機動部隊と戦う為に遙か西の海にいる。
この海域は敵の哨戒機しか飛んでいない。
緊張するなと言う方が無理である。田村自身も緊張していたが、艦長が緊張していると部下も緊張してしまって、任務遂行上宜しくない。
適度な緊張は活力となるが、過度の緊張は要らぬ疲労を与える。八〇名程度の乗員で全てを賄わなければならない潜水艦で士気が低下すれば容易に事故を起こす。
複動二サイクル機関というカタログスペック――機関出力の向上だけを考えて、やたらと改造した結果、構造が複雑で整備が難しく、使う度に煤が溜まって分解清掃が必要な従来型は廃止されてはいる。
代わりに通常ピストン型四サイクル機関が搭載され出力は低いが構造が簡単で整備がしやすいので機関員を少なくしても作業量が減って負担が減っている。
それでも潜水艦の生活は苛酷だ。
無理にでも艦長が鷹揚に構えて余裕を見せなければ、部下の方が身が持たないし、艦の安全も保てない。
だから田村は演技していた。
太平洋の荒波の中を二〇〇〇トンの潜水艦が進むのは酷く揺れるし、波を被る。
幸いにも戊型潜水艦の一艦である伊二六八潜は艦橋が天井で覆われ窓ガラスが付けられていることもあり、艦橋配置の者が波を被ることは少ない。
戊型潜水艦は開戦前に巡潜型、海大型を統一して量産効果を狙い日本海軍史上初一〇〇隻以上の大量生産が行われた潜水艦だった。
全長一〇九メートル、排水量二〇〇〇トン、航続距離二万海里、速力水上二三ノット、水中八ノット、魚雷発射管八門を艦首に集中配備し魚雷を二四本搭載。
巡潜丙型を元にしているため航空艤装はない。
また戦訓により使用機会がほぼ無い備砲は搭載されていない。
大西洋で活躍したドイツ海軍Ⅶ型Uボートと比較される事が多く、三倍以上の排水量があるため、戦後直後より一部界隈で、建造を容易にするため、もっと小型化すべきだったと言われる。
日本本土からアメリカ西海岸まで往復できる過大な航続力と水上航行速度の追求は艦隊決戦から脱却できなかった証拠、とまで言われる始末だ。
しかし、実際に乗っている田村に言わせて貰えばⅦ型Uボートの方が小型すぎる。
寒風吹きすさぶ大西洋の海の上を露天艦橋で過ごすのはぞっとする話だ。
何より海象――海の環境が違う。
海の荒れやすい日本近海で呂型程度の小型の潜水艦が航行するのは難儀だ。
日本の艦艇が大型化しやすいのは、日本近海で起こる荒天に強くするため、その巨体で荒い波に動じず航行できる性能を欲したからである。
波に翻弄されつつあるとは言え、この半分程度の排水量では倍の揺れになっただろう。
ただでさえ狭い艦内に閉じ込められ、劣悪な潜水艦の生活環境が更に悪くなる。
水上航行速度が速いのも、迅速に目的海域に着くため、洋上航行の日数を短縮するためである。
戦後の原子力潜水艦でさえ事実上無限の航続距離を持ちながら六〇日から七五日までしか活動できないのは、艦の機器より艦内の乗組員が先にバテてしまうからだ。
如何に精神主義を追及しがちな帝国海軍でも乗員の疲労を無視する事は出来ず、母港近くの温泉宿を貸し切りにして慰安に努めても、哨戒中の疲労を航行中に消し去ることは出来ない。
よって、洋上航行の日数は制限され、作戦海域での活動時間を長くするために、移動時間を短くすべく水上巡航速力を上げる事になったのだ。
伊二六八の艦長田村少佐は部下に言った。
このところ部下が緊張気味であるからだ。
「は、はい。艦長」
返ってきたのが上ずった声だったため、彼等が恐怖で顔が引き攣っていることが容易に想像できた。
彼等が顔を引き攣らせることは仕方が無い。
マリアナでの決戦が行われつつある今、伊二六八は敵船団に向けて急行中だからだ。
伊二六八の現在位置は太平洋上、マリアナ諸島の東側海域だ。
第六艦隊司令部からの情報によれば、この近辺を敵の船団が移動中とのことだ。
規模と位置から推定して上陸部隊の後続部隊、或いは補給部隊と考えられる。
これを襲撃するのが伊二六八に与えられた現在の任務だった。
「なに、いつものように襲撃するだけだ」
そういってタバコを取り出しおもむろに一服吸って見せた。
艦長の余裕のある態度を見てようやく部下達は安堵した。
空気が変わったのを肌で感じた田村少佐は、ようやく満足した。
自分の演技力が無駄で無いことに。
先日までインド洋で船団襲撃をしていた時とは訳が違う。
インド洋の時は、二式大艇の空中哨戒があり、簡単に敵船団の位置を知ることが出来た。
機動艦隊も配置されており、邪魔な護衛艦艇は艦載機の攻撃で排除して貰っていた。
そして田村達潜水艦は丸裸になった船団の商船を艦載機に食われる前に食うのに必死だった。
二ヶ月間の出撃の度に八隻前後の商船を食うのは当たり前。それ以下は艦長の腕が悪いと言われる。
機動部隊はライバルだが同時に敵の航空機や護衛艦艇を排除してくれる心強い味方であある。
潜水艦は悠々と敵を求めて航行できる上、イギリスの資源供給源であるインドから出航する商船は多く、インド洋は絶好の狩り場だ。
敵の対潜部隊がゴロゴロいる中部ソロモンなんかより、遥かに割の良い狩り場だ。
戦果を挙げ意気揚々と根拠地に戻り上陸を楽しむ。英気を養ったら再び出撃して戦果を挙げる。
非常に良い日々だった。
一番良いのは連合艦隊の無茶ぶり、物資や人員の輸送、偵察、散開線配置に付かされずに済むことだ。
獲物である商船を狙ってひたすら自由に洋上を航行出来たのだから。
一緒に協同作戦をとったモンスーン戦隊――ドイツ海軍インド洋派遣Uボート部隊も中々に良い連中だった。
Uボートの戦術を教えてくれたし、上陸が重なれば互いにどんちゃん騒ぎだ。
彼等のドイツビールやイギリス商船から奪ったスコッチで一杯やるのは最高だ。
イギリス軍の空襲があるスリランカではなく後方のペナン帰ったときなど、艦備え付けの小銃を持って第八潜水戦隊の有泉参謀と虎狩りに行ったりと最高の日々を送った。
だが、今いるのは太平洋だ。
機動艦隊は敵機動部隊と戦う為に遙か西の海にいる。
この海域は敵の哨戒機しか飛んでいない。
緊張するなと言う方が無理である。田村自身も緊張していたが、艦長が緊張していると部下も緊張してしまって、任務遂行上宜しくない。
適度な緊張は活力となるが、過度の緊張は要らぬ疲労を与える。八〇名程度の乗員で全てを賄わなければならない潜水艦で士気が低下すれば容易に事故を起こす。
複動二サイクル機関というカタログスペック――機関出力の向上だけを考えて、やたらと改造した結果、構造が複雑で整備が難しく、使う度に煤が溜まって分解清掃が必要な従来型は廃止されてはいる。
代わりに通常ピストン型四サイクル機関が搭載され出力は低いが構造が簡単で整備がしやすいので機関員を少なくしても作業量が減って負担が減っている。
それでも潜水艦の生活は苛酷だ。
無理にでも艦長が鷹揚に構えて余裕を見せなければ、部下の方が身が持たないし、艦の安全も保てない。
だから田村は演技していた。
太平洋の荒波の中を二〇〇〇トンの潜水艦が進むのは酷く揺れるし、波を被る。
幸いにも戊型潜水艦の一艦である伊二六八潜は艦橋が天井で覆われ窓ガラスが付けられていることもあり、艦橋配置の者が波を被ることは少ない。
戊型潜水艦は開戦前に巡潜型、海大型を統一して量産効果を狙い日本海軍史上初一〇〇隻以上の大量生産が行われた潜水艦だった。
全長一〇九メートル、排水量二〇〇〇トン、航続距離二万海里、速力水上二三ノット、水中八ノット、魚雷発射管八門を艦首に集中配備し魚雷を二四本搭載。
巡潜丙型を元にしているため航空艤装はない。
また戦訓により使用機会がほぼ無い備砲は搭載されていない。
大西洋で活躍したドイツ海軍Ⅶ型Uボートと比較される事が多く、三倍以上の排水量があるため、戦後直後より一部界隈で、建造を容易にするため、もっと小型化すべきだったと言われる。
日本本土からアメリカ西海岸まで往復できる過大な航続力と水上航行速度の追求は艦隊決戦から脱却できなかった証拠、とまで言われる始末だ。
しかし、実際に乗っている田村に言わせて貰えばⅦ型Uボートの方が小型すぎる。
寒風吹きすさぶ大西洋の海の上を露天艦橋で過ごすのはぞっとする話だ。
何より海象――海の環境が違う。
海の荒れやすい日本近海で呂型程度の小型の潜水艦が航行するのは難儀だ。
日本の艦艇が大型化しやすいのは、日本近海で起こる荒天に強くするため、その巨体で荒い波に動じず航行できる性能を欲したからである。
波に翻弄されつつあるとは言え、この半分程度の排水量では倍の揺れになっただろう。
ただでさえ狭い艦内に閉じ込められ、劣悪な潜水艦の生活環境が更に悪くなる。
水上航行速度が速いのも、迅速に目的海域に着くため、洋上航行の日数を短縮するためである。
戦後の原子力潜水艦でさえ事実上無限の航続距離を持ちながら六〇日から七五日までしか活動できないのは、艦の機器より艦内の乗組員が先にバテてしまうからだ。
如何に精神主義を追及しがちな帝国海軍でも乗員の疲労を無視する事は出来ず、母港近くの温泉宿を貸し切りにして慰安に努めても、哨戒中の疲労を航行中に消し去ることは出来ない。
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