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ヨーロッパ戦線と太平洋戦線
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さらにノルマンディーの後、東部戦線でソ連軍がバグラチオン作戦を発動。中央軍集団へ攻撃を開始し白ロシアの奪回を始めた。
これまで、夏にドイツが攻め込み、冬にソ連が反撃して一部奪回するという戦いを繰り広げてきていた東部戦線において、夏にソ連が反撃を行い成功させたのは大きな転換点だった。
ドイツ軍はソ連軍への対応のために更に多くの兵力を割く必要が出てきた。
結果、ノルマンディーに抑え込んでいた西部戦線の兵力が減った。
そこへ膠着状態を打破するためにジョージ・パットンガ第三軍の司令官に任命され、攻撃を行った。
シチリア島作戦の時、野戦病院を訪問したパットンは砲弾神経症で入院した兵士を臆病者と罵り、殴打した。当時、砲弾神経症の事について理解が進んでいないこともあり、パットンの行動は不問にされかけたが、独断専行が多く命令を越えて進撃するパットンを疎ましく思っていた上層部により、司令官を解任。ドイツ軍を引きつける幽霊部隊の指揮官に任命されてしまい英国で待機していた。
だが、ノルマンディー上陸作戦の停滞により、状況を打破するためにパットンは前線の司令官に任命され、戦局打破を期待された。
パットンは期待に応え、攻撃作戦コブラ作戦開始と同時に南下し、ドイツ軍の防衛線を突破。
頑強に抵抗するSS装甲第一二師団<ヒトラー・ユーゲント>が守るファーレーズを陥落させ、戦局を連合軍優勢に傾けた。
もっとも、共同作戦相手の英国軍が慎重に進撃したためドイツ軍の大半を取り逃がしたためパットンは不満だった。
その憂さ晴らしを晴らすように、パットンは司令部の制止命令も聞かず、攻撃を続行。「私に用があるときは先頭を走っている戦車に来い」と公言し実行する積極派のパットンは常に攻撃を命じ、部下達も従った。
毀誉褒貶激しいパットンだが、敵視する者であってもパットンの勇猛果敢さは否定できなかった。
事実、パットンはその後、ドイツ軍顔負けの電撃戦を展開。
抵抗する部隊を見つけると迂回し後方に回ることで、敵を孤立させ降伏させる戦法を使い二週間で一〇〇〇キロを進軍。
フランス解放の立役者となった。
西部戦線のドイツ軍の特殊な事情もパットンに有利に働いた。
当時、ドイツ軍には第六軍司令官パウルス元帥、装甲軍司令官ロンメル元帥、西方総軍司令官ルントシュテット元帥の三人の元帥がいた。
最先任はルントシュテット元帥だったが、同階級の者三人が存在する事となり、指揮系統に混乱が生じた。
これまではアイゼンハワーが慎重な進撃を行っていたため、問題にならなかったが、対立は始まっていた。
そのため電撃戦を行うパットンへの対応が遅れ、進撃を許すことになった。
これを調停したのが、彼らの上官である総統ヒトラーだった。
彼らの上位に位置するヒトラーが命令することでドイツ軍の混乱は解消した。
これによりバルバロッサ、ブラウなどの作戦失敗で失墜したヒトラーの軍への権威は幾分か回復した。
もっとも、軍が混乱するよう、戦功者を気前よく昇進させ多数の元帥を生み出し、軍のまとまりを無くし、統率者としてヒトラーが引き立つようにしたヒトラーの組織運営術が発揮されたともいえる。
独裁者故に一人の部下に権力が集中することを恐れ、権力分散を図る典型的な独裁者の人事ともいえ、西部戦線の混乱の原因となった。
だが、結果的に、あるいは目論見通りヒトラーは求められ、権威は回復した。そのヒトラーが
「連合軍による再度のノルウェー反攻を防ぐ為、更に防備を固めなくてはならない!」
と命じたことで、西部戦線への増援部隊は減らされた。
直後に起きたヒトラー暗殺未遂事件で首謀者が元陸軍元帥である上、現役将校が多数加わっていたため、国防軍の権威が落ちたことも、ヒトラーの影響力を高める原因となった。
そのためノルウェーの防備は更に強まり、デーニッツが転用を求めていた十数隻のUボートの引き抜きもノルウェーの防備のために留め置かれ、大西洋の戦いと西部戦線の戦いを有利に進める原因となった。
決してノルウェー侵攻作戦は無駄ではなかった。
だが失敗は失敗であり、損害が出ていたし、この結果が明らかになるのは戦後だ。
チャーチルの強引さと独断を掣肘し、連合国における主導権をアメリカが握るためにもルーズベルトは釘を刺した。
「ですが、これ以上余計な事をしないのならば、太平洋での日本への攻撃を強めましょう」
「本当ですか?」
「ええ、日本軍のインドへの道となるフィリピンを攻略し、日本のインド洋への進撃路を遮断します。インド洋の日本軍は撤退を余儀なくされるでしょう」
ハリファックスは思わず笑みを浮かべた。
日本軍のシーレーンの要であるフィリピンが陥落すれば、ルーズベルト大統領が言うようにインド洋への補給線は寸断され、インド洋から撤退せざるを得なくなる。
英国は労せずして、インド洋を奪回できる。
「何時ですか?」
ハリファックスは身を乗り出して尋ねた。
「来月までには」
「本当ですか?」
「今月中に根拠地となるパラオ周辺、ペリリューとウルシー環礁を攻略します」
「首相に報告しても?」
「勿論、今度のケベック会談でチャーチル首相とお約束して良い」
「よろしくお願いしますよ」
英国大使は念を押すとホワイトハウスから退出した。
これまで、夏にドイツが攻め込み、冬にソ連が反撃して一部奪回するという戦いを繰り広げてきていた東部戦線において、夏にソ連が反撃を行い成功させたのは大きな転換点だった。
ドイツ軍はソ連軍への対応のために更に多くの兵力を割く必要が出てきた。
結果、ノルマンディーに抑え込んでいた西部戦線の兵力が減った。
そこへ膠着状態を打破するためにジョージ・パットンガ第三軍の司令官に任命され、攻撃を行った。
シチリア島作戦の時、野戦病院を訪問したパットンは砲弾神経症で入院した兵士を臆病者と罵り、殴打した。当時、砲弾神経症の事について理解が進んでいないこともあり、パットンの行動は不問にされかけたが、独断専行が多く命令を越えて進撃するパットンを疎ましく思っていた上層部により、司令官を解任。ドイツ軍を引きつける幽霊部隊の指揮官に任命されてしまい英国で待機していた。
だが、ノルマンディー上陸作戦の停滞により、状況を打破するためにパットンは前線の司令官に任命され、戦局打破を期待された。
パットンは期待に応え、攻撃作戦コブラ作戦開始と同時に南下し、ドイツ軍の防衛線を突破。
頑強に抵抗するSS装甲第一二師団<ヒトラー・ユーゲント>が守るファーレーズを陥落させ、戦局を連合軍優勢に傾けた。
もっとも、共同作戦相手の英国軍が慎重に進撃したためドイツ軍の大半を取り逃がしたためパットンは不満だった。
その憂さ晴らしを晴らすように、パットンは司令部の制止命令も聞かず、攻撃を続行。「私に用があるときは先頭を走っている戦車に来い」と公言し実行する積極派のパットンは常に攻撃を命じ、部下達も従った。
毀誉褒貶激しいパットンだが、敵視する者であってもパットンの勇猛果敢さは否定できなかった。
事実、パットンはその後、ドイツ軍顔負けの電撃戦を展開。
抵抗する部隊を見つけると迂回し後方に回ることで、敵を孤立させ降伏させる戦法を使い二週間で一〇〇〇キロを進軍。
フランス解放の立役者となった。
西部戦線のドイツ軍の特殊な事情もパットンに有利に働いた。
当時、ドイツ軍には第六軍司令官パウルス元帥、装甲軍司令官ロンメル元帥、西方総軍司令官ルントシュテット元帥の三人の元帥がいた。
最先任はルントシュテット元帥だったが、同階級の者三人が存在する事となり、指揮系統に混乱が生じた。
これまではアイゼンハワーが慎重な進撃を行っていたため、問題にならなかったが、対立は始まっていた。
そのため電撃戦を行うパットンへの対応が遅れ、進撃を許すことになった。
これを調停したのが、彼らの上官である総統ヒトラーだった。
彼らの上位に位置するヒトラーが命令することでドイツ軍の混乱は解消した。
これによりバルバロッサ、ブラウなどの作戦失敗で失墜したヒトラーの軍への権威は幾分か回復した。
もっとも、軍が混乱するよう、戦功者を気前よく昇進させ多数の元帥を生み出し、軍のまとまりを無くし、統率者としてヒトラーが引き立つようにしたヒトラーの組織運営術が発揮されたともいえる。
独裁者故に一人の部下に権力が集中することを恐れ、権力分散を図る典型的な独裁者の人事ともいえ、西部戦線の混乱の原因となった。
だが、結果的に、あるいは目論見通りヒトラーは求められ、権威は回復した。そのヒトラーが
「連合軍による再度のノルウェー反攻を防ぐ為、更に防備を固めなくてはならない!」
と命じたことで、西部戦線への増援部隊は減らされた。
直後に起きたヒトラー暗殺未遂事件で首謀者が元陸軍元帥である上、現役将校が多数加わっていたため、国防軍の権威が落ちたことも、ヒトラーの影響力を高める原因となった。
そのためノルウェーの防備は更に強まり、デーニッツが転用を求めていた十数隻のUボートの引き抜きもノルウェーの防備のために留め置かれ、大西洋の戦いと西部戦線の戦いを有利に進める原因となった。
決してノルウェー侵攻作戦は無駄ではなかった。
だが失敗は失敗であり、損害が出ていたし、この結果が明らかになるのは戦後だ。
チャーチルの強引さと独断を掣肘し、連合国における主導権をアメリカが握るためにもルーズベルトは釘を刺した。
「ですが、これ以上余計な事をしないのならば、太平洋での日本への攻撃を強めましょう」
「本当ですか?」
「ええ、日本軍のインドへの道となるフィリピンを攻略し、日本のインド洋への進撃路を遮断します。インド洋の日本軍は撤退を余儀なくされるでしょう」
ハリファックスは思わず笑みを浮かべた。
日本軍のシーレーンの要であるフィリピンが陥落すれば、ルーズベルト大統領が言うようにインド洋への補給線は寸断され、インド洋から撤退せざるを得なくなる。
英国は労せずして、インド洋を奪回できる。
「何時ですか?」
ハリファックスは身を乗り出して尋ねた。
「来月までには」
「本当ですか?」
「今月中に根拠地となるパラオ周辺、ペリリューとウルシー環礁を攻略します」
「首相に報告しても?」
「勿論、今度のケベック会談でチャーチル首相とお約束して良い」
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