ストレンジストーリー

彼氏になった彼女

彼は新しい自分の姿に慣れることができず、鏡を見るたびに感じる違和感と戦っていた。家族も友人も彼が元々「女性」だったと信じ込んでいる。自分以外の世界全体が、まるで彼の過去を上書きしたかのように振る舞っていた。

唯一、彼の心の支えとなっていたのは、ずっと付き合っていた彼女・美咲のことだった。彼女なら、この異変に気づいてくれるかもしれない。美咲は自分をよく理解してくれていたし、何か手がかりをつかめるかもしれないという希望があった。

彼は震える手でスマホを取り出し、美咲に電話をかけた。呼び出し音が数回鳴り、やがて電話が繋がった。

「もしもし、美咲？俺、ちょっと話があるんだ。すごく変なことが起きて……」

電話の向こうから聞こえてきた声は、いつもの柔らかな美咲の声ではなかった。代わりに、低く落ち着いた男性の声が返ってきた。

「え？何を言ってるんだ奈津美、急に？大丈夫か？」

彼は一瞬、電話をかけ間違えたかと思った。しかし、表示されている名前は確かに「美咲」だ。混乱しながらも、もう一度話しかけた。

「美咲…だよね？俺だよ。変なことが起きたんだ、朝起きたら俺が女になってて……」

だが、返ってきたのはさらに困惑した声だった。

「おい、奈津美、どうしたんだ？俺は美咲だよ。お前、何を言ってるんだ？いつからそんな冗談を言うようになったんだ？」

彼は耳を疑った。「俺」？美咲が「俺」と言った？まさかと思いつつも、冷たい汗が背中を伝った。声の主は確かに美咲だと名乗ったが、その声も話し方も、以前とはまるで別人のようだった。

「ちょっと待って、なんでそんな男みたいな声で話してるんだ？お前、美咲だったよな？」

「は？何を言ってるんだ、奈津美？俺は美咲だよ。付き合ってるのはお前と俺だろ？どうしてそんなおかしなことを言うんだ？」

彼は頭が混乱していた。今まで確かに「彼女」として付き合っていた美咲が、まるで「彼氏」であったかのように話している。彼の中で現実感がどんどん崩れていくのを感じた。

「待って、待ってくれ…俺たちは、俺が男で、お前が女だっただろ？それが普通だよな？」

しかし、美咲――いや、今は「彼氏」になっている美咲――はため息をついた。

「お前、本当にどうしちゃったんだ？ずっとお前は女だろ。俺たち、逆の立場じゃないか。お前が俺の彼女で、俺が彼氏だろ？変な話をするのはやめてくれ。」

その言葉に、彼の心は凍りついた。どうやら、アプリの影響は彼だけではなく、周囲のすべてに波及していたのだ。自分の存在が「女性」として改変されただけでなく、付き合っていた美咲までもが「彼氏」としての認識に変えられていた。

「そんな……嘘だろ……？」

彼は力なく座り込み、電話を持つ手が震えていた。彼女であったはずの美咲が、今では彼氏として彼を愛しているという現実。彼が求めていた「助け」はここにはなかった。

「奈津美、具合が悪いなら無理せずに休めよ。何かあったら俺がすぐに行くからさ。お前のこと、ちゃんと支えるから心配するな。」

電話の向こうの美咲は、優しい声でそう言った。それは昔と変わらない愛情のこもった声だった。しかし、その関係は、今や全く異なるものになっていた。

彼は、恐怖と混乱の中で電話を切った。世界が完全に狂ってしまった。そして、自分以外の誰も、その異変に気づいていない。

「もう、どうしたらいいんだ……？」

彼はただ、崩れ落ちるようにその場に座り込み、現実が遠のいていく感覚に身を委ねるしかなかった。