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目覚めの朝
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朝、目が覚めた瞬間、どちらの体になっているかで、今日の運命が決まる。
「……はあ、またアンタか」
中田香織は、鏡の中の顔を見てそう吐き捨てた。いや、正確には彼女の意識が表層を支配している間はそう名乗っているけれど、同じ顔を持つもう一つの意識、中田薫にとってはそれが「もう一つの体」だ。
「おはよう、香織。まだ寝起きでイライラしてる?」
鏡に映る表情は冷めていたが、内側から響く薫の声はどこまでも穏やかだった。双子の姉と弟——ただし、魂だけが双子であり、体は一つ。生まれてこのかた十七年、この奇妙な共存は続いている。
「まったく、今日ってば水曜日よ。午後は体育、しかもバスケ。お願いだから交代してよ、あんたの方が走るの得意でしょ」
「香織、俺だってあんまり人前で動き回るのは好きじゃないんだけどな……まあいいや。じゃあ体育は引き受けるけど、英語のスピーチはよろしく。前に俺がやったとき、文法ミスで先生に笑われた」
「了解。貸し借りね」
二人の会話は声にならない。思考の中で交わされる、まるで呼吸のように自然なやり取り。周囲には当然知られていない。誰が信じるだろう、一つの体に男女二人の魂が共存していて、日によって人格が入れ替わったり、時には会話したりしているなんて。
教師も、クラスメートも、二人を「ちょっと変わった子」として片づけてきた。薫のときは無口で物静か。香織のときは理屈っぽくてちょっと気が強い。
制服のネクタイを締めながら、香織がふと小声で言った。
「ねえ薫、たまに思うんだけど……普通って、何なんだろうね」
「いきなり哲学? どうしたの」
「最近、夢を見るの。あんたと私が別々の体で、生まれて、暮らしてる夢。目が覚めたら泣いてるの。なんでだろ」
薫はしばらく黙っていた。彼はこの世界に「後から来た」のだという。物心ついたときにはもう、香織という自我が存在していて、その中に彼の意識が現れた。だからどちらが本体かなんて、もう意味のない問いだった。
「もしかしたら、どこかの世界では本当にそうだったのかもね。俺たちが双子で、それぞれに体があって……でも、こっちの世界では、こうやって一緒にいる。それって、不幸なことかな?」
「わかんない。でも、誰にも話せないのが一番つらい。好きな人ができても、告白なんてできない。だって、あんたが見てるんでしょ?」
そのとき、アラームがもう一度鳴った。通学時間だ。香織は深く息を吸い込むと、鏡に向かって微笑んだ。
「とりあえず、今日も行きましょうか。『私たち』の一日が始まるよ」
「うん。香織、今日もよろしくね」
制服のスカートを整え、玄関の扉を開ける。六月の風が頬を撫でた。ふたりの物語はまだ、誰にも知られていない。
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「……はあ、またアンタか」
中田香織は、鏡の中の顔を見てそう吐き捨てた。いや、正確には彼女の意識が表層を支配している間はそう名乗っているけれど、同じ顔を持つもう一つの意識、中田薫にとってはそれが「もう一つの体」だ。
「おはよう、香織。まだ寝起きでイライラしてる?」
鏡に映る表情は冷めていたが、内側から響く薫の声はどこまでも穏やかだった。双子の姉と弟——ただし、魂だけが双子であり、体は一つ。生まれてこのかた十七年、この奇妙な共存は続いている。
「まったく、今日ってば水曜日よ。午後は体育、しかもバスケ。お願いだから交代してよ、あんたの方が走るの得意でしょ」
「香織、俺だってあんまり人前で動き回るのは好きじゃないんだけどな……まあいいや。じゃあ体育は引き受けるけど、英語のスピーチはよろしく。前に俺がやったとき、文法ミスで先生に笑われた」
「了解。貸し借りね」
二人の会話は声にならない。思考の中で交わされる、まるで呼吸のように自然なやり取り。周囲には当然知られていない。誰が信じるだろう、一つの体に男女二人の魂が共存していて、日によって人格が入れ替わったり、時には会話したりしているなんて。
教師も、クラスメートも、二人を「ちょっと変わった子」として片づけてきた。薫のときは無口で物静か。香織のときは理屈っぽくてちょっと気が強い。
制服のネクタイを締めながら、香織がふと小声で言った。
「ねえ薫、たまに思うんだけど……普通って、何なんだろうね」
「いきなり哲学? どうしたの」
「最近、夢を見るの。あんたと私が別々の体で、生まれて、暮らしてる夢。目が覚めたら泣いてるの。なんでだろ」
薫はしばらく黙っていた。彼はこの世界に「後から来た」のだという。物心ついたときにはもう、香織という自我が存在していて、その中に彼の意識が現れた。だからどちらが本体かなんて、もう意味のない問いだった。
「もしかしたら、どこかの世界では本当にそうだったのかもね。俺たちが双子で、それぞれに体があって……でも、こっちの世界では、こうやって一緒にいる。それって、不幸なことかな?」
「わかんない。でも、誰にも話せないのが一番つらい。好きな人ができても、告白なんてできない。だって、あんたが見てるんでしょ?」
そのとき、アラームがもう一度鳴った。通学時間だ。香織は深く息を吸い込むと、鏡に向かって微笑んだ。
「とりあえず、今日も行きましょうか。『私たち』の一日が始まるよ」
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制服のスカートを整え、玄関の扉を開ける。六月の風が頬を撫でた。ふたりの物語はまだ、誰にも知られていない。
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