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一人遊びの子供
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風が少し強くなり、公園の木々がざわりと音を立てた。その音に背中を押されるようにして、美咲は視線を上げた。
――いた。
公園の奥、滑り台のそば。小さな背中が、砂場にしゃがみ込んでいる。半ズボンに白いシャツ。両手でスコップを握り、黙々と砂を掘っては、ひっくり返したバケツに詰めている。
幼い頃の、自分自身だった。
胸の奥が、ひどく静かになった。驚きも、動揺も、さっきまでの記憶のような痛みもない。ただ、現実としてそこに「いる」ことを、身体が理解しただけだった。
美咲は反射的に、一歩下がった。見つかってはいけない。声をかけてはいけない。近づいてはいけない。頭では分かっている。その一方で、目だけは、どうしても離せなかった。
男の子はひとりだった。周囲に母親の姿も、他の子どももいない。時折、顔を上げては、誰かを探すように公園の入口の方を見るが、すぐにまた砂場へ視線を戻す。
――待ってるんだ。
誰かを。理由もはっきりしないまま、ただ、来るかもしれない誰かを。
その姿を見て、美咲の胸がわずかに痛んだ。あの感覚を、よく知っている。期待しているふりをしながら、同時に、来ないだろうと分かっている、あの曖昧な時間。
男の子は、砂で小さな山を作り始めた。何度も崩れては、また積み直す。誰に見せるわけでもなく、完成を喜ぶわけでもない。ただ、そうすることで時間を過ごしている。
美咲は、公園の外れにある木の陰に身を寄せた。フェンス越しなら、視線が合うことはない。距離を保ったまま、見守ることができる。
――ああ、そうだった。
自分は、こうして遊んでいた。ひとりでも平気なふりをして。寂しくないと、自分に言い聞かせながら。
男の子は突然立ち上がり、滑り台の階段をよじ登った。途中で足を踏み外しそうになり、思わず手すりにしがみつく。その瞬間、美咲の喉がきゅっと締まった。
「気をつけて」
声が出そうになるのを、必死でこらえる。言ってはいけない。届いてはいけない。
男の子は何事もなかったかのように滑り台の上に立ち、勢いよく滑り降りた。着地の瞬間、少しだけ尻もちをついたが、すぐに立ち上がる。そして、誰に見せるでもなく、誇らしげに胸を張った。
その仕草に、美咲は思わず微笑んだ。
――大丈夫だ。
転んでも、失敗しても、ちゃんと立ち上がる。そうやって、この子は生きていく。
男の子は、また砂場に戻り、今度は棒切れで地面に何かを描き始めた。円のようにも、家のようにも見える形。途中で自分でも分からなくなり、首を傾げる。
その姿を見て、美咲はふと気づいた。
この時間は、孤独な記憶として残っていた。でも今、外から見ていると、そこには「静けさ」も「集中」もあった。ただ寂しいだけの時間ではなかったのだ。
美咲は、ゆっくりと息を吐いた。
過去を変えるために来たわけではない。慰めるためでも、教えるためでもない。ただ、見守るために、ここにいる。
男の子が突然こちらを向いた。
心臓が跳ねる。
一瞬、視線が絡みそうになった。だが、木の影と距離のおかげで、男の子は首を傾げただけで、すぐに別の方向へ視線を移した。
美咲は、思わず胸に手を当てた。
――見つからなくていい。
――知らなくていい。
この子は、このまま進めばいい。
やがて、公園の外から母親の声が聞こえた。
「たっちゃん、帰るよ」
男の子は、ぱっと顔を上げ、「はーい!」と大きな声で返事をする。砂を軽く払って立ち上がり、小走りで出口へ向かっていく。
その小さな背中が、夕暮れの光の中に溶けていくのを、美咲は最後まで見届けた。
完全に姿が消えたあと、彼女はようやく木の影から出た。誰もいない砂場に、さっきまでの足跡だけが残っている。
「……行ってらっしゃい」
届かない声を、空に落とす。
時間は、確かに流れていた。過去も、現在も、同じ速度で。
美咲は静かに公園を後にした。胸の奥には、後悔ではなく、確かな温かさが残っていた。見守ることしかできなかったけれど、それで十分だと、今は思えた。
――いた。
公園の奥、滑り台のそば。小さな背中が、砂場にしゃがみ込んでいる。半ズボンに白いシャツ。両手でスコップを握り、黙々と砂を掘っては、ひっくり返したバケツに詰めている。
幼い頃の、自分自身だった。
胸の奥が、ひどく静かになった。驚きも、動揺も、さっきまでの記憶のような痛みもない。ただ、現実としてそこに「いる」ことを、身体が理解しただけだった。
美咲は反射的に、一歩下がった。見つかってはいけない。声をかけてはいけない。近づいてはいけない。頭では分かっている。その一方で、目だけは、どうしても離せなかった。
男の子はひとりだった。周囲に母親の姿も、他の子どももいない。時折、顔を上げては、誰かを探すように公園の入口の方を見るが、すぐにまた砂場へ視線を戻す。
――待ってるんだ。
誰かを。理由もはっきりしないまま、ただ、来るかもしれない誰かを。
その姿を見て、美咲の胸がわずかに痛んだ。あの感覚を、よく知っている。期待しているふりをしながら、同時に、来ないだろうと分かっている、あの曖昧な時間。
男の子は、砂で小さな山を作り始めた。何度も崩れては、また積み直す。誰に見せるわけでもなく、完成を喜ぶわけでもない。ただ、そうすることで時間を過ごしている。
美咲は、公園の外れにある木の陰に身を寄せた。フェンス越しなら、視線が合うことはない。距離を保ったまま、見守ることができる。
――ああ、そうだった。
自分は、こうして遊んでいた。ひとりでも平気なふりをして。寂しくないと、自分に言い聞かせながら。
男の子は突然立ち上がり、滑り台の階段をよじ登った。途中で足を踏み外しそうになり、思わず手すりにしがみつく。その瞬間、美咲の喉がきゅっと締まった。
「気をつけて」
声が出そうになるのを、必死でこらえる。言ってはいけない。届いてはいけない。
男の子は何事もなかったかのように滑り台の上に立ち、勢いよく滑り降りた。着地の瞬間、少しだけ尻もちをついたが、すぐに立ち上がる。そして、誰に見せるでもなく、誇らしげに胸を張った。
その仕草に、美咲は思わず微笑んだ。
――大丈夫だ。
転んでも、失敗しても、ちゃんと立ち上がる。そうやって、この子は生きていく。
男の子は、また砂場に戻り、今度は棒切れで地面に何かを描き始めた。円のようにも、家のようにも見える形。途中で自分でも分からなくなり、首を傾げる。
その姿を見て、美咲はふと気づいた。
この時間は、孤独な記憶として残っていた。でも今、外から見ていると、そこには「静けさ」も「集中」もあった。ただ寂しいだけの時間ではなかったのだ。
美咲は、ゆっくりと息を吐いた。
過去を変えるために来たわけではない。慰めるためでも、教えるためでもない。ただ、見守るために、ここにいる。
男の子が突然こちらを向いた。
心臓が跳ねる。
一瞬、視線が絡みそうになった。だが、木の影と距離のおかげで、男の子は首を傾げただけで、すぐに別の方向へ視線を移した。
美咲は、思わず胸に手を当てた。
――見つからなくていい。
――知らなくていい。
この子は、このまま進めばいい。
やがて、公園の外から母親の声が聞こえた。
「たっちゃん、帰るよ」
男の子は、ぱっと顔を上げ、「はーい!」と大きな声で返事をする。砂を軽く払って立ち上がり、小走りで出口へ向かっていく。
その小さな背中が、夕暮れの光の中に溶けていくのを、美咲は最後まで見届けた。
完全に姿が消えたあと、彼女はようやく木の影から出た。誰もいない砂場に、さっきまでの足跡だけが残っている。
「……行ってらっしゃい」
届かない声を、空に落とす。
時間は、確かに流れていた。過去も、現在も、同じ速度で。
美咲は静かに公園を後にした。胸の奥には、後悔ではなく、確かな温かさが残っていた。見守ることしかできなかったけれど、それで十分だと、今は思えた。
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