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高橋秀一
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日曜日の昼過ぎ、陽射しはやわらかく、影は短い。美咲は特に目的もなく、アパートの周囲をゆっくりと歩いていた。足取りは自然と、いつもの散歩道へ向かっている。
――今ごろ、どうしているんだろう。
節子と、若い頃の父・武。
昨日まで一緒に働いていた同僚が、今日は父と並んで歩いているかもしれない。その光景を想像すると、胸の奥がきゅっと締めつけられる。心配なのか、戸惑いなのか、それともただの癖のような思考なのか、自分でもよく分からない。
川沿いの道を歩きながら、風に揺れる草を眺める。水面が光を反射し、時折、子どもの笑い声が遠くから聞こえてくる。時間は穏やかに流れているのに、自分の内側だけが、どこか落ち着かない。
「……うまく、いってるといいな」
小さく呟いたその声は、風に溶けて消えた。
「この辺りを、よく散歩されてますよね」
突然、横から声をかけられ、美咲は思わず立ち止まった。驚いて振り向くと、同じくらいの年頃の男が、少し距離を保って立っている。
短く整えられた髪に、穏やかな表情。派手さはないが、清潔感のある服装だった。
「あ……」
一瞬、言葉に詰まる。
「急にすみません。何度か見かけたことがあって」
男は慌てたように手を振った。
「この辺りをよく散歩していますね。散歩が好きなんですか?」
探るようでもあり、押しつけがましくもない聞き方だった。
「はい」
美咲は、素直に頷いた。
「そうなんですね」
男は、少し嬉しそうに笑った。
「俺も、散歩が好きなんです」
その一言で、場の空気がふっと和らぐ。
「仕事が休みの日とか、考え事があると、つい歩いてしまって」
「……分かる気がします」
美咲は、思わずそう答えていた。
「考え事、整理されますよね」
「ええ。歩いてると、頭の中が静かになるというか」
男は頷き、少し照れたように言った。
「高橋秀一って言います」
「田中美咲です」
名乗り合っただけなのに、不思議と緊張はなかった。知らない人なのに、初めて会った気がしない。そんな感覚。
「この先、川がきれいですよね」
「はい。私も、そこまで行くことが多いです」
「よかったら、一緒に歩きませんか?」
少しだけ、遠慮がちに。
「……はい」
二人は並んで歩き始めた。会話は、特別な話題ではなかった。天気のこと、近所の店のこと、休日の過ごし方。けれど、そのどれもが、心地よく続いた。
「美咲さん、落ち着いてますよね」
「そうですか?」
「ええ。話してると、安心する」
その言葉に、美咲は一瞬、胸が温かくなるのを感じた。節子に言われたのと、同じ言葉だった。
「高橋さんも、優しい話し方ですね」
「そう言われるの、初めてかも」
二人は小さく笑った。
気づけば、節子や武のことを考えていた頭は、すっかり別の場所へ移っていた。今ここにあるのは、日曜日の午後と、並んで歩く足音だけ。
――こういう時間も、あるんだ。
過去に来てから、美咲は「再会」ばかりを重ねてきた。血縁、運命、逃れられない関係。その中で、今日の出会いは、何のしがらみもない、ただの「今」だった。
「また、会ったら散歩しましょう」
別れ際、高橋はそう言った。
「はい」
その返事は、自然に口をついて出た。
背中を見送りながら、美咲は空を見上げた。日曜日の昼過ぎの空は、変わらず穏やかだった。
節子と父のデートは、今もどこかで続いているかもしれない。けれど、美咲の世界は、それだけではなかった。
新しい関係が、静かに、確かに、芽を出し始めていた。
――今ごろ、どうしているんだろう。
節子と、若い頃の父・武。
昨日まで一緒に働いていた同僚が、今日は父と並んで歩いているかもしれない。その光景を想像すると、胸の奥がきゅっと締めつけられる。心配なのか、戸惑いなのか、それともただの癖のような思考なのか、自分でもよく分からない。
川沿いの道を歩きながら、風に揺れる草を眺める。水面が光を反射し、時折、子どもの笑い声が遠くから聞こえてくる。時間は穏やかに流れているのに、自分の内側だけが、どこか落ち着かない。
「……うまく、いってるといいな」
小さく呟いたその声は、風に溶けて消えた。
「この辺りを、よく散歩されてますよね」
突然、横から声をかけられ、美咲は思わず立ち止まった。驚いて振り向くと、同じくらいの年頃の男が、少し距離を保って立っている。
短く整えられた髪に、穏やかな表情。派手さはないが、清潔感のある服装だった。
「あ……」
一瞬、言葉に詰まる。
「急にすみません。何度か見かけたことがあって」
男は慌てたように手を振った。
「この辺りをよく散歩していますね。散歩が好きなんですか?」
探るようでもあり、押しつけがましくもない聞き方だった。
「はい」
美咲は、素直に頷いた。
「そうなんですね」
男は、少し嬉しそうに笑った。
「俺も、散歩が好きなんです」
その一言で、場の空気がふっと和らぐ。
「仕事が休みの日とか、考え事があると、つい歩いてしまって」
「……分かる気がします」
美咲は、思わずそう答えていた。
「考え事、整理されますよね」
「ええ。歩いてると、頭の中が静かになるというか」
男は頷き、少し照れたように言った。
「高橋秀一って言います」
「田中美咲です」
名乗り合っただけなのに、不思議と緊張はなかった。知らない人なのに、初めて会った気がしない。そんな感覚。
「この先、川がきれいですよね」
「はい。私も、そこまで行くことが多いです」
「よかったら、一緒に歩きませんか?」
少しだけ、遠慮がちに。
「……はい」
二人は並んで歩き始めた。会話は、特別な話題ではなかった。天気のこと、近所の店のこと、休日の過ごし方。けれど、そのどれもが、心地よく続いた。
「美咲さん、落ち着いてますよね」
「そうですか?」
「ええ。話してると、安心する」
その言葉に、美咲は一瞬、胸が温かくなるのを感じた。節子に言われたのと、同じ言葉だった。
「高橋さんも、優しい話し方ですね」
「そう言われるの、初めてかも」
二人は小さく笑った。
気づけば、節子や武のことを考えていた頭は、すっかり別の場所へ移っていた。今ここにあるのは、日曜日の午後と、並んで歩く足音だけ。
――こういう時間も、あるんだ。
過去に来てから、美咲は「再会」ばかりを重ねてきた。血縁、運命、逃れられない関係。その中で、今日の出会いは、何のしがらみもない、ただの「今」だった。
「また、会ったら散歩しましょう」
別れ際、高橋はそう言った。
「はい」
その返事は、自然に口をついて出た。
背中を見送りながら、美咲は空を見上げた。日曜日の昼過ぎの空は、変わらず穏やかだった。
節子と父のデートは、今もどこかで続いているかもしれない。けれど、美咲の世界は、それだけではなかった。
新しい関係が、静かに、確かに、芽を出し始めていた。
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