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駅前の洋服店
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金曜日の夕方は、スーパーの中にも独特の緩みがあった。一週間の終わりを知らせるように、客の足取りもどこか軽く、レジを打つ音も心なしかリズムを刻んでいるように聞こえる。
「ありがとうございましたー」
最後の客を送り出し、レジを締める作業に入る頃、美咲の身体はようやく一日の役目を終えようとしていた。まだ完全に本調子とは言えないが、こうして一日立って働けたことに、小さな達成感を覚える。
「美咲さん」
背後から声をかけられ、振り返ると節子が立っていた。仕事終わりの彼女は、いつもより表情が柔らかい。
「今日、このあと時間ある?」
その聞き方に、胸の奥がわずかにざわつく。
「ええ、特に予定はないですけど……」
節子は少し間を置いてから、照れたように笑った。
「今度の日曜日ね。この前話した……武さんと、デートなの」
その名前を聞いた瞬間、美咲の中で何かがきしんだ。分かっていた。来ると分かっていた話だ。それでも、直接聞くと、心の準備とは別のところで衝撃が走る。
「それでね」
節子は続ける。
「着ていく服、どうしようか迷ってて。もしよかったら、仕事帰りに付き合ってもらえないかなって」
頼るような視線。そこには、疑いも計算もない。
「……私でよければ」
そう答えた自分の声が、思った以上に落ち着いていて、美咲は内心で驚いた。
二人はスーパーを出て、駅前の小さな洋服屋が並ぶ通りへ向かった。夕暮れの空は、うっすらと茜色で、ショーウィンドウの灯りが一つずつ点いていく。
「こういうの、誰かと行くの初めてかも」
節子は、ハンガーに掛かったワンピースを指で揺らしながら言った。
「武さん、大人だし……若い子みたいな服は変かなって思っちゃって」
その言葉一つひとつが、美咲の胸に刺さる。武は大人だ。誠実で、静かで、少し不器用で。節子の言う通りの人だと、美咲はよく知っている。
「節子さんらしいのが、一番いいと思います」
そう言いながら、淡い色のブラウスを手に取った。
「こういうの、優しい感じで似合いそう」
「ほんと?」
鏡の前で合わせる節子の横顔を、美咲は少し距離を取って見つめた。
――この人が、父の再婚相手になる人。
そう知ってしまった今でも、節子の真剣さや、少しの不安を隠しきれない表情を見ると、どうしても応援したい気持ちが湧いてくる。
ワンピース、カーディガン、靴。あれこれ迷いながら、節子は何度も鏡を覗き込んだ。
「美咲さんって、落ち着いてるよね」
不意に言われて、目を瞬かせる。
「そうですか?」
「うん。なんていうか……話してると安心する」
その言葉が、胸の奥で静かに響いた。
「ありがとう」
それ以上、何も言えなかった。
買い物を終え、袋を抱えて店を出る頃には、すっかり夜になっていた。駅前のネオンが灯り、人の流れが早くなる。
「付き合ってくれてありがとう」
節子は、少しはにかんだ笑顔を見せた。
「日曜日、うまくいくといいですね」
その言葉には、偽りはなかった。複雑な感情を抱えながらも、それは確かに本心だった。
「うん……ちょっと緊張するけどね」
二人は駅の分かれ道で立ち止まる。
「じゃあ、また月曜日」
「はい」
節子の背中を見送りながら、美咲は深く息を吸った。
未来を知っている自分。
何も知らずに恋をしている節子。
そして、変わらず不器用な父。
その三つが、同じ時間の中で静かに交差している。
夜風に吹かれながら、美咲はゆっくりと歩き出した。金曜日の仕事帰りは、いつもより少しだけ、胸が重かった。
「ありがとうございましたー」
最後の客を送り出し、レジを締める作業に入る頃、美咲の身体はようやく一日の役目を終えようとしていた。まだ完全に本調子とは言えないが、こうして一日立って働けたことに、小さな達成感を覚える。
「美咲さん」
背後から声をかけられ、振り返ると節子が立っていた。仕事終わりの彼女は、いつもより表情が柔らかい。
「今日、このあと時間ある?」
その聞き方に、胸の奥がわずかにざわつく。
「ええ、特に予定はないですけど……」
節子は少し間を置いてから、照れたように笑った。
「今度の日曜日ね。この前話した……武さんと、デートなの」
その名前を聞いた瞬間、美咲の中で何かがきしんだ。分かっていた。来ると分かっていた話だ。それでも、直接聞くと、心の準備とは別のところで衝撃が走る。
「それでね」
節子は続ける。
「着ていく服、どうしようか迷ってて。もしよかったら、仕事帰りに付き合ってもらえないかなって」
頼るような視線。そこには、疑いも計算もない。
「……私でよければ」
そう答えた自分の声が、思った以上に落ち着いていて、美咲は内心で驚いた。
二人はスーパーを出て、駅前の小さな洋服屋が並ぶ通りへ向かった。夕暮れの空は、うっすらと茜色で、ショーウィンドウの灯りが一つずつ点いていく。
「こういうの、誰かと行くの初めてかも」
節子は、ハンガーに掛かったワンピースを指で揺らしながら言った。
「武さん、大人だし……若い子みたいな服は変かなって思っちゃって」
その言葉一つひとつが、美咲の胸に刺さる。武は大人だ。誠実で、静かで、少し不器用で。節子の言う通りの人だと、美咲はよく知っている。
「節子さんらしいのが、一番いいと思います」
そう言いながら、淡い色のブラウスを手に取った。
「こういうの、優しい感じで似合いそう」
「ほんと?」
鏡の前で合わせる節子の横顔を、美咲は少し距離を取って見つめた。
――この人が、父の再婚相手になる人。
そう知ってしまった今でも、節子の真剣さや、少しの不安を隠しきれない表情を見ると、どうしても応援したい気持ちが湧いてくる。
ワンピース、カーディガン、靴。あれこれ迷いながら、節子は何度も鏡を覗き込んだ。
「美咲さんって、落ち着いてるよね」
不意に言われて、目を瞬かせる。
「そうですか?」
「うん。なんていうか……話してると安心する」
その言葉が、胸の奥で静かに響いた。
「ありがとう」
それ以上、何も言えなかった。
買い物を終え、袋を抱えて店を出る頃には、すっかり夜になっていた。駅前のネオンが灯り、人の流れが早くなる。
「付き合ってくれてありがとう」
節子は、少しはにかんだ笑顔を見せた。
「日曜日、うまくいくといいですね」
その言葉には、偽りはなかった。複雑な感情を抱えながらも、それは確かに本心だった。
「うん……ちょっと緊張するけどね」
二人は駅の分かれ道で立ち止まる。
「じゃあ、また月曜日」
「はい」
節子の背中を見送りながら、美咲は深く息を吸った。
未来を知っている自分。
何も知らずに恋をしている節子。
そして、変わらず不器用な父。
その三つが、同じ時間の中で静かに交差している。
夜風に吹かれながら、美咲はゆっくりと歩き出した。金曜日の仕事帰りは、いつもより少しだけ、胸が重かった。
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