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帰りの電車
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有楽町駅のホームは、夕方に差しかかる手前の穏やかなざわめきに包まれていた。行き交う人々の足取りはそれぞれで、休日の終わりを惜しむような、少し緩んだ空気が流れている。
京浜東北線が滑り込んできて、二人は並んで車内に入った。行きと同じように座席に腰を下ろすと、電車は静かに扉を閉め、再び大井町へ向かって走り出す。
窓の外に広がる夕暮れの街並みを、美咲はぼんやりと眺めていた。銀座で過ごした時間が、まだ身体の奥に残っている。特別な出来事があったわけではないのに、心が少し軽く、温かい。
「実はですね」
不意に秀一が口を開いた。
「今日、本当は別のことを考えてたんです」
「別のこと?」
美咲は視線を彼に向けた。
「私も美咲さんも散歩が好きだから一緒に、大井町から銀座まで歩いて行こうかなって」
一瞬、耳を疑った。
「……歩いて、ですか?」
「はい」
秀一は悪びれる様子もなく、むしろ少し楽しそうに頷いた。
「地図で見たら、行けなくはない距離だったので」
美咲は思わず笑ってしまいそうになるのをこらえた。
「でもですね」
秀一は続ける。
「それだと、絶対に途中で疲れるし、着く頃には二人とも無口になって銀座に行くだけで終わりそうだと思って、」
「確かに……」
「それで、今日は電車にしました」
言い終えると、彼は少し照れたように頭をかいた。
その様子があまりにも真面目で、少しずれていて、美咲の胸の奥がくすぐったくなる。
「秀一さんて……」
「はい?」
「面白いですね」
素直にそう言うと、秀一は一瞬きょとんとした顔をして、それからゆっくりと笑った。
「そう言われたの、初めてかもしれません」
「悪い意味じゃないですよ」
「分かってます」
そう答えながらも、どこか嬉しそうだった。
電車は品川を過ぎ、少しずつ車内の人が入れ替わっていく。二人の間には、沈黙が訪れても気まずさはなかった。むしろ、その静けさが心地いい。
「でも……」
美咲はふと思ったことを口にした。
「歩いて行くのも、悪くなかったかもしれませんね」
「え?」
「途中で疲れて、品川とか新橋で喫茶店に寄ったりして」
秀一は少し考えてから、頷いた。
「それも、いいですね」
「でも、今日はこれで正解だったと思います」
「はい。私も」
過去を知りすぎている自分と、何も知らずに今を歩いている彼。その差があるはずなのに、こうして並んで電車に揺られている時間は、不思議なほど対等だった。
美咲は、窓に映る自分の姿を見つめる。ほんの少し丁寧に整えた髪、柔らかくなった表情。銀座を歩いた時間が、確かに自分を変えている気がした。
大井町駅が近づくアナウンスが流れる。
「今日は、本当に楽しかったです」
秀一が静かに言った。
「私も」
それ以上の言葉は必要なかった。
電車が減速し、ホームが見えてくる。今日という一日が、ゆっくりと終わりに向かっていく。
それでも美咲の胸の中には、また一緒に歩く未来の予感が、確かに芽生えていた。
京浜東北線が滑り込んできて、二人は並んで車内に入った。行きと同じように座席に腰を下ろすと、電車は静かに扉を閉め、再び大井町へ向かって走り出す。
窓の外に広がる夕暮れの街並みを、美咲はぼんやりと眺めていた。銀座で過ごした時間が、まだ身体の奥に残っている。特別な出来事があったわけではないのに、心が少し軽く、温かい。
「実はですね」
不意に秀一が口を開いた。
「今日、本当は別のことを考えてたんです」
「別のこと?」
美咲は視線を彼に向けた。
「私も美咲さんも散歩が好きだから一緒に、大井町から銀座まで歩いて行こうかなって」
一瞬、耳を疑った。
「……歩いて、ですか?」
「はい」
秀一は悪びれる様子もなく、むしろ少し楽しそうに頷いた。
「地図で見たら、行けなくはない距離だったので」
美咲は思わず笑ってしまいそうになるのをこらえた。
「でもですね」
秀一は続ける。
「それだと、絶対に途中で疲れるし、着く頃には二人とも無口になって銀座に行くだけで終わりそうだと思って、」
「確かに……」
「それで、今日は電車にしました」
言い終えると、彼は少し照れたように頭をかいた。
その様子があまりにも真面目で、少しずれていて、美咲の胸の奥がくすぐったくなる。
「秀一さんて……」
「はい?」
「面白いですね」
素直にそう言うと、秀一は一瞬きょとんとした顔をして、それからゆっくりと笑った。
「そう言われたの、初めてかもしれません」
「悪い意味じゃないですよ」
「分かってます」
そう答えながらも、どこか嬉しそうだった。
電車は品川を過ぎ、少しずつ車内の人が入れ替わっていく。二人の間には、沈黙が訪れても気まずさはなかった。むしろ、その静けさが心地いい。
「でも……」
美咲はふと思ったことを口にした。
「歩いて行くのも、悪くなかったかもしれませんね」
「え?」
「途中で疲れて、品川とか新橋で喫茶店に寄ったりして」
秀一は少し考えてから、頷いた。
「それも、いいですね」
「でも、今日はこれで正解だったと思います」
「はい。私も」
過去を知りすぎている自分と、何も知らずに今を歩いている彼。その差があるはずなのに、こうして並んで電車に揺られている時間は、不思議なほど対等だった。
美咲は、窓に映る自分の姿を見つめる。ほんの少し丁寧に整えた髪、柔らかくなった表情。銀座を歩いた時間が、確かに自分を変えている気がした。
大井町駅が近づくアナウンスが流れる。
「今日は、本当に楽しかったです」
秀一が静かに言った。
「私も」
それ以上の言葉は必要なかった。
電車が減速し、ホームが見えてくる。今日という一日が、ゆっくりと終わりに向かっていく。
それでも美咲の胸の中には、また一緒に歩く未来の予感が、確かに芽生えていた。
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