紅蓮の獣

仁蕾

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黒檀の章

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 現状を顧みて、酷く後悔していた。水晶達に変な事を吹き込むのではなかった、と。しかし、既に後の祭り。悔いても意味のない事である。
 そのとき。
「帝王!」
 扉を壊さん勢いで慌ただしく飛び込んで来たのは、トラスティル、ジーク、ティアナの三隊長だった。
「どうした」
「お、落ち着いて聞いて下さい」
 トラスティルは肩で息をしながら、ヒガディアルの前に進み、静かに膝を付いた。
「先の揺れにより、城内は壁や天井の瓦礫や埃などで酷い有様でした。同時に、この部屋よりも物騒な気配が漂い出し、此処へ駆けて来ましたが、サラが心配になり部屋へ向かいましたところ…」
 焦っているのか。
 次の言葉を言うべきか戸惑っていると、ヒガディアルはトラスティルの名を呼び、先を促した。 それでも躊躇いを見せるトラスティル。
「トラちゃん、躊躇っても意味なんかないわ」
「ハッキリ言うべきだろ」
 ティアナとジークが後押しをする。
 その時。
《ハーティ!》
 叫び現れたのは、ハーティリアの契約精霊のガイアだった。 
《お主は何と愚かな事をしてくれたのじゃ!》
 その切羽詰まった様子に一同唖然。 だが、ガイアには気にしている余裕などなかった。もちろん周りは、彼女が何をそんなに慌てているのか解らない。
「姐御、何がだよ。俺は水晶達に『花嫁』殿の願いをと…」
《それを愚かと申しておるのじゃ!馬鹿者が!妾達の母君をあのような姿にしおって!》
 ガイアのその言葉に即座に反応したのは、ヒガディアルと望だった。望の右手がハーティリアの喉元を鷲掴む。込められた予想外に強い力に、ハーティリアは一瞬意識が遠退いた。
「その命、消えると思え」
 鋭い眼差しは、数多の修羅場を蹂躙して来たもの。望はその細腕で、ハーティリアの逞しい身体を壁に投げ飛ばした。壁を破壊する衝撃に、ハーティリアは僅かに血を吐き出す。が、望は一切気に掛ける事なく、王の間を飛び出した。
「…こわ…」
「まだまだ優しいわねぇ」
 康平、トラスティル、ジーク、リタ、ティウの声が重なり、ウフッと微笑んだティアナに対し誰もが胸に恐怖心を抱く。
 トラスティルが玉座に目を向ければ、そこに王の姿はなく。これから起こるであろう惨劇に目が眩んだ。 

   ***

「龍馬!」
 龍馬の部屋『スカルラット』の扉を破壊寸前の勢いで開け放ち、飛び込んで来た望は、目の前に広がった光景に愕然とした。
 先に訪れていたヒガディアルの背中の奥。キラキラと美しく光を反射する透明な水晶群。中央に佇む大きな水晶。そこに閉じ込められていたのは。
「ドゥーラ……っ!」
 震えるヒガディアルの声。それは絶望に染まり、伸ばした指先は小刻みに震え、失意に彩られている。
 ヒガディアルが、壊れ物に触れるが如き儚い手付きで水晶を撫でる。透明な殻に閉じ込められた龍馬。その表情は眠っているかのように安らかだ。
「帝王…」
 望は目の前の現実を受け入れようと葛藤し、落ち着こうと背を向けるヒガディアルに声を掛ける。
 だが、ヒガディアルから立ち上った圧倒的な精霊力に動く事が出来ない。
「っ、赦さん…っ!」
 オッドアイが見開かれ、その身が炎と化し、その場から消え去る。
 望の琥珀色の目は、水晶の中で眠る龍馬に向かう。
《っててててて…》
 突如、青年の声が望の耳に入り込んで来た。ハッとし、そちらに目をやれば。
「………誰」
《んー…?今の場面に合わない問い掛けだよねー》
 あはは、と笑うその姿自体が場にそぐわない。望は名も知らぬ美貌の青年に駆け寄り、血が流れる傷口を見る。
「だいぶ深い…」
《ああ、大丈夫ダイジョウブ。すぐ治るよ》
 あっけらかんと言い退けるにはあまりに深い傷。でも、と口を開こうとした時、目の前の傷が淡く輝き出し、見る間に傷が塞がり始める。 
 その事実に驚きつつ、青年の正体を訝しむ。
《あは、やっぱ怪しいよねー》
「否定はしません」
《でも、今はそれを追求してる場合じゃないんだよね。ヒガくんを止めなくちゃ》
 やんわりと微笑まれ、その美貌に一瞬ドキリとしながらも、突如吹き荒れた風に目を瞑る。バサリと羽音が聞こえ、目を開けて見れば、そこに青年の姿はなく。真っ白の羽がハラハラと数枚舞っていた。 

   ***

 その場に居る全員が顔色を失っていた。
 いつも龍馬の頬を優しく撫でる手が、ハーティリアの胸倉を掴み上げ、いつも優しく細められているオッドアイが、見る者を恐怖させる鋭さを纏っている。
 溢れ出す強大な精霊力が赤黒い炎と化し、ヒガディアルとハーティリアの周りで舞い踊る。 
「貴様…」
 静かな声は地を這うが如く低く響き渡る。
「ちょ、タンマ。何、どうなってた訳!?」
 龍馬の状態を把握していないハーティリアは、ガイアへ視線を向ける。ガイアは何も言わず、右手を差し出した。
 手の甲に輝く紫水晶が光を放ち、映像を映し出す。映し出されたのは、水晶の中で眠る龍馬。
「なん、だ…これ…」
 康平の声が震える。それが驚愕からなのか憤りからなのか本人すら判別が出来ない。
「貴様、こうなると解っていたな…?」 
 見下す眼光が肌を刺し、心臓を貫く。 
「知らなかった…とは、一概に言えねーな…」
「…螢 」
 ヒガディアルが呟くように精霊の名を呼べば、ハーティリアの額の左側が、パンッと乾いた音を立て弾けた。鮮血が飛び散る。
「龍馬を解放せよ」
 冷酷無比な表情。その表情を見て、ハーティリアは流れる血をそのままに、難しい顔をして首を横に振った。
「それは無理だ」
「何…?」
「確かに水晶は俺の眷属だ。だが、最初に俺は何て言った?」
 今度はヒガディアルの表情から血の気が失せた。
 思い当たった言葉。
 ―花嫁の願いを聞いておやり…
 ―『花嫁の願い』を…―
「まさか…」
「相変わらず聡いな、お前は。そう、あれは『花嫁』が何かを願った結果だ。まあ、何を願ったのかは皆目検討もつかんがね」
 そう言うと、胸倉を掴むヒガディアルの手を払い除け、その手で印を組む。
 ヒガディアルの足元に複雑な魔方陣が現れ、輝き出すと、彼を狙い鋭い岩が飛び出して来た。が、犠牲になったのは、ヒガディアルの衣類のみで、彼自身は容易に避けきる。
「兎にも角にも、だ。俺様に傷を付けてくれた礼はせにゃならん。覚悟はいいかい、坊や?」
 ハーティリアの眼差しが剣呑な光を灯す。
「望む所だ。その余裕、いつまで続くか見ものだな」
 ヒガディアルを漆黒の炎が包み込んだ。

   ***

 望は床に座り込み、水晶の中の龍馬を見上げていた。中で眠る龍馬は、顔色もいい。
「龍馬…何で…」
 眉間に深い皺を刻み込み、囁くような声音でこぼす。
《望様》
 ふと、耳慣れた女性の声が続いた。クリオスだ。
《お顔の色が優れませんわね…》
「そりゃそうだよ…」
 深く息を吐き出し、頭を抱え込む。自分が悩んでも仕方がないのは解っているのだが、どうしても自分を責めてしまう。
 ―あの時、ひとりにするんじゃなかった。
 その思いだけが、胸を押し潰す。
《先程のお方は、ルドラ様ですわ》
「るどら…?」
《風神族の守護神様です》
 ああ、だから…と先程の深手の傷が治った青年を思い出す。
《…あなた様がそのように挫けていかがいたします》
 凛とした声。顔を上げ、クリオスの方を見れば、意志の強い眼差しが望を真っ直ぐに見つめていた。
「わかってる…わかってるけど…」
《…あなた様がそのような状態では、サラ様も戻って来られませんわ》
 呆れた物言いは、望の胸に容赦なく突き刺さる。だが、クリオスの言うように、いつまでも打ちひしがれている暇は無い。
 望は立ち上がると、両手で思い切り己の頬を叩いた。
「よし!」
 クリオスは、いつもの様子に戻った望に小さな笑みを浮かべる。
「クリオス、君は全てを見ていたよね」
《ええ》
「全部教えて。包み隠さず。何か打開策が見付かるかもしれない」
《それでこそ、望様ですわ。承知致しました。ワタクシが見た、全ての事をお話致しましょう》
 鬼気迫るヒガディアルとハーティリアの精霊力が城を揺らす中、クリオスは記憶を辿りながら、龍馬自身に何があったのかを語り出した。

   ***

 身体に感じるのは、揺り籠のような優しい揺らめき。
 声が聞こえる。慈しむような声。緩やかに耳に入ってくるのは子守歌か。
「か…さん…?」
 不意に思う。
 ―女性にしては低い声。でも、この温もりは…
 そこまで考えて、龍馬の意識は再び闇の中へと沈み込んでいった。 

   ***

「ちょ、トラ隊長…マジでヤバいってば!」
「帝王同士の闘いに入ってどないせーっちゅうねん!一瞬で殺られるわっ!」
 荒れ狂う炎と大地。
 無差別に襲い掛かる精霊力に、全員が必死で逃げ惑い、時に防ぐ。
「大体!ティウにリタ!テメー等の帝王が原因だろうが!大人しく帝王に殴られるように説得しやがれ!」
「はぁっ?ざけんな!」
「そうですよ!うわ!」
 抗議をしようとしたティウが、瓦礫に躓き転倒する。その時、炎を纏った岩がティウ目掛けて降り注いだ。
「ティウ!」
 リタは走ったが、かなり距離があった為、間に合わない。
 ―潰される…っ!
「…水破斬ウェニ・シェイラ 」
蟷螂風牙ゲイズ・デュオ!」
 ―ドウッ!
 ―…パラパラパラ…
 ティウの体に降り注いだのは、木っ端微塵に砕けた岩だった物。
「大丈夫ぅ?」
「怪我はねーなー?」
 きつく目を瞑っていたティウは、そっと目を開けてみた。そこには、覗き込んでいるティアナと、降り注ぐ炎を弾き消すジークの背中。
「す、すみません」
「困った時はお互い様よぉ」
「こりゃ、全員一箇所にまとまった方がいいな」
 ジークはティウの体を肩に担ぎ上げ、トラスティルと康平が居る場所へと走り、ティアナが攻撃を防ぐ。ティウは抵抗する間も無く床に下ろされた。 
「俺らだけでどうにかなるか?」
 眉間に深い皺を刻み、駆け寄ってくるリタ。問いに答えたのは、犬猿の仲であるティアナだった。
「なるならないじゃないわ。しなくちゃいけないの。無理って解っていてもね」
 その厳しい眼差しは、隊長としての顔だ。公私混同は愚の骨頂であると戒めており、普段の不仲を見せる事はしない。
「そう言えば、あなたの精霊…ラティアスの傷は癒えたのかしら?右の前足、もげたわよね」
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