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黒檀の章
3
しおりを挟む激しい揺れの中、平然と佇むのはさすがと言うべきか。
「おや、どちらさんだ?」
「あんた、うちの帝王様に何した訳?」
どちらの態度も不遜。 寧ろ、敬語を取っ払った望の方がふてぶてしい。
「地神族帝王ハーティリア・クリスハート。事と次第によっちゃあんたを容赦なく叩っ切る」
響き渡る轟音の中。望の淡々とした声は掻き消される事なくハーティリアの耳に届いた。
入口と玉座。その間は結構距離がある。
届いたのは声だけではなく、肌を刺す殺伐とした明確な殺気。曖昧に濁す事なく純粋なそれに、ハーティリアの表情が愉しそうに歪む。
「いいね…素晴らしい殺気だ。今時のガキにしてはやるじゃねーか。だが…まだ甘いな」
望は背後に風を感じた。が、反応が一瞬遅れてしまう。
―ガキィイィィン!
激しい金属音が耳元で響く。
「ふは!楽しい事しちゃってるじゃん、ノン様!」
嬉々とした声。僅かな狂気が垣間見える。
「ナイス、康平」
「でしょー?」
望の称賛に笑いながら、不逞の輩を玉座へと蹴り飛ばす。それは派手な音を立て、壁に激突した。
「リタ、大丈夫か?」
ハーティリアは低く笑いながら、衝撃に粉砕された僅かな壁面に埋もれる人物に声を掛けた。
「うはー…ビビったー」
―ガラ…
現れたのは、明るい橙色の短髪の長身の男。
「やるなー、坊主」
「あら?潰す勢いでやったのに」
康平は幼子のように唇を尖らせ、ガリガリと後頭部を掻きながら、眉間にシワを寄せる。男は、場に不釣り合いな無邪気な笑みを浮かべた。
「名前を聞いても?オレは地神族帝王直属近衛隊隊長、リタ・クラウスだ」
男、リタは愉快気に笑う。つられるようにして、康平の顔も満面の笑みへと変化する。
「無神族帝王直属近衛隊副隊長、たちばなこうへい立花康平。お兄さん」
康平の笑みが、酷薄に歪んだ。同時に、康平の背後が揺らめき、紫の影が現す。
「うちの姐さんと同じ名前なんだね」
轟き響いた竜の咆哮。ビリビリと空気が震え、肌に突き刺さる。
「こりゃ…楽しめそうだな!」
リタは叫んだ。狂気を含んだ表情で。
―いつの間にか大地の揺れは消え去っていた。
***
「今の揺れ…何だったのかしらぁ」
砂埃や倒れた書棚、書類やガラスの破片などで散乱する部屋で、のんびりとした女性の声が響いた。
水神族女帝直属近衛隊 隊長であるティアナ・クライ・シースだ。
「デッケー地震だったな」
ティアナの言葉を継いだのは、風神族帝王直属近衛隊隊長のジーク・セイラン。
「あー…すこぶる嫌な予感しかしねーなー…」
呟き、片眉を跳ねさせ表情を不機嫌に歪めたのは、火神族帝王直属近衛隊隊長、トラスティル・アイル・シュウ。
三人の隊長達は、地震が襲い来る前と同様にティーカップを傾けていた。テーブルの周りには結界が張られ、何の被害も見当たらない。
「どうやら、このお城だけみたいねぇ」
相変わらず緊張感の欠けた口調のティアナは窓から城下を見下ろす。が、民衆はいつもと変わらず活気に溢れている。 揺れの被害などまるでない。
「リタの気配がした」
トラスティルは、顎に手を当て小さく呟いた。ジークもトラスティル同様、眉間に皺を寄せる。
「あ?…康平か?」
「いや…」
「あたし達と同業者のリタくんよねぇ」
うふふと笑う様は、トラスティルとジークの背筋を凍らせた。ティアナは同じ隊長のリタが大の苦手、と言うよりも、大が無数に付きそうな程嫌いなのである。その理由は定かではない。
「ちなみに望とティウくん、それに…」
ティアナの穏やかな笑みが黒く翳り、隊長の顔へと変わる。
「ハーティリア様の気配もするわね」
揺らめいたのは、闘気か殺気。
「ティア、落ち着け」
ジークが溜息を付きながら、ティアナの頭に手を乗せた。
「あら、落ち着いているわよぉ?」
普段の笑みに戻ったティアナの頭を二人は、ぽんぽんと優しく叩いた。
「しかし…嫌な予感がしまくるな。ジーク、ティア、行くぞ」
「おう」
「はぁい」
三人は、散乱している物を容赦なく足蹴にしつつ、嫌な気配漂う王の間へと駆けた。
激しく響き渡る槍と剣が交わる音。その音を発する男達の表情は、狂気の笑み。
望は周りの事など一切気に掛ける事無く、真っ直ぐにハーティリアだけを見据えていた。ハーティリアも、口元に笑みを浮かべ、望を見つめる。正に、一触即発。
「止めよ、二人とも」
声を上げたのは、ヒガディアル。
「リタも康平も落ち着け。我が城を崩壊させる気か?」
僅かに苛立ちの篭った声に、ピタリと二人の動きが止まった。距離をとり、得物が消失したのを見届け、ヒガディアルは深く息を吐き出した。
「不要な私闘は、他所でやっておくれ」
その眼光は鋭く、普段の柔和なヒガディアルのとは思えぬほど。
「ちょー恐いんですけどー…」
「はは…」
康平の呟きに同意するように、リタが乾いた笑いを漏らす。
「それと…ハーティリア、ティウ。お前達はいつまでそこに居るつもりだ?」
名を呼ばれた二人が立つのは玉座のある上座。いくら旧知の者と言えど、そこは本来ならば精霊王と『花嫁』のみが立てる場所。
立ち上り始める怒気にハーティリアは渋々と、ティウは青褪めながらその場から降りた。
先程までの揺らぐ精霊力はなりを潜め、凛とした空気を纏い、世界を統べる王の眼光で下座に膝を付く者達を見据える。
「さて、リタ、康平」
「はっ」
「はい」
「此度の我が前での許可無き私闘、通常なれば何か罰を与えねばならぬが、事情が事情ゆえに不問に処す」
幾分穏やかになった声音に、リタも康平もホッと胸を撫で下ろした。
「ティウ」
「はっ」
「お前はクリスの供と言う事で、今回の事は目を瞑ろう」
「っ…有難う御座います」
此方もホッと一安心。
「さて、クリス。お前はどうしたものか…」
「あ?俺だけか?そっちの坊やはいいのか?」
「望」
ヒガディアルが目で促せば、「はい」と淀みなく声を上げた。立ち上がり、ハーティリアの前にて深く腰を曲げた。
「地神族帝王、ハーティリア・クリスハート様。お初にお目に掛かります。私は、無神族帝王直属近衛隊隊長、麻生望と申します。以後、お見知り置きを…」
抑揚なく淡々と紡ぐ言葉の羅列。
「先のご無礼、申し訳なく存じます」
しかし。
そう言って、真っ直ぐにハーティリアの目を捉える。
「我等が帝王、更紗龍馬に何ぞ傷でも付けた暁には…」
―パラ…
「その首、即刻刎ねられる事、努々お忘れなさいますな…」
ハーティリアの喉元に突き付けられたしゃくかせん赤華扇。迸る殺気に、ハーティリアの笑みは引き攣り、頬を一筋の汗が流れ落ちる。
その状況を、ヒガディアルはただ静観しているだけ。
「お前さんが、彼の有名な〈バハムート〉の隊長か」
「どう有名なのかは言及しませんが、そうですね。そこの狂犬より恐いですよ?」
にっこりと浮かべるのは黒い笑み。
「んあ?ノン様、狂犬って俺の事?」
「他に誰が居ると思ってんの」
「それもそっか」
納得してしまう康平に、地神族の面々は何とも言えない渋い表情をして黙した。
「そう言う事だ。下手に逆らえば、王と言えど首が飛ぶぞ?」
ヒガディアルが浮かべた笑みは、穏やかながらも恐怖を感じずにはいられない。了解を示すように軽く手を振ったハーティリアに、ヒガディアルは呆れたように目を眇める。
「さて、クリス…ドゥーラに対し何をしたのか、お前に聞いた所で上手く逃げるだけだろうな」
「せーかい」
得意気に笑うハーティリアに対し、ヒガディアルはこめかみを指先で軽く揉み込みながら笑う男の背後に声を掛けた。
「ガイア、出て来い」
「こらこら、俺様の精霊を勝手に呼ぶなよ」
ハーティリアが言うのも束の間、背後の空間が揺らめき頭を垂れた女性が姿を現した。
《お呼びで》
「姐御…そんなすぐ出られたら俺ショック…」
《黙りゃ。お主の尻拭いじゃ。つべこべ申す資格などないわ》
自身の愛しい半身に頭を叩かれ、ハーティリアは子供のように下唇を突き出した。その様子を意に介する事無く、地神族帝王の契約精霊はヒガディアルに向き直る。
「ガイア、そこの馬鹿が何をやったか探れぬか?」
《すぐさま致しましょう。しばし時間を頂きます》
「頼んだ」
端的な会話だけを終え、ガイアの姿は消え去った。
ふと、望はハーティリアへと視線を向け、その面に満面の笑みを貼り付けて見せる。
「事と次第によっては、本気で殺っちゃいますからね。言っときますけど、闇討ちとか暗殺とか…そういったセコイ手なんて一切使いませんよ?」
放たれた死刑宣告に、ハーティリアの口元が引き攣った。
「それは、正々堂々、真正面からって事かい…」
「もちろん。うちの帝王は、コソコソした事が嫌いなもんで」
自信過剰ともとれる言動。しかし、ハーティリアは子供の戯言と笑い飛ばせなかった。言うだけの実力を兼ね備えているのを理解しているからである。
「他三隊長も此処に着く。それまでゆるりとするが良い」
ヒガディアルの言葉に、ハーティリアは頭を抱えたくなった。ゆるりと出来る心境ではない。
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