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黒檀の章
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押し殺した嗚咽だけが響いていた。
《レジーナ様…大丈夫で御座いますか?》
迦陵頻伽が声を掛けてくれたが、返事が出来ない。声を出してしまえば、大声を上げてしまいそうで。
声もなく涙する龍馬をソファーに座らせたはいいが、どうしたものかと床に膝を付き困惑していると扉を叩く音。次いで扉が開き、頭部がひょこりと現れた。
「あ、迦陵さんが泣かしてる」
現れたのは無神族帝王直属近衛隊隊長の麻生望。
顔を出した途端とんでもない事を口走った為、迦陵頻伽は「えっ!」と青ざめさせる。
「冗談、冗談」
何を言っても本気にしか聞こえないのが望である。
「んで?今度はどうしたの?」
望は龍馬の隣に腰掛け、項垂れる漆黒の髪を撫で上げた。俯いたまま、龍馬がポツリポツリと語り出す。
「っ、ヒガ様、が、おれっの」
「うん。帝王がどうしたの?」
優しく語りかける。幼児ではないが、怯えるように涙する龍馬に対し、自然とそんな口調になる。
「ヒガ、様が…」
―俺の父さんと母さんが…二人が死んだのは、自分のせいだって…
***
ほの暗い室内。
奥に腰掛ける男の閉ざされた瞼が開かれる。
「ああ…大地が鳴動しているな…」
笑みを含んだ低い声。
「いかがされました?」
傍に控えていた男が反応を示す。
「『花嫁』殿が、嘆き悲しんでいるようだ。大地が同調し、打ち震えている」
「行かれますか?」
「行かねばなるまい」
カシャンと音を立て、二人の男の姿は粉々に砕けた。
残ったのは、キラキラと煌めく砕けた水晶のみ。
***
部屋の中は、物音ひとつしない。
望と迦陵頻伽は、龍馬をひとしきり泣かせ、そっとしておく為に部屋を出て行った。二人の優しさは申し訳なくもあり、有難くもあった。
龍馬はぼんやりと掌に転がる孔雀石のピアスを見つめている。ヒガディアルと龍馬の『始まりの子』として生まれてくる筈だった風の精霊の卵、精霊玉。光を浴びて美しく輝く。
「ねえ…俺はどうするべきだと思う…?」
ピアスを掌中で小さく転がす。返事は返ってこないと解っていても、問わずには居られなかった。
頭の整理が追い付かない。信じたくないのが本音だ。
大好きな両親は本当の親ではなく、『クレアート』の過去の精霊王と『花嫁』が本当の親。そして、本当の両親ではなかったが、両親だと疑いもしていなかった二人を殺したのは自分だ、と愛する人が口にした。
一気に色々な情報が詰め込まれ、現実から逃げ出してしまいたかった。
「はあ…」
精霊玉を握り締め、その手をソファーに落とす。
飼い主の異変に真白の尾も垂れ下がる。心配そうな眼差しで弱々しい鳴き声を上げながら、龍馬から人ひとり分ほどの距離をとって様子を伺っている。
そんな気を使っている猫を見て、龍馬は苦笑を浮かべた。
「おいで」
手を伸ばせば、躊躇いながらも、甘えるように擦り寄って来る柔い体を抱き上げる。柔らかな毛並みに癒されていると、窓を開けていないのにそよ風が頬を撫でる。顔を上げれば、大きな鳥が対面にあるソファーの背凭れに佇んでいた。
突然の事に一瞬だけ息を詰めたが、その鳥は意に介する事無くその鋭い嘴を開いた。
《お久しぶり、龍馬くん》
「…ルドラ様…おはようございます…」
《うん、おはよう》
翡翠の双眸が、何かを察しているかのようにゆらりと揺れている。
《ちょっと風が荒れていたから、何かあったのかなって思ってさ。案の定、ありましたって顔だね》
その指摘にも反応出来ない。
《まあ、何があったかだなんて知っているけどね。君の本当の親の事でしょ?》
そう言ってため息を吐き出したルドラに、龍馬は息を呑み、「なんで…」と囁いた。
龍馬の驚きように、ルドラは目を細め小さく笑う。
《ふふ…それが守護神の不可思議なトコロ、って言っておこうかな?その方がミステリアスでしょ?》
龍馬の眉間に皺が寄ったのを認めると、ルドラを取り巻く空気がピンと張り詰めた。
《ヒガくんが、君に真実を知らせた真意…解る?別に知らなくてよかったと思うでしょ?》
「……はい」
戸惑いながらも、嘘偽りなく肯定の意を示す。
《ヒガくんの立場を考えても、知らせない方が円満だよね》
「…はい」
《確かに、知らない事が幸せな場合もある。寧ろ、君はあちらの親…賢帝の精霊と弥兎くんの龍だけどさ…二人が大好きだから、知りたくはなかったよね》
「はい」
《でもね、知りたくなくても、知らなければいけない真実もある》
「それが、今回の事ですか…?」
目の前の風神族守護神に言っても意味がないと言う事は、重々承知している。しかし、溢れ出した感情は叫ぶ事を止めてはくれない。
「ヒガ様が、俺の親を殺した事が知らなければならなかったと…?っ、直接でなくても、手に掛けたと!それを俺に伝えた事で、ヒガ様も苦しんでしまう事実がどうしても明かさねばならぬ事ですかっ」
心の底からの言葉だった。それでも、受け止めたルドラは「そうだ」と両断する。
《あの子の苦しみは今に始まった事ではないよ。彼はずっとひとりで苦しんでいる。君と寄り添い、笑い合いながらも、その罪悪は彼を蝕んでいる。別にあの子はひとりで苦しんでいく道だってあった。愛し子に、憂いなぞ与えたくないのは当たり前だからね。だけどね、君には全てを知った上で選択をして欲しかったんだ》
「っ!」
分かっている。心優しき彼は、口に出来なかった今までもひとりで苦しんできているのを。口にした事が、決して懺悔や許しを請う為のものではない事を。
あの人が苦しむのは見たくない。だけど、だけど。
それは魂の慟哭。ルドラにも痛いくらいに解る。
《それが…『帝王』の運命なんだよ。人の苦しみ、愛する者の涙を糧に、王は成長する》
ふわりと風が舞い、龍馬の正面に美しい青年が膝を付く。それがルドラだと気付くのに僅かながらも時間を要した。
《苦しいかもしれない、辛いかもしれない。それでも、帝王である君は、その真実から目を逸らしちゃいけないんだ》
そう呟くルドラの表情の方が苦しそうに歪む。しかし、若さ故なのか。龍馬は自分の感情を持て余し、ルドラの事にまで気が回らないでいる。
愛する者を、自分を、全てを責めて、嘆いて、疑った。
そして、呟く。
「帰りたい…!」
***
静寂に包まれた王の間。そこにはマツバの姿も無く、兵の姿も無い。
あるのは重苦しい空気のみ。
「…居るのだろう?」
天井を見上げたまま、ヒガディアルが小さく呟いた。
―パキパキパキ…
玉座の後ろ。地面から煌く水晶が形大きく姿を現す。
水晶がカシャンと音を立て崩れ去る。そこには二人の男が立っていた。
ひとりは髭を蓄えた精悍な男。傷が走る左目の横には、頬まである契約精霊の紋章が浮かび上がっている。そして、その一歩後ろに控える暗い橙色の目、サイドだけ長く後ろは短い暗い橙色の髪をした男。
「やはりバレたか。久しいな、ヒガディアル」
「不躾な訪問、誠に申し訳ございません」
髭の男は笑みを浮かべ、対するもうひとりの男は無表情に頭を下げた。
髭の男。名をハーティリア・クリスハート。地神族の最高権力者である。そして、地神族の宰相であるティウ・グランディア。
「何か用か?クリス」
ヒガディアルは振り返るでもなく、ハーティリアに声を掛けた。ハーティリアは、愛想の欠片もないヒガディアルの応対に肩を竦め、玉座の肘掛に腰を下ろした。
「俺は特に用もないんだが…お前の『花嫁』殿に呼ばれてな」
「…ドゥーラにだと?会ったのか?」
無表情な顔が、不愉快そうに歪む。
「いや、会ってはいない。だが、俺の眷属が『花嫁』殿の慟哭を伝えてくれたんだよ」
その強面からは思いもよらぬ豊かな感情に軽い口調。彼は王の座に就いて、四種族の中で一番長い。
さらりと、長い指でヒガディアルの前髪を分けた。
「坊や、お前の『花嫁』殿は何を知ったのだい?」
「……もう、坊やと言う年ではない」
「けっ、テメーが赤子の頃から知ってんだ。坊やで十分だろ」
ぐりぐりとヒガディアルの眉間に寄った皺に人差し指を突き立てる。それを振り払うと、ヒガディアルは深く息を吐き出した。
「…賢帝と弥兎様の事、それに関連する事を…な」
その視線は遠く、ハーティリアを捉えていない。その様子を見て、ハーティリアはニヤリと笑んだ。
悪と言っても過言ではない笑みを見て、ティウは呆れたように息を付き、二人の帝王を見つめていた。
「どうやら、後悔しているようだな」
「…していない」
「いーや、している。ガッツリと」
何処までも愉しそうだ。そんな様子のハーティリアに、ヒガディアルは僅かに苛立ちを覚える。
普段、温厚なヒガディアルだが、長年の付き合い故かハーティリア相手だと若干感情的になるらしい。
「してないと言っている…!」
僅かに声を荒げるという珍しい状態にティウも驚きを隠せない。
「ま、俺には関係のねーこった」
低く笑う様に、ヒガディアルの表情は更に険しさを増す。
「しかし、『あっち』の子は、弱いねー。不測の事態に巻き込まれたとき、これほど動揺してしまうとは…」
―此度の無神族の王は、黒と見紛うほどの血に濡れる事が出来るのかねー…
ハーティリアが呟いた瞬間、ゴゴ…と遠くで地鳴りがした。その音が大きくなるにつれ、大地は大きく揺れ動き、世界を混乱へと導く。
「クリス!」
揺れの中、ヒガディアルは叫んだ。が、当の本人は、不遜な笑みを浮かべている。
「俺は何もしてねーよ。俺はただ、『花嫁』殿の願いを叶えておやりと水晶達に声を掛けただけだ」
「それの何処が何もしてないと言うんですか」
現れたのは望だった。
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