紅蓮の獣

仁蕾

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黒檀の章

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「はっはっは。此度の《バハムート》は手厳しいのが多いな」
「申し訳ありません、クリス様」
 苦笑を浮かべ、トラスティルが謝罪した。
 ハーティリアは気にするなと手で制し、そうだな…と息を吐いた。
「この城の事は、後で考えるとしよう。今は…坊や、お前の事だ」
 頬杖を付きながら、自分の正面に座るよう促した。
 ヒガディアルは逆らう事無く、瓦礫に腰を下ろし、康平達も座り込む。 
「あの子も傷付いたが、お前も相当な傷を負ったようだな」
 オッドアイが不思議そうに見つめている。
 どうやら、龍馬を傷付けた事だけに目が行き、己の事は二の次になっているらしい。
 この者らしいと言えばらしいが。
「お前は、王として完璧過ぎた。人の心を置き去りにしてしまったようだ」
「人らしくあろうとしているが…?」
「そうだろうな…そのお蔭で、世の民は平和に生きている。だが、俺の言いたい事はそこじゃねーんだよ」
何と説明したものか、と思案していると。
「人間らしい感情でしょ」
 康平の声が響いた。
 彼の方を向けば、小さな竜と戯れている。
「愛、憎しみ、後悔、疑念、寂しさ、怒り、などなど。人が持ち合わせる感情が、『世界の統治者』の重さで小さく萎んじゃってたんでしょ。それが、己の半身とも言える『花嫁』と出逢って、本人の与り知らぬ所で成長していた。…人の感情ってな、厄介なモノでしかないが…それがあるからこそ、人生が楽しめる」
 そう言う康平の目は何処か寂しげな色を湛えている。
「王が王らしくあろうと無意識に自分を責め立て、人が人であろうとするモノを見失った。その事に気付かないまま過ごして来たから、今の自分の揺れに戸惑う。龍馬もアンタも…どっちも裏切られたって思った筈だ。だけど、どっちも嫌いになんてなれない。だから、龍馬は現実から目を逸らし、アンタはおっさんに八つ当たり。ま、悪い事ではないよ。それが人間だと俺は思うから」
 でも、とヒガディアルを見て笑う。
「俺は、アンタの隣で笑う龍馬が好きなんだ。龍馬の隣で笑うアンタも好き。だから、二人とも向き合わなきゃね」
 そう言って立ち上がる。服に付いた埃を払い、扉の方へと歩き出した。
「康ちゃん?」
 ティアナが声を掛けるが、康平は何も言わずに手を振っただけだった。
「向き合う…か」
 呟いたヒガディアルのその目には、今までにない強い光が灯っていた。 

   ***

 辺りは人で溢れ返っていた。
「あれ………?」
 龍馬は唖然と辺りを見渡す。
 右を見ても、左を見ても、人の群れ。
 見覚えのある洋服。道路。車。乱立する背の高いビル群。
「にほん…?」
 頭が混乱で揺れる。
 さっきまで、自分は『クレアート』あの世界に居なかったか?
 何故、自分は此処に居る?
 グラグラと頭が揺れた。
 その時。
「よ、どうした?」
 ポン、と肩を叩かれ、ハッと振り返れば見慣れた顔がそこにあった。
「望さん…康平さん…?」
 そこには、私服姿の望と康平が立っていた。二人の表情が訝しげに曇る。
「何?どうかした?」
「とうとう頭沸いた?」
 心配そうな望と対照的に、康平がからかう様ににやついている。その表情に、カチンと来てしまう。
「テメーと一緒にすんな、プー太郎」
「ああ?言うじゃねーか、クソガキ」
 一瞬にして二人の間に流れた一触即発の雰囲気。
 ―あの世界は夢だったのか…?
 そう思えるほど、しっくりくる。
 不意に携帯がポケットの中で震える。メールだ。
「母さん…?」
 開いてからドキリとした。
『遅い!早く望くん達連れて来なさい!』
 内容を読んで、不意に何かを思い出す。
(ああ…今日は夕飯に誘ったんだっけ…)
 携帯を見つめながら、そんな事を思う。
 ―そうだ。コレが現実…
「母さんが遅いって」
「俺は悪くないよ。康平が寝坊したから」
「ぐ…面目ない…」
 そして、三人が歩き出す。龍馬の自宅へと。
 賑やかな食卓。母が居て、父が居て、仲の良い先輩が二人居て、自宅ですき焼き鍋をつついている。
 しかし、違和感が龍馬を襲う。得体の知れない不安が体中を駆け巡る。
 ―龍馬…
「ん?望さん、呼んだ?」
 パッと顔を上げれば、康平を制して肉を頬張る望を見る。
「あ?呼んでないよ?」
「…空耳?」
 確かに、傍に居る望の声ではなかった。どこか遠くから。 


 ―ドンッ!
 見えない壁が邪魔をする。
「くそったれ…っ!」
 望は、普段の彼からは想像も出来ない言葉で声を荒げた。
 今、望が見ているのは、龍馬自身が望んだ偽りの世界。両親を亡くす事も無く、虐げられる事も無く、平和で穏やかで光溢れる世界。この世界に己が居る。康平も居る。
 しかし、アイリーンが、ソニアが居ない。トラスティルも、マツバも、ジークも、ティアナも、イシュバイルもディアナもゲネもリオッタもニディオラも琥珀も。
 何より、彼が愛する人が居ない。
 それが、哀しい。
「兎に角…潜ろう…」
 気持ちを切り替えるように軽く頭を振ると、目の前の光景から目を逸らし、振り返る事無く龍馬の内側へと潜って行った。
 どのくらい潜ったか。深く、暗い深海のような意識の中。
 不意に何かに抱き締められた。
「え…?」
 気が付けば、そこは真っ白な世界。
 先程までの暗闇は何処へ行ったのか。対照的な白の世界に目がチカチカとする。
《いらっしゃい》
 穏やかで優しい声。そして柔らかな笑み。
 どこか龍馬に似ている。
「弥兎…さま?」
《その名は捨てたよ。…今は『ダアト』だ》
 苦笑を浮かべるその人こそ、望が捜し求めていた人物のひとり。龍馬の実の親のダアトこと桂木弥兎だった。
《危険な行為…何て無謀な事を…》
 ダアトは眉間に皺を寄せたが、それはほんの一瞬の事で、あっと思う間も無く刻まれた皺は消え去り、今にも泣き出してしまいそうな微笑みへと姿を変えた。
《我が子の為に、己が危険を顧みず、此処まで来て下さった事に何と礼を申し上げればよいのか…》
 望からそっと離れ、ダアトは頭を下げた。慌ててそれを制止する。
「お、お止め下さい!そんな、あなた様に頭を下げられると、どうすればいいのか…」
 狼狽する望に促されるようにしてダアトは顔を上げ、望について来るように促した。
 ―この方が、賢帝アザゼルが唯一愛した人…そして、今尚、語り継がれる『紅蓮の花嫁』…
 凛とした佇まいに、息を呑む。圧倒的に何かが違うと感じる。それは、洗礼された立ち振る舞いなのか、元々持ち得た魂の気高さなのか。
 追う背が不意に立ち止まり、望を振り返った。
《この先に、我が帝王がいらっしゃいます。…覚悟は出来ておられますか?》
 決して高圧的ではない。柔和な言い方なのに、一瞬だけ息苦しく感じた。しかし、此処まで来て逃げ帰るわけには行かない。
 望は深く息を吸い込み、力強く頷いた。
 その動作に、ダアトは優しく微笑むと、何処から現れたのか金の取手へと手を掛けた。音もなく、静かに開いた真っ白な扉。空間が裂け、奥には王の自室の様に豪華絢爛な部屋が広がっていた。
 望は、唖然とその部屋を見つめる。ダアトは苦笑を浮かべた。
《驚いたでしょ?帝王の悪戯…とでも言うのかな…》
「は、はあ…」
《本来は此処も白の空間なんだけど、帝王が…って言うか他の『魄霊』が遊んじゃってね》
 そう言って、どうぞと望を誘導した。
「失礼します…」
 戸惑いながらも望が室内に入れば、ひとりの男が柔らかなソファーに腰を下ろしていた。穏やかだが、威厳のある空気にほんの少し畏怖を感じる。
「…お初にお目に掛かります…アザゼル王」
 柔らかな絨毯に膝を付いて頭を下げれば、小さな笑い声が響いた。
《そう怯えないでおくれ。私の事は、『アザゼル』ではなく『ケテル』と呼んで頂けないか?》
 金の両目が眇められ、穏やかな微笑みを浮かべたケテルに、望は緊張で息苦しいながらも、小さく了承の意を伝えた。
《帝王、逆に怖いよ》
 望をソファーに導きながら、ダアトが呆れたように息を吐き出した。クスクスとケテルが笑みを零す。 
《それで?私達に何か用があって、命を掛けてこの空間へ訪れたのだろう?》
 ケテルの正面に腰掛けたものの、望はケテルの目を真っ直ぐに見る事が出来なかった。恐怖なのかは解らない。ただ、正面に居るのが畏れ多いと感じる。
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