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紫雲の章
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目的地にはまだ少しあると言うのに、血の臭いは望でも分かるほど濃く漂っていた。それに比例するように、背後の康平の殺気が今までにない位に膨らんでいるのを感じる。望でさえ気を抜いたら飲み込まれそうだ。
(あーもう、ヤバイ。色々と。現状、康平が一番ヤバイ…)
眉間に皺を寄せ、盛大に溜息をつく。いつもの康平ならば、軽く茶化す筈なのに、今は無言。後ろをチラリと横目で伺えば、目を閉じ、何かに神経を張り巡らせているような雰囲気だ。
榮烙が停止しようと地面を踏み締めた途端、康平が飛び降り、小さな民家の扉を開け放った。
途端、噎せ返るほどの血臭。
僅かに入る月光が室内を照らす。四肢の千切れた者や、上下に分かれた者など、無惨な遺骸が血の海に沈んでいる。
その中に。
「ルシル婆ちゃんっ!」
浅い呼吸を繰り返す小さな身体が、破壊された椅子の近くに転がっていた。康平は周囲の骸には一切目もくれず、血に塗れ、赤の海へと横たわるルシルへと駆け寄った。ルシルの近くには青龍刀が転がり、月明かりを反射して鈍く輝いていた。
「婆ちゃん、婆ちゃん!」
叫んでも返答は無い。浅い呼吸音だけが繰り返され、胸が上下する度に、腹部の深い傷からは血が溢れ出した。
あまりの衝撃に思考を止めていた望も慌てて駆け寄り、これ以上の出血を抑えるべく自身の衣服を引き裂き傷口に手を当てた。
「榮烙!」
望が呼べば、榮烙は人型へと転じ、望の隣に膝を付いた。
《治癒光を。そのまま傷口を押さえといて下さいまし》
榮烙の言葉に、望は一度頷き、傍の青龍刀に目を向けた。
「これに…?」
だとしたら、残酷かもしれないが、当に手遅れ。助かりはしない。
しかし。
「違う」
静かな康平の声。先程までの取り乱しようが嘘のように落ち着いている。
「それは、ばぁばの物だ」
山吹色の目が、僅かな月光を受け、薄暗い闇に浮かび上がる。まるで獲物を狙う獰猛な獣。
その時、ルシルの手が震えながら持ち上がり、微かに上下する薄い胸に手を置く康平の手を弱く握った。
「っ!ばぁば!」
「こ、ぅちゃん…のぞむ、まで…」
コプリと口の端から血液が溢れ出す。
「ばぁば、喋っちゃ駄目だ」
望が声を掛けるが、ルシルは構わず声を搾り出す。
「み、な…ゃツ、の手に…………」
皆、奴の手に。
皆とは、恐らく市場の者達。
「はぃ、か…を、少し、は……ぁたし、も、年だねー…」
呼吸音は弱くなるばかり。
「ばぁば、ヤツなんだな?」
「…ぃ、けないょ…こう、へい…復讐、に、身を、投じちゃぁ……いけ、なぃ……」
血に濡れる表情が、引き攣りながらも笑みを浮かべた。
「あた、しら…の、事で…めぃわく、は……掛けられ、なぃ…」
ヒュッ、と喉が鳴る。恐らく、長くはない。いくつもの戦いを潜り抜けてきた二人は、そう感じ取る。
「ぁの、子には…悪い、こ、と…………を……」
ルシルの意識が無くなる。呼吸は至極ゆっくりとなり、殆ど聞こえなくなる。
もう、手の施し用がない。
「ルシル婆ちゃん…」
震える声で名を呼び、康平は血の気の失せた媼の顔をそっと撫でる。
その時、強い精霊力が室内に溢れ返った。輝きを纏い、一人の赤い肌の女性が炎を従えて現れた。冷たい紅の瞳が、見上げる望と康平を見おろしている。
《榮烙、お前では役不足。主様から離れなさい》
口振りからしてかなり高位の精霊なのだろう事を察した。
《望様、康平様…主様がお世話をお掛け致しました》
ルシルの傍に膝を付き、康平の手に手を重ね、柔らかく微笑む様はいつも見ていた燭台の少女に重なる。
「…お前…クリオスか…?」
康平が力無く呟けば、精霊、クリオスは何処か淋しげに笑みを陰らせた。
《主様…主様…?》
クリオスはルシルの傷口に手を翳し、精霊力を注ぎ込む。それに力を与えられたのか、ルシルの瞼がゆっくりと開かれた。
―助かる…
思ったのも束の間。その焦点は定まらない。
助かる事はないのだと、誰もが思い直すしかなかった。
「ぁあ…っ、あー…ぁたしの、かわぃ…子………お役目、果たさせ、たか………」
ルシルの言葉に、クリオスはゆっくりと頷いた。
《ご安心下さい…弥兎様方からのお役目、きちんと果たす事が出来ましたわ…》
クリオスの言葉に、ルシルは目を見開く。
しかし、それは一瞬の事。驚愕の表情は、聖母のような微笑みへと変化する。そして、次の瞬間には、体中の力が抜け、再び意識を失った。
《…そろそろ、お時間のようですわね…》
ルシルの安らかな表情に、クリオスは優しく微笑み、望と康平に視線を投げやると、ゆっくりと瞬きをする。
「ちょ、クリオス…体が…」
クリオスの体が徐々に薄れ行く。しかし、彼女は表情を変える事無く、全てを受け入れているようだった。
《ワタクシの命は、主様と共に進んで参りました。主様のお命が散るとき、ワタクシの命も散るのがさだめ運命。…皆様と過ごした時間…とても楽しかったですわ。……サラ様…いえ、レジーナ様に最期の挨拶が出来ないのは、とても心苦しいですけれども…それもまた、ワタクシの運命でしょう…》
微笑むクリオスの頬を、涙が流れ落ちる。受け入れていようとも、別れは辛い。それが、楽しい日々だったのだから尚の事。
そのとき。
「それはちょっと、冷たいんじゃない?」
怒っているようにも、呆れているようにも聞こえる声が、玄関先から不機嫌に響いた。クリオスは弾かれたように声がした方向へと視線を巡らせる。
《サラ…様…》
視線の先には、少しばかり拗ねたような表情の龍馬が佇んでいた。
定められた運命を、捻じ曲げてでも幸せに…――。
***
鉄錆の臭いが酷かった。
人の気配が二つと、強い精霊の気配が二つ。そして、人とも精霊とも取れる、弱々しい気配が一つ。
他に生きている者の気配は一切しない。
―何と非道な…
怒りが込み上げる。が、気力でそれを抑え込み、生きた気配ある民家に近づいた。話し声が聞こえる。
覚えのある声よりも大人びた、落ち着いた声だが、それは確実に聞き慣れたあの少女の火の精霊。悲しみを帯びた声に、一度息を吐き出した。
「それはちょっと、冷たいんじゃない?」
声を掛ければ、全員が弾かれたようにこちらに視線を向けた。
《サラ様…》
両の目から涙を零し、クリオスは自失したように龍馬の愛称を呟いた。
「お、クリオス?…美人だね」
龍馬は張り詰めた空気など気に掛ける事無く、美しい女性に成り変った少女に、ニコッと極上の笑みを向けた。躊躇いなく血の海に足を踏み入れ、クリオスに抱かれるルシルの顔を覗き込んだ。
「…この方も、きっと美人だろうね…」
過去形ではない、何か引っかかる言葉。望と康平の眉間に皺が寄る。
「クリオス」
《は、はい》
突如、真剣な声音に変わった龍馬に戸惑いつつも、クリオスは返事をする。
「この方を癒す。まだ、命の炎は消えてないから、治す事も可能だ」
何を突然、と全員が唖然としていると、龍馬はクリオスの目を見つめた。その金の瞳は涙に揺れている。
「消える事は許さないよ、クリオス。君は俺の友達なんだから」
そう言って、クリオスの額に口付けを送ると、すぐさま城へ飛ぶように伝える。
「『スカルラット』に行くんだよ?フェニーチェさんが待ってる筈だから」
クリオスは、しばし唖然としていたが、力強く頷くとその場から消え去った。
榮烙は場を退くように一度龍馬に向かって頭を下げると、再度獅子の姿になり、外にいる黒豹、コクマーと頭を擦り寄せ合い挨拶を交わした。
「二人とも早く」
いまだ呆ける望と康平の肩を叩き、動くように促す。
「ぉま…」
「何で、ここに居るの…?」
混乱の極みに居るのか、複雑な表情を浮かべている。が、それに構っていられるほど時間はないのだ。
「いいから!早く!」
その叫びに、二人は現実世界に引き戻され、玄関へと走った。
望と康平が榮烙の背に飛び乗ったのと同時に、榮烙は俊足で駆け出した。
その背を見届け、龍馬はコクマーの正面に腰を下ろすと、その逞しい首に腕を回した。
「どうする?」
《…わし等精霊の望みとしては、あまりスィーレに血生臭い事はして欲しくないのが本心じゃのう…》
コクマーの言葉に「まあ、そうだよねー」と笑いながら、わしゃわしゃと逞しい首筋を掻き回す。
《じゃが…》
続いた言葉に、「おや?」と龍馬は漆黒の目を見返す。コクマーの目が眇められた。
《血に濡れてしまうのも、無神族帝王の運命じゃからの。わし等はスィーレを止める気は更々無い》
「…弥兎様も?」
コクマーの眉間を親指で撫でれば、気持ち良さそうに目を細めた。
《そうじゃ…王妃もまた、拭い去れぬ程の血を浴びて来た》
王の為。民の為。クレアートの為。そして、自分自身の為。
歴代の無神族帝王は、望む望まざるに関わらず、人知れぬ闇の中で大量の血に濡れて来た。
それが過去の、現在の、未来の無神族帝王の運命。
「まあ、元々、俺は血に濡れる事に抵抗はないんだよ」
《そうじゃろうな。スィーレも王妃も、他人の為ならば、犠牲になる事を厭わぬ方々だからの…》
呆れたようなその口振りに、龍馬はニッコリと笑うと、「よし!」と立ち上がりコクマーの背に乗った。
「フィナちゃん、俺は用事があるってフェニーチェさんに伝えて。イェソド」
紫の炎が左腕から飛び出し、大きな紫の羽毛を纏った鷹が姿を現す。その両足首には、鈍く輝く鎖。
《お呼びで…》
「フィナちゃんと一緒に城へ。必要と有らば、お前を通して俺の力を注ぐ。判断はお前に任せるよ」
言いながら、その顎を擽る。
《心得まして。お気を付けて》
そう言って、フィナと共に夜闇の中へ姿を消した。
「さ、俺達も行こうかね」
《心得た》
黒豹の太い首筋を優しく叩けば、それを合図にコクマーは大地を蹴り、ある場所へと駆け出した。
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