紅蓮の獣

仁蕾

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紫雲の章

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「残酷ではあるが、それとこれとは話は別ってヤツだ。ガキだからって、人を殺していい訳じゃない」
 当たり前のことだ。しかし、それが少女達にとって当たり前とは限らない。
 頭領だと言う少女、ヴェルジネは愉快だと言わんばかりに愛らしい顔を歪めた。
「お前に何が分かるっ。混血だと言うことでオレ達は疎まれ、迫害された。先に害してきたのはお前らだ!世界に見放されたオレ達はこうやって生きるしかないっ」
 怒気を含ませた、威嚇のような、嘆くような声。
 感情の揺らぎに引きずられない為なのか。ヴェルジネは、一度瞼を閉じ、深呼吸を繰り返す。
 ゆっくりと押し開かれた瞼の奥。煌めく双眸には明確な殺意を内包していた。
無神族オレらには無神族オレらの生き方がある。邪魔する事は、許さない」
 ヴェルジネの声に呼応するかのように、二人の男が腰に佩いた剣を抜く。殺意も何も感じない静かな構えに、龍馬は眉間に皺を刻み、いつでも動けるように神経を尖らせる。
「まあ、その前にちょっとお話ししたいんだけどさ」
 龍馬の提案に、男達の剣を握る手に力が込められたが、それを止めたのはヴェルジネの小さな手だった。
「…アンタは一方的に責めないんだな」
「うん?んー…まあ、色々思うところがね」
「ふーん…で、話って」
 頭領である少女が話をする姿勢ゆえか。男達は諦めたようにため息を吐き、剣を鞘に納めた。龍馬が「ありがとね」と礼を述べれば、苦虫を噛み潰したような複雑そうな表情でそっぽを向かれてしまった。
「えーと、まずは…俺、龍馬って言うんだけどお兄さん方は?」
 男達の表情が更に歪んだ。が、二人は顔を見合わせ、地を這うほどに深いため息を吐き出すと、龍馬へと視線を戻した。
「私は兄のジェメリ」
 赤い髪の男が名乗る。
「…弟のジェメロ」
 緑の髪の男が渋々と名乗った。
「ジェメリさんと、ジェメロさんね。えーと、まあ、盗みや殺しを働く理由はわかったよ。納得はしないけど。じゃあ、お二人に質問」
 弾むような声から一転。
「なんでその女の子が殺しなんかする集団の頭をしてるの?」
 責めるわけでもない、淡々とした声なのだが、感情に任せないその声音の方が二人の心情を揺さぶった。
「その子、あんた等の妹でしょ?本当はこう言う世界から守らなくちゃいけないのに、何で?」
 その言葉に、二人は息を詰め、言葉を紡げなくなる。龍馬の言葉に、口を開いたのは末っ子のヴェルジネだった。
「頭やる事…兄ちゃんと兄貴は、止めたよ。でも、オレがやるって決めたんだ」
 子供には似つかわしくない、静かな声だ。
「…何で、選んだの?」
「それが、此処の決まりだから。…此処の頭領は、代々女が務めて来た。オレらの母ちゃんも、そうだった」
「母親…?」
 優しく返せば、ヴェルジネは小さく頷いた。
「本当のじゃねーけど、優しい母ちゃんだった。母ちゃんが頭領になるずっとずっと…ずーっと前から、『エレボス』の女は頭領唯一人。オレがもし嫌だって断ってたら、他の無神族の女が攫われてた。此処の奴らは、人攫いなんて平気ですっから…」
 確かに、塔の中に居たのは男ばかりだったと思い出す。
「他の奴に害が及ぶなら、って…そう思って、オレが頭領を継いだ。初めて殺しの命令を出したのは、七歳だった。相手は…母ちゃんだった。前頭領を弑し、頭領を継ぐ。それが、ココの掟だから…」
 その命令を受けたのは、今、少女の前に双璧のように佇む双子の兄だと言う。命を受け入れたのは十七歳。実行に移したのは十八歳。ヴェルジネが八歳の時の出来事だ。
 それから兄二人は感情が少しずつ欠落し始め、ヴェルジネの心は麻痺して行った。
「うん、うん…経緯は分かった。じゃあ、もう一つ。…『ウトピスタ市場』の統括であるルシル様を殺害しようとしたのは、誰?」
 龍馬の言葉に、三人は表情を歪めた。
「ウトピスタ市場…?」
「私達は、その様な所には…」
 まさかの答えに、龍馬は自分の判断が間違えだったのかと首を傾げる。
「だけど、確かに…」
 濃い血の臭いは、確かに此処に続いていた。噎せ返るほどの臭いを間違えるはずはない、と考えている中、弾かれたように顔を上げたのはヴェルジネだった。
「なあ、アイツ…どこ行った?昨日から姿を見てねー…」
「あいつ…?」
 ジェメリとジェメロが難しい顔で考え込み、ハッとほぼ同時にある人物へと思い至る。
「ラーナ…!」
「ラーナ?」
 龍馬が返せば、「そうだ、アイツだ!」とヴェルジネが声を荒げた、その瞬間。
 室内の篝火が不自然に消え、光源が窓から入り込む月明かりだけとなる。誰もが息を詰め、警戒を高めた。
 ふと、月明かりの中を影が走った。龍馬がそちらに気を取られた瞬間。
 ―ぐず…
 生々しい音が、静寂の中に小さく聞こえ、ジェメロが体を強張らせた。
「メロ…?」
 ジェメリが弟の肩に触れたと同時、その体が力なく傾ぎ、床に伏した。
「…え?」
 ヴェルジネの視線の先。床に血溜まりが広がっていく。
 ジェメロの背中から胸に掛けて姿を見せるのは、血に濡れた細剣。寸分の狂いもなく、心臓が刺し貫かれているであろうとすぐに分かった。
「メロ!」
 ジェメリが弟の体を抱き抱え、名を呼びながら揺さ振るが、ジェメロは既に事切れていた。そうと分かっていても、ジェメリは何度も弟の名を呼んだ。ヴェルジネは目の前の現実が上手く処理できずに、その場で硬直している。
「あらまあ、何て呆気ないのかしら?」
 笑みを含ませた声が、闇の中に不気味に響く。
「ラーナ…っ、テメーッ!」
 男の声に、ヴェルジネは我に返ったと同時にその感情を爆発させる。
 コツリと小さな靴音。痩躯の男が窓辺に寄り掛かる。
「相も変わらず乱暴だわ…女の子がテメーなんて言葉、使うモノじゃないわ」
 頬に手を添え、憂いの吐息をこぼす。眦の垂れた男、ラーナの双眸は妖しい緋色に濡れている。その異なる気配に、龍馬は双眸を眇めた。
 優しげに浮かべられているラーナの笑みは狂気に満ち、人を殺す事を厭わず、寧ろそこに快楽を求めている者の表情だ。
「クサレ外道が…っ」
 ヴェルジネが目尻に涙を浮かべ、血反吐を吐くように唸れば、ラーナは心外だと言わんばかりに笑みを深めて見せる。
「酷い言い草。一体、誰のお陰で、ここがずーっと討伐されずに済んだと思ってるのかしら?」
 浮かべられていた笑みが消え、温度のない視線がヴェルジネを射抜く。
「その外道が、邪魔な奴等を消して来たからじゃない」
 ラーナの姿がその場から消える。
 まばたきの刹那。
 ―ガキンッ!
 ジェメリの耳元で不快な金属音が響く。瞠目する先にはラーナの不機嫌に歪んだ表情。そして、視界の隅に鈍く光る刀身。
「惜しいこと。ちょっと、部外者が邪魔すんじゃないわよ」
 ラーナが睨み付ける先には、ジェメリではなくその背後に佇む男。ラーナの剣を苦も無く剣を押し留める龍馬の姿。その表情は戸を見下す絶対零度の眼差し。
「そりゃ悪い事をしたな。だが、無関係じゃいられねーんだわ」
 龍馬の背後から光る目が飛び出した。その正体を視認する間も無く、ラーナを衝撃が襲った。
 ―パンッ!
 飛び出した影は、しなやかな動きでラーナの後頭部を叩き落とした。
 ―ズガガガガガガッ!
 軽い音とは裏腹に、ラーナの体は床を破壊し、最上階から落ちて行く。
《やれやれ、急に戻されたゆえ驚いたぞ》
 花の香りを纏い、すとんと龍馬の隣に佇んだ影。街中の敵の殲滅を任じられたティファレトだった。二尾をゆらゆらと揺らして、右前脚をぺろりと舐めた。その小さな前脚で叩き付けたのだと想像がつく。
「うん、ごめんね」
 いつになく平淡な主の声に首を傾げていると、ズドンと鈍く大きな音が響いた。ラーナの体が一階まで落ち切ったのだろう。
 龍馬はジェメロの遺体に短い黙祷を捧げ、ぽっかりと開いた穴へと身を投じた。その後をティファレトもついて行く。
 ヴェルジネとジェメリは、突然の死を迎えてしまったジェメロの額に弔いの口付けを送り、急いで一階へと走った。

 厚い雲が月を隠していた。雲の切れ間から、僅かに漏れる明かりだけが頼りだった。
 塔内から響く破壊音に、出入口の前で寛いでいたコクマーは身を翻し、衝撃で崩れた出入口を睨み付けた。
 土煙の中、影が揺らいだ。
「いったたた…あー、驚いた…」
 瓦礫を跨ぎながら姿を現したのは、口の端から血を流し、砂埃で薄汚れただけのラーナだった。微かに足を引きずりながら外へと出てくる。
「あーあ…どっかで休まなきゃ治らないわね、これ」
 こきりと首を鳴らし、視線を巡らせれば、威嚇を見せる黒豹と目が合った。
「あら、猫ちゃん。ご機嫌いかが?」
 傷を意に介す事無く、ラーナはひらりと手を振って見せた。
 傍から見れば、怪我を負っているものの、どこにでも居そうな優男だった。
 しかし、人かと思おうにも、難しかった。ただの人間が石造りの塔を破壊できるわけもなく、破壊できたとして生きていよう筈も無い。何より、人間からは絶対にしない腐臭がコクマーの鼻孔に届く。自然と喉がグルリと鳴った。
「あらやだ、嫌われちゃったかしら」
 笑う男の背後に二つの影が降ってくる。主人と同胞だと認識すると同時に、コクマーの体は炎となって消え去り、主人である龍馬の内へと戻された。
「なんだ、アンタの精霊だったの」
 ラーナはつまらなそうに呟くと、口内の血を吐き出して振り返る。瓦礫を踏みしめながら出てこようとする男に、ラーナは狂気の笑みを浮かべた。
「あたしとアンタ、所詮は同じ穴の狢よ」
 芝居がかった動作で両腕を広げ、声高に叫ぶ。
「落ちてく最中見たわよ。地面に這い蹲る何十人もの男達。壁を彩る赤!そして、あたしに巻き込まれて死んでいく、虫の息だった男達」
 嗚呼、可哀相だこと!
 芝居じみた動作で、ラーナは自身の片を抱き締めて俯いた。
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