紅蓮の獣

仁蕾

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紫雲の章

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 そして、その双眸が。
「ベル…その、目…」
 龍馬が力無く呟いた。
 ヴェルジネの赤と緑のオッドアイが、今は美しい山吹色に輝いている。
 瞠目して呆然としているその表情は、動かない。
 その眼差しがゆるりと動き、康平の血に濡れた体を一瞥すると、龍馬と望へ視線を投げ掛けた。
 目元が綻び、頬が緩んだ。少しだけ不敵に笑う様は、康平に酷似していた。
「なん、で…」
 愕然と呟く龍馬の横をすり抜け、ヒガディアル、ククルカン、アザゼルがヴェルジネと康平に駆け寄った。
 アザゼルがヴェルジネの体を抱き留めた瞬間、ヴェルジネは意識を失い、淡い輝きと共に少女の姿へと戻った。
 ヒガディアルとククルカンは康平の傍に膝を付く。ヒガディアルは康平の胸の短剣を慎重に真っ直ぐに抜き取ると、ククルカンがその体を素早く仰向けにし、こぽりと血をあふれさせる傷口を手で圧迫する。血に塗れたヒガディアルの指先が頚動脈で脈を診る。その表情が難色を示すのを見て、龍馬と望の心の内に絶望が広がった。
 弥兎は表情を変えず、瞼を閉じて少し俯いただけであったが、何とも言えない感情が胸の内を廻っていた。
《ふふふふ…あーっはっはっは!仲間内で殺し合いとは!なんと面白き余興か!》
 高らかと笑い声を上げたカーリー。
《しかし、妾を前に余所見とは、余裕じゃの!》
 カーリーの姿がその場から消え、一瞬の内に龍馬と望の背後に移動した。二人は身じろぐ事すらしない。
 手の爪が長く伸び、凶器へと姿を変える。
《王の首は妾のモノじゃ!》
 一閃。
 獲ったと思ったのも束の間。斬ったのは残像。
 虚しく揺らめく影に気を取られていると、背中に激しい衝撃を受け、結界の壁際まで吹っ飛んだ。壁に激突し、空気と共に血を吐き出す。
「へぇ…アンタにも血は流れてるんだ…?」
 感情の篭らぬ、冷え切った龍馬の声。
 徐々に膨らむ精霊力と、身も凍るほどの殺意。
(妾は守護神…神じゃ…!妾に勝てる者なぞ、人の世に居る筈は無い。…じゃが、この気…人の域では無い…!)
 カーリーは、初めてその身に恐怖を感じていた。
「仲間内で殺し合い…?はん、よく言いやがる…」
 常より幾分低い望の声。口調すら変わっている。
「アンタ…覚悟はイイよね?」
「カミサマだからって、容赦しねーのが俺達の流儀でね!」
 言葉と共に飛び出す望。間断なく襲い来る赤華扇と足技の連撃に、カーリーは防ぐ事しか出来なず、攻撃に転じる機会が見当たらない。
 なれば。
《時よ!》
 叫んだ瞬間、隠れていた額の宝玉が姿を現し、強く輝いた。同時に、周りの全てがピタリと止まる。
 肩で息をし、安堵の息を吐いたのも束の間。
《切羽詰ってるね、カーリー》
 小さな笑いを含んだ声がやけに響いた。
 カーリーの体に、一気に緊張が走る。
 視線を移せば、確実な怒りを持った弥兎が微笑んでいた。
 背筋を悪寒が撫でるのを感じながら、カーリーは不恰好な笑みを浮かべた。
《そうか…汝には効かなんだな…時の拘束は…》
 無様にも声が震えていたが、それを気にしている余裕は無い。
《龍馬が正式に帝王に着任してなくて良かったね。もし、王座に就いていたら、あの子にも時の拘束は関係ないもの》
 片や恐怖に頬を引き攣らせ、片や穏かな笑みを浮かべる。
 何とも異質な光景だ。
《では、汝が妾の相手をするのかえ?》
《ははっ、まさか!俺がやる事に何の意味があるのさ》
 かつての王が、無邪気に笑う。
《じゃが、汝以外、動ける者も居らぬであろう?》
《そうだね。でも、だからこそ…》
 そう言いながら、人差し指と中指を揃えてカーリーに指先を向けると、ゆっくりと笑みを深めた。
《だからこそ、封じるんだよ。『封印スィジッーラ』》
 指先を中心に、手のひら大の複雑な小さな陣が現れる。カーリーがハッと息を呑んだが、時既に遅し。
 宝玉に同じ陣が焼き付き、その輝きが失われた。数拍遅れて、周囲の気配が動き出すのを感じ、背後に風を感じた。
「女だからって、容赦しねーからな!」
《ぐっ!》
 脇腹に強烈な蹴りが減り込む。
 静かに着地した望が、フン!と鼻息荒く腕を組みながら、吹き飛んでいくカーリーの姿を見送った。
「本当に容赦ないねー…」
 先ほど、自分がその女の背中を思い切り蹴飛ばしたのを棚に上げ、龍馬は望の制裁に頬を掻いていた。それをあえて口にするでもなく、同意した弥兎はやはり龍馬の親なのだと、康平を介抱していたククルカンは口を閉ざした。
 立ち上がったカーリーの表情は、恐ろしいまでの憤怒に歪んでいた。
《よくも…よくも妾を、二度も足蹴に…!許さぬっ!》
 カーリーが叫んだ瞬間、彼女の周りに霧が集まり、霧が晴れたその姿が、先程のドレス姿ではなく、戦うに適した戦闘服に変わっていた。
「おお…やる気満々…」
《龍馬、此処は俺と望に任せて、康平とベルの所へお行き》
 弥兎の言葉に頷き、望の背に声を掛ける。
「望さん、すぐに戻るから」
 返事の変わりに手を振り返され、龍馬は康平とヴェルジネのもとへ駆け出した。
「ヒガ様、どうですか?」
 龍馬はククルカンの正面側、ヒガディアルの隣に膝を付き、青褪めた康平の顔を見下ろした。
 双眸を閉ざす康平の表情は、予想に反して穏かなものだった。痛みを感じなかったのか、仲間を傷付けずに済んだ故の安堵の表情なのか。それが逆に龍馬の胸を締め付けた。
「…いい状態とは言えん」
 血が止まらず、脈もどんどん間隔があいて来ているらしい。
「そう…琥珀…」
 ククルカンの苦々しい声に龍馬は頷くと、戦闘の余波を防ぐ壁になっている琥珀に声を掛ければ、了承したように琥珀が一声上げ、尾を振った。
 一枚の鱗が康平の胸の上に現れ、その姿を崩した。崩れた鱗が傷口に入り込み、その傷をゆっくりと塞いで行く。
「あとは、リタ姐さんと焔花…けんこう鉉煌の体力次第って所かな…」
「私が補助をしよう。お前は地の宝玉を…」
 ヒガディアルの言葉に、龍馬は力強く頷いた。
「ケセド」
《はい》
 龍馬の左腕から青い炎が解き放たれ、青い狼が姿を現した。
「地神族帝王のトコまでお遣い宜しく」
《はい》
 大地を蹴った次の瞬間には、その姿はその場から消え去っていた。
 カーリーは憎悪の表情を望むに向けていた。対し、望は冷え冷えとした目を向け鼻で笑う。
《汝には、生き地獄を見せてやろうぞ…!》
「そっくりそのまま、返しましょう?」
 赤華扇を構え、宙に舞う。横に凪げば、手のひら大の炎球が五つ現れ、見上げるカーリーへと翔けた。カーリーはそれらを寸前まで引き寄せ、地面を蹴って回避する。炎の塊は大地に触れた瞬間、大きな爆音を立てて地面を抉り取った。
 カーリーが胸の前で両手を交差させれば、片手に四本ずつの飛刀が握られており、時間差で片側ずつ望に向かって飛ばした。その恐ろしいまでのスピードに、避けるのがやっとだ。
 一本の飛刀が望の頬を掠め、一筋の傷を作り出す。痛みよりも、熱いといった感覚が望を襲う。血が伝う感触に、望は小さく舌打ちをした。
 瞬きの刹那に、眼前に迫った切っ先。
(早すぎだろっ!)
 狂乱に悦を見出し傲笑を浮かべるカーリーの剣技に、若干苛立ちながらも左足を跳ね上げ、カーリーの脇腹を狙う。が、剣と扇が鍔迫り合う場所を支点に、カーリーは腕力だけで望の上空へと移動した。望の足は虚しく空を切る。
「クソが!」
《まだまだじゃの、小僧》
 飛び上がった勢いそのままに、カーリーは姿勢を崩した望に思い切り踵を落とした。咄嗟の反応で、脳天への直撃は免れたが避け切れず、い踵落としが右肩を襲った。
 上空から地面へ、容赦なく叩き落される。
 轟音とも取れる衝突音と土煙に、見守っていた龍馬は手を上に翳した。
「神槍」
 呼応して現れた雄々しくも美しい騎槍。それは、初めて呼び出したときよりは小さく、十m程の大きさしかなかった。
 ボールを投げるように勢い良く腕を振れば、騎槍は刹那の瞬間にカーリーの心臓の正面へ走った。が、カーリーの胸の前で静止し、バチバチと音を立てながらもそれ以上進む気配が無い。
「くっ」
 騎槍を後押しするように翳している龍馬の腕が、小刻みに震え始める。
 確かに感じる、何かに遮られている感覚。何もない筈なのに。
 どれだけ力を込めても、精霊力を注ぎ込んでも微動だにしない。
《汝が力…それほどのものか…?》
 カーリーの細い指が、騎槍の切っ先に触れようとした瞬間、龍馬は何かを感じ拳を握った。同時に、騎槍が光の粒子へと化す。
《ふふ…正しい選択じゃ》
 妖艶に微笑むカーリー。
 龍馬は一瞬で感じ取った。あのままカーリーが触れていたら、風神族の宝玉は無残に砕け散ってしまうところだった、と。
《龍馬、お前は無闇に手出しをするな》
 アザゼルの静かな声が、龍馬の耳に入り込む。
 父が何故、そう言うのかは解る。
 宝玉の破壊。それは、宝玉を体の一部とした龍馬自身の崩壊を示しているからだ。最終手段でもあった宝玉での手出しが出来ぬ以上、望の足手まといになるのは必定。
 しかし、明らかな望の劣勢に龍馬は舌を打つ。
「…どうすれば…」
「…ククルカン、地の宝玉で今の彼女を封印しきるのか?」
 ヒガディアルの問いに、ククルカンは我が妻を見つめ、ふんと鼻で笑った。
《それでどうにも出来なきゃ、この世界はお終いだな》
《ククルカン…》
 アザゼルの声音は、ククルカンを責める様に苦い色を見せる。
 だが、ククルカンもどうにかしたいのは山々である。自分の小さな友人達が、自分の妻のせいで傷を負い、死に掛けているのだ。
《はあ…仕方ない…俺が行こう》
 ククルカンが立ち上がり、強力な結界内へと入り込んだ。
 不意の侵入者に、カーリーは望の脇腹に足をめり込ませ、その体を吹き飛ばした。地を滑る体が砂煙を作り出し、視界を歪ませる。
 カーリーの顔が、愉悦に満ちた。
《ようやっと、重き腰を持ち上げたか、ククルカンよ》
《ちっとばかしオイタが過ぎるぜ、カーリー。乙女神パールヴァティーはどうした》
 ククルカンの問いに、カーリーの口角が歪に吊り上がる。
《お前の乙女は、妾の奥底に封じ込めておるわ》
 甲高い笑い声が空間に響き渡る。
 対面するククルカンとカーリーを背に、龍馬は望へと駆け寄った。
「望さん!」
 うまく力が入らないのか、望は震える腕で体をゆっくりを起こす。龍馬はその傍に膝をつき、望の体を支えながら怪我の度合いを確認する。
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