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紫雲の章
終幕
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火神族王都『フオーコ』は、既にお祭り状態で、身動きが難しい程の人で賑わっている。
そんな街を見下ろし、正装に身を包んだソニアと康平は顔を引き攣らせていた。
「あたし、今日買いたい物があったのに…」
「俺も…」
いつもと違って彩り豊かな街の景色に、深く溜息を吐き出した。
窓に背を向け、持ち場である『ニンフェーア』の扉の前に戻ると両側の壁に背中を預け、二人は雑談を始める。
現在、部屋の主は望の手により着替え中の為、扉番として居るのだが、暇で暇で仕方がない。
アイリーンは望の命令により別室で龍馬に対する用事を捌いている。つまり、暇潰しがないのだ。
そろそろ飽きて来たなと長息を吐き出す頃、扉が開き、可愛らしく着飾られたヴェルジネが顔を出した。
「ノン兄が入って来いだって」
待ってましたと言わんばかりに、二人は部屋に足を踏み入れた。
「おおー、馬子にも衣装!」
「すごーい!綺麗よー!」
部屋の主は、絢爛に着飾られていた。薄化粧も施され、目にも紅をさしている。黒く長い髪は腰辺りで緩く結われており、あとはベールを被るだけの状態だ。耳や胸元には、職人の手により先日完成された装飾品。
婚礼衣装を纏った龍馬は、照れ臭そうに微笑んだ。
「やばい、すっげー緊張する…」
心無しか声が震えている。
しゃがみ込んで、裾の調整をしていた望が立ち上がった。着付けで忙しなく動くからか、彼はまだ普段着のままだ。
「大丈夫、君は本番に強いからね。皺になるから、座る事は出来ないけど…」
「平気、大丈夫」
「そう?じゃあ、俺着替えて来るから。ベル、ちょっと部屋借りるね」
「うん」
そう言って、望は正装を抱えて、ヴェルジネに宛がわれている部屋、『スカルラット』に向かった。
「うわー、康平さん、あんまヒラヒラした服って着ないからなんか新鮮」
無神族帝王直属近衛隊の正装として作られた衣装は、袖が着物のように長く、裾も床に少し流れる程度に長い。しかし、材質がいいのか、激しく動く事を可能にする。体術に優れる彼らには有り難い代物である。
「…とうとう、この日が来たのね…」
ソニアは感慨深げに呟き、龍馬の頬に手を添えた。
慈母の如き笑みを浮かべるソニアの紫紺の双眸を、龍馬は真っ直ぐに見つめる。
「あたし達兄妹が認めた唯一の王。あなたが幸せに笑っていれば、世界も笑っていられる。…だからと言って、無理に笑わないで。辛いならば辛いと甘えて頂戴」
「…うん」
「約束よ?」
「うん、約束する」
「愛してるわ、帝王」
「俺もだよ、ソニア」
「婚礼おめでとう、幸せに」
「有難う」
じわりと目尻に涙を浮かべたソニアに、龍馬も笑い返して二人はそっと抱き合った。
「俺からも良いか?」
普段より静かな康平の声に、龍馬は体を向けた。
「幸せな『花嫁』に、報告する」
「何?」
どこか照れ臭そうに差し出された康平の左手。その薬指には、細い銀の指輪が鎮座しており、龍馬は「あっ」と声を上げた。此方の世界にはない習慣の筈である。
「ジークに、昔話てたんだ、指輪の事。それで、昨日…貰った。何日か前に、過去の話をしててさ。…過去の俺も、今の俺も…受け止めてくれるって」
穏やかな康平の話し方に、龍馬が泣きそうになる。
もっと長くかかると思っていた事。もしかしたら、受け入れて貰えないかもとひとりでモヤモヤと考えていた。
「良かったね…康平さん…!」
「あーあー、まだ泣くなよ?化粧崩したら、望がキレるぜ?」
「っ、うん」
「…俺は、幸せのカケラが手に入った。お前のお陰だよ」
そう言う康平に龍馬は首を振ったが、「お前のお陰なんだ」とそっと抱き締められた。
「お前の幸せが、俺達の幸せだ。愛してるぜ、帝王…」
「俺もだよ、康平さん…」
「幸せにな…」
「…うん、康平さんも」
泣きたい衝動を必死に抑え込み、涙を堪えていると、ポフッとヴェルジネが龍馬の腰に抱き付いた。
「オレは、龍ママに出会えて良かった。父様と仲良くね。愛してるよ、龍ママ」
可愛らしい笑みのヴェルジネを、龍馬は前屈みになって抱き締めて、額を重ねた。
「可愛いベル…俺も愛してるよ…」
扉がノックされ、望と望の上着を手にするアイリーンが姿を現した。
今にも泣き出しそうな龍馬の顔を見て、粗方想像出来た望は「まったく…」と呆れた顔で龍馬に歩み寄り、そっと抱き締めた。その瞬間、龍馬は堪え切れずに涙を流してしまった。望は、微笑みながら言葉を紡ぐ。
「今まで何度も言って来たけど…君が『花嫁』で良かった。龍馬…君のお陰で、俺はアイリーンと歩み寄る事が出来た。また人を愛する事が出来た。君じゃなかったら、此処に居るみんな誰一人として、この城に居なかっただろうし、こんなにも穏やかな気持ちを知る事は無かった。俺達は、君のその心に幾度となく救われて来た。きっと、生きている内にこの恩は返し切れないと思う」
腕の中の龍馬は、嗚咽を押し殺しながら首を振る。
「君が与えてくれた愛は俺達に希望を、勇気を、命を植え付けてくれた。君が、永久に幸せだと思える日々が過ごせる事を願うよ。愛してるよ、帝王」
龍馬は答える事が出来ずに、頷く事しか出来ない。
アイリーンは、髪形を崩さぬように望に泣きつく龍馬の頭を優しく撫でた。
「俺達の王…沢山の傷を負って来た人生に、終止符を。これから先は、その傷が少しでも減らせるように、俺達も努める。お前の笑顔が、俺達の傷を癒してくれるから。愛してるぜ、帝王…幸せに、な」
アイリーンの静かな声音に、更に涙が溢れ出し、龍馬は言葉を詰まらせた。その場に居る全員が、苦笑を漏らし、望は龍馬の涙を優しく拭う。
「さ、もうすぐ時間だから、お化粧直ししなくちゃね」
「ん…」
「ふふ、上着脱いでて良かったわね、望」
「ホントだよー」
「うう、ゴメン…」
からかいながらも龍馬の調子が戻って来た事に、全員が安堵する。流石に主役を泣かせたまま、儀式に出す訳にはいかない。
急いで化粧直しに取り掛かった。
太陽が中天に差し掛かった頃。
世界の全てが静まり返っていた。誰もが口を噤み、婚礼の儀が終わった時に世界中に鳴り響く鐘の音を待ち侘びている。
盛大な音楽が鳴り響き、王都の閉ざされていた正門が厳かな音を立てて開かれた。
無神族帝王直属近衛隊の四人が四方を囲み、その中央を歩くのはベールで顔を隠し、黒と紫系統の衣装を身に纏う花嫁。凛と正面を見据える秀麗な面々に、民衆は感嘆の息を漏らした。
長く続く道の先には、大階段。
無神族帝王直属近衛隊は階段の手前で花道の両脇の列に並び、誰もが階段を上る『花嫁』の姿を見つめていた。
階段の上の台には、左脇に各種族の帝王、右脇に各種族の守護神が並んでいる。
その更に一段上。いつもは風に靡く焔色の髪は纏められ肩に流している火神族帝王の、精霊王の姿。しかし、そのオッドアイは、いつものように穏やかに『花嫁』の姿を見つめていた。
いつの間にか音楽は消え、静寂が訪れる。
精霊王はそっと左手を差し出し、『花嫁』がその手に右手を重ねた瞬間、広場に炎の花びらが舞い始める。それは、熱を感じる寸前で空気に溶けた。
二人の正面にある段差の上に、炎の大輪の花が咲き、絢爛な衣装に身を包んだ火神族守護神が姿を現した。
《右の者、精霊王ヒガディアル・イシュリビア・ドリアラス。左の者、『紅蓮の花嫁』更紗龍馬。汝ら、互いの伴侶にして世界の主たる事、誓えるか》
朗々と響き渡る低い声。
互いを伴侶と認め、『世界の父』そして『世界の母』である事を誓うか。
重い決断。しかし、迷いはとうに捨てた。
「誓います」
重なった二つの声に、ククルカンは笑みを浮かべて小さく頷いた。二人の額に手を伸ばし、同じ紋様を指で画いていく。それぞれの力が浸透し、ヒガディアルの紋様は赤く、龍馬の紋様は紫色に染まった。
《今此処に、『クレアートの王』並びに『クレアートの王后』が誕生した事を宣言する!》
ククルカンが叫んだ瞬間、守護神達の体が輝き出し、絡み合いながら空へと昇った。
一層強く輝いた次の瞬間。
―グォオォオオォオオ!
純白の鱗を纏った蛇龍が姿を現し、龍馬の体から黒き蛇龍が翔けた。絡み合った二頭の竜が、陰と陽の形を取った瞬間、澄み渡った鐘の音が世界中に響き渡り、大地は世界中の歓声により揺れ、数多くの者が涙を流した。
その時代を、誰もが『奇跡』と称した。
『聖帝』ヒガディアル・イシュリビア・ドリアラス。
『龍帝』更紗龍馬。
彼らが治めた時代は『聖龍時代』と呼ばれ、歴代で最も長い時代となった。
その治世、およそ七〇〇年。精霊は歌い続け、人々は争う事は無かったと言う。
龍帝の傍には、常に歴代最強の無神族帝王直属近衛隊が寄り添っていたと伝えられる。
『赤竜王』麻生望。
『紫竜王』立花康平。
『武聖王』アイリーン・アザゼル・リーチェ。
『聖女王』ソニア・リーチェ・グランジュール。
仲睦まじき五人の姿は、息を引き取るその瞬間まで変わる事は無かったと言う。
聖帝と龍帝は、常に互いを愛し続け、世界に安寧を齎し続けた。
常に寄り添い合い、最期の瞬間も寄り添い合っていたと言う。
彼らは、最期に遺した。
「誰もが幸せな世を作り上げるのは、ひとりでは難しい。誰もが助け合い、支え合いながら生きている事を自覚し、手を取り合えば、自ずと世界は笑い掛けてくれる」
そう笑ったそうだ…―。
これは、一輪の紅蓮の花が齎した、たった一つの物語。
これにて、終幕。
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