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第4章
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しおりを挟む「…酔いそう」
頭痛は治まったが、上質な酒精に酔うような柔らかな浮遊感にくらくらと頭が揺れる。
「直に馴染む」
「…ん」
頭を撫でられる心地好さに、康泰の瞼がゆっくりと閉ざされ、深い呼吸は小さな寝息へと姿を変えた。
それを見届け、一度のまばたきでロイウェンの纏う空気が一変する。
「ユリエラ」
名を呼んで一呼吸。ロイウェンの影が波打ち、ユリエラが上半身だけを現して床に頬杖をついた。
「安易に呼び出すなとお伝えしたデショ」
やれやれとため息を吐き出したユリエラの小言は右から左に。聞こえないフリだ。
「子飼いの影をモニスにつけておけ」
「子飼いって…あなたの魔力なのだからあなたが命じればいいデショ?ぼくはあくまで預かっているだけダ」
「預けてない。お前に譲ったんだ」
ぼくもあなたの『暗影』もそうは思ってないけどネ。
吐き出される事の無い言葉をため息で誤魔化し、承知したと頷いた。
「モニス・マナ=ケルブを監視対象とし、有事の際は輪廻を絶つ。それでいいですカ?」
「頼む」
「皇のご随意に」
随分殊勝な態度だと微笑ましく思いながら、ユリエラはとぷんと影の中に沈んで行った。
さて、とロイウェンは天井を仰ぐ。
「明日はどちらの王妃と面会だったか…」
会わなければならないあと二人の王妃を思い浮かべ、深く息を吐き出した。
優秀な宰相と近衛隊隊長は己等がいない間に仕事が山積する事の無いよう、複数名に仕事を割り振り、自身の補佐をこなすように手を回しているだろう。ミオンたちほどではないにしろ、他の臣下たちも粒揃いである為、仕事の流れに関して心配はしていない。
現状、一番気がかりなのは―…。
「メリディア、か…」
魔皇狂いの妄信者と称される幼い女帝。
ミオンの報告によれば、少女は真面目に政務をこなしており、現状では妖しい動きを確認する事は出来ていないとの事。
「既に何かしらの手を打っている可能性が高い、か…」
寧ろ、そう考えた方がメリディアが大人しい事も腑に落ちる。
「まったく…同類で争う事ほど、愚かで虚しい事も無いだろうに…」
瞼を閉じ、膝で眠る掌中の珠を静かに愛でた。感情を捨て去ろうとしてしまう自分を引き留めるかのように、ゆっくりと、優しく。
***
康泰は夢の中に居るのだと確信していた。
その理由は、目の前の子供。金の髪は風も無い中、自身から立ち昇る魔力で揺らめき、見上げて来る漆黒の双眸には白銀に輝く『魔皇の刻印』。その足元では彼の魔力のひとつである『暗影』がざわめいている。
康泰があと二歩ほど進めば少年の目の前に立つ事が出来るが、それをしてはいけないような気がした。
康泰は微笑む。
「やあ、ロイウェン皇」
「ご機嫌よう、ツガイ殿」
子供特有の高い声とまろい顔立ちにも関わらず、その口元に浮かべるのは今と変わらぬ酷薄な笑み。
「何故、俺の前に?」
「意図した事ではない。わたしは、そなたの腕輪に込められた魔力の欠片。皇自身であり、皇の記憶、皇の思いでもある」
同個体であり、別個体であると少年は言う。
「わたしはそなたを失う訳にはいかぬ。そなたの喪失は、世界を崩じさせる」
―そなたは贄なのだ。
少年は笑みを崩さない。康泰も、また。
「ツガイは贄であると知っていた。ゆえに、わたしはツガイを拒み、眠りに就いた。…だと言うのに、ミオンも想定外の事を…」
眠りに就く間際、何度も言い聞かせた。ツガイは要らぬ、眠りを妨げる事は許さぬ、と。
愛されているのだと康泰は笑った。
「あんたが思っている以上に愛されているって事だよ」
笑みを苦笑に変えた少年はゆっくりとまばたく。
「ツガイ殿にこの子を授けよう」
少年の影が大きく揺れ、ぱちゃんと水面の音を立てて飛び跳ねたのは、額に三本の小さな角を持ち、喉の付近に赤い勾玉を綱で括り付けた黒の竜鯉。跳ねたそれは、その勢いのまま康泰の影にとぷんと沈んだ。
「鯉…?」
「わたしの『暗影』の残滓だ。そなたに従ずる闇のものとよく混ざるだろう。お守り代わりに受け取っておくれ」
幾分柔らかく響いた声が遠ざかる。
「ツガイ殿、わたしはわたしなりにそなたを大事に思っている。あまり心配させてくれるなよ」
ふつりと意識が途絶え、次に見たのは自室の天井だった。柔らかなそこは、自分のベッドの上。ロイウェンの姿は無い。
「まあ、善処するよ」
天井を見上げたまま笑えば、どこか遠くで「仕方の無いツガイ殿だ…」と小さな皇が笑った気がした。
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