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第5章
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しおりを挟む冥界は死者の世界であり、萌芽の世界である。天界から堕ちた者、人間界や冥幻魔界で死んだ者が辿り着く最果ての世界。冥界で生まれ育った者以外は、その魂に応じた年月を掛けて『黄泉の川』で禊を行い、次の生へと向かうのだ。
「冥界が関わっていたとして、あっち側に何の得があるんだ」
「人魚族はその涙も鱗も宝石となるのは?」
「うん。モニスさんから聞いた」
あんまりガロンはいい顔をしなかったけど、と続ければ、そうだろうなとロイウェンは息を吐く。
「冥界では死者の魂は住まう者となるが、生者の魂は通常では得難き宝玉と成る」
康泰の表情は、日中のガロンのように苦々しく歪んだ。
「もし、天界が関わっているとしたら?」
「…実験、だろうな。魔力は弱いが人魚族も魔族。天界や人間界、冥界の者たちよりも諸々の能力値は高い」
ロイウェンの言葉に、歪んでいた康泰の表情は更に険しさを増す。
何の実験かなど、考えたくもない。
「皇妃」
柔らかな振動に顔を向ければ、ベッドの上に胡坐を掻いたロイウェンが、膝に頬杖をついて康泰の顔を見下ろしていた。
「お前が大人しいとこちらの調子が狂うな」
「…人を猪みたいに…」
「ふふ、似たようなものだろう?」
髪を撫でられ、頬を擽られ、心地好さに康泰の双眸が猫のように弧を描く。
「気に掛けるな、と言うのも無理な話だろう。先にも述べたが、動きたいのなら動けばいい。…ただ、約束をしておくれ」
「約束…?」
ぱちりと琥珀が瞬いた。
「深追いをする必要は無い。それは、魔皇の役目だ」
後ろに控えていろと言う事ではない、と注釈をつける事も忘れない。言葉と言うのは難しいものだと知っているから。
「私の知らぬところでお前が傷付くのは耐え難い。何かあった時、私は私が許せなくなる。無理をするのは、いつか、正式に皇妃となって私の隣に立った時にしておくれ」
「…うん、約束。今回の件に関しては、出来る事を弁えるよ」
真っ直ぐに見上げてくる双眸に、ロイウェンは眉尻を僅かに下げ、小さな苦味を笑みで隠して康泰の頬に口付けた。
「さあ、もう寝よう」
「うん。あんたはどうする?泊まってく?」
一緒に寝ようと笑う康泰に、ロイウェンも笑みをこぼす。
「もとよりそのつもりだ」
「ふはっ、そりゃよかった!」
二人でもぞもぞと大きなベッドに潜り込む。ロイウェンがすいと指先で虚空を撫でると、明かりが消えて一瞬だけ暗闇が包み込むが、淡い灯りを宿す球体が幾つかふわりと浮かんで柔らかな影が躍った。
康泰は灯りに浮かび上がるロイウェンの面立ちに双眸を細める。日中の明かりの中での荘厳な印象がなりを潜め、少しだけ康泰の鼓動を早くした。今までも何度か添い寝をした事はあるが、この空気に慣れる事は無いのだろうと諦めている。
人ひとり分の距離を詰めれば、優しい腕に囲われた。が、いまいち納得がいかない。
「ねえ、服、邪魔」
不満を露わにした声に、ロイウェンは苦く笑った。さらりと魔力で紡がれた夜着が無くなり、康泰はその胸板に手を伸ばす。
足に触れる布の感触にも不満を漏らしたが、それは承諾されなかった。
滑らかな肌、体温は思いのほか温かい。
「悪戯は感心せんな」
笑みを含めた声にも康泰は素知らぬふり。
肩を押せば、抵抗も無く仰向けになったロイウェンの胸板に上半身を乗り上げ、その首筋を柔く噛む。
「…康泰」
咎める声。真っ直ぐに呼ばれた名前に、胸の内側が艶やかにざわめいた。
褐色の肌を数度食み、指先で胸と腹筋の隆起をなぞる。擽ったいのか、ひくりと小さく反応を示す腹筋に吐息が漏れた。
「…ヤバい、性的にイタズラしたい」
知らず、自身の唇を舐め上げる。吐き出す言葉に熱が籠っていた。腰に置かれたロイウェンの手が、先ほどよりも熱くなっている事実が康泰の欲を更に煽る。
康泰を見上げるロイウェンは、愉快気に笑った。
「十分に、性的なイタズラをしていると思うが?」
腰に置かれた大きな手が、服の上から背を撫でる。それだけなのに、康泰の体が小さく震えた。
「正直、此処まで興奮するとは思ってなかった」
体を支えていた腕の力を抜いて、逞しい胸に頬を寄せる。
「興奮する?」
楽し気な指先が、康泰の夜着の隙間を割いて腰を横に撫でた。
「っ、する…何でだろ…」
ふわりと康泰の体から蜃気楼が生まれる。魔力が揺蕩っているのだ。それを見てこれ以上はと判断し、ロイウェンはツガイの体を抱き締めてゆっくりと優しくその背を叩く。
あやすように、宥めるようにそれを続けていると、小さな寝息が聞こえ始め、ゆらゆらと不安定に揺れていた魔力も落ち着きを取り戻して蜃気楼は霧散した。
ぱちりとまばたき、康泰に自分の魔力の痕跡がない事を確認して安堵したが、ほんの少しだけ自身に残留する康泰の魔力にしまったなと息をつく。一晩経てば消えるほどの残滓。本来ならば消してしまわなければならない痕跡なのだが、ロイウェンはそれを自身の魔力で包んで自分の内側に閉じ込めた。宝物ように、そっと。
少しばかり神経を使う作業を終えたロイウェンは、柔らかな寝息を聞きながら視線を動かした。
ベッドの横に佇む闇。自身の髪色と同じ色をした双眸が、ゆるりと愉快気に弧を描いている。
「ユリエラ、先ほどの話を宰相と近衛隊隊長に伝えよ」
「畏まりましタ」
芝居がかった所作で一礼を返し、その姿勢のままとぷりと影に飲み込まれた。
ユリエラの姿を見送り、ロイウェンは深く息を吐き出した。万が一、冥界が関わっていた場合、面倒事が増えるのは必定だ。天界が関わるよりも、面倒臭い。
準備はするに越した事は無いと胸中で零し、ひっそりと近付いて来る睡魔を招く。
康泰の体をそっと抱き寄せれば、小さな呻き声と共にもぞりと動いた康泰の腕がロイウェンの背に回され、その温もりに促されるように自身も瞼を下ろした。
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