セカンドライフは魔皇の花嫁

仁蕾

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第5章

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   ***

 くありと大きな欠伸がまろび出る。
 夜の庭園。西洋風東屋ガゼボに康泰は訪れていた。ロイウェンは用事があると言って別行動だ。
 少し前まで庭園を護るセタとその相棒であるオルカも一緒に居たのだが、あまり遅くまで付き合わせるわけにもいかないので、茶会の準備を終えた後に少しだけ戯れて家に帰したのだ。
「うーん…暇だ…」
 ため息を吐き出せば、テーブルの上を照らす蝋燭の火がゆらゆらと踊る。
 しばらく、その様をぼんやりと眺めていたが、ふと思い立って揺れる小さな灯に右手を伸ばした。
 これも練習と言い聞かせ、指先に魔力を纏って火を摘まみ取る。分離した火の片方は変わらぬまま蝋を溶かし、もう片方は康泰の指先で燃えていた。
「お、これはなかなか難しいな…」
 指先に灯る火に少しずつ魔力を注いでいき、手のひらほどの大きさにしていた時。肌が粟立つほどの得体の知れない気配がぬろりと肌を撫でた。
 咄嗟に炎を握り締め、立ち上がると同時に強く足を踏み鳴らした。魔力の道が走り、追うように火が駆ける。
「よきかな」
 女の声が朗々と響いた瞬間、火は消失し、辺りに闇の気配が広がった。闇を裂いて出て来たのは、白く長い髪を躍らせる褐色の肌をした女。
 姿を見て、女だからと警戒を解く事は無い。寧ろ、警戒は強まるばかり。
 本能が揺れる。アレは危険だと。
「ああ、良い良い。そのように警戒する事は無い。今宵、魔皇殿と約束をしていた者だ」
「…冥界マーハの王帝…あんたが…?」
 笑う女とは対照的に、康泰の表情や声は固いまま。
「左様。ヴァネッサ・ディレイ・シーナと申す。以後、末永く…星呂康泰殿」
 ぞわりと背筋に寒気が走った。自分のいまだ残る人間の部分が恐怖する。目の前に在る『死』に近付くな、と。
 コツリと近付いて来るヴァネッサから視線を外せない。逸らしてしまいたい本能を叱咤し、その挙動を見つめ続ける。少しでも気を抜くと呑み込まれてしまうのではないかと、根拠のない恐怖が苛むのだ。
 その時、何かに視界を塞がれた。突然の事に大きく肩を跳ね上げたが、慣れた匂いにゆるゆると肩の力を抜いて、ぽすりと寄り掛かかる。
「警戒するのも構わぬが、あまり見過ぎると魅入られて引っ張られるぞ」
 ロイウェンの腕の中、安堵の息を吐き出した。
「…何か、逸らしたらダメな気がして…」
 ゆっくりと深呼吸を繰り返し、乱れた思考を整える。一気に襲い来た脱力感に早くこの場を去りたくなるが、それは許して貰えないだろう。主に、正面でくふくふと笑う女王によって。
「それもまた、ヴァネッサ殿の常套手段だ。見つめれば地獄、逸らせば奈落。防ぐ手段は魔力の分厚い壁のみ。…まあ、それすらも王帝の気分次第で意味を成さんがな」
 促されて先ほどまで座っていた場所に戻され、その隣にロイウェンが座る。さらにその隣、二人分ほどの間を空けてヴァネッサが腰を下ろした。
「それ、逃げようが無いじゃん…」
 眉間に皺が寄る。魔力ですら防げぬのならば、どう対抗すれば良いものか。
「何、簡単な事よ。妾たちの怒りに触れねば良い」
 テーブルの上で手を組み、頬を寄せて笑むヴァネッサ。その艶めかしさの奥に、真っ黒な虚無を見てしまう。
「妾たちは、そこな皇よりも寛容じゃ。そうそう怒りに染まる事も無いから安心するが良い」
「つまり、何がきっかけで怒りを買うか分からないと言う事ですね…せいぜい、生き延びて見せましょう」
 言葉遊びに興じるつもりはないと康泰は深く息を吐き出した。その様子に、ヴァネッサは愉快愉快と声を上げて笑う。
「良きかな、良きかな。此度の皇妃殿は戯れ甲斐がある」
 評価は上々。悪いようにはならないだろうと自己完結をして、改めてヴァネッサへと向き直る。
「あー…ヴァネッサ様、もうお一方を紹介いただいても?」
 ヴァネッサだけではなく、ロイウェンも驚きにまばたいた。
「…何だよ」
 不躾な視線を寄越すロイウェンを睨み付け、康泰の表情が不機嫌に歪む。
「視えたか?」
 漆黒の双眸が今度は愉快気に弧を描いた。何がとは言わないが、ロイウェンの問いに康泰は戸惑いながらも頷く。
 視えた訳ではなく、違和感があるのだと。
「何か、たまにヴァネッサ様がぶれて見える気がする。まばたきするくらいの一瞬の事だから、気のせいかとは思ったんだけど、さっきヴァネッサ様が『妾たち』って言ってたし…」
「それだけで察したか」
 ロイウェンとは違う男の声が笑う。
 え、と思うのも束の間。ヴァネッサの体がその足元から伸びた闇に呑み込まれる。
 驚く間も無く、闇が解けてそこに在った美しい女体は逞しい男体へと作り変えられていた。
「予はクロード・フォン・シーラと名乗り、ヴァネッサと共に冥界を治めている。そなたが見たのは、ひとつの身を共有している故の揺らぎであろう」
 アレを見るとは、目が良いな。
 性別が変わろうとも、その本質は変わらない。美しい笑みの奥に感じる恐ろしさはそのままだ。
「それで?今宵はいかがされたのですか?康泰を見る為だけに呼び立てた訳でも無いでしょう」
 初めて見る丁寧に言葉を紡ぐロイウェンの姿に、少しばかり感動してしまう。
 慣れた手付きで茶を注ぐ姿も様になっていた。柔らかな湯気が踊るカップを受け取ったヴァネッサ、もとい、クロードは頬杖を付いて「ああ…うむ…」と話しにくそうに表情を歪める。
「そなたのところの人魚族の件と、それに付随する諸々の件で話に来た」
 クロードの表情が険しさを増した。話して良いものか、しかし話さないまま面倒な事になるよりは、と思案している顔だ。
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