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第6章
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「寒くは無かったか?」
ロイウェンの指先が頬を撫でれば、『暗影』がするりと解けて康泰の影に沈み込む。
「寒くは無かった。でも、ヴァネッサ様は寒かったと思う」
「そうだろうな…『九泉』の力を一切排除されていたようだからな…」
ロイウェンの足音だけが響く。奇妙なくらいに誰にも会わないのは、色々と気を使われているのだろうと察して気恥ずかしい。
「ヴァネッサ様にバーズさんを任されたんだよ…あの人が死ねば、メリディア嬢が壊れるって」
「ああ、そうだろうな」
さらりと返された言葉に、康泰はぱちりとまばたいた。
「メリディアの猫可愛がりは、王妃連中は皆知っている。あれには他にも従僕魔が居るが、公の場だけでなく私的な交遊の場でも連れて来るのはバーズがほとんどだったからな」
廊下を歩く。目的地は、転移陣のある部屋では無いようだ。城の正面扉に向かうらしく、遠くに衛兵の姿を見つけた。既に二人の気配を察知していたようで、衛兵たちは胸に手を当てて簡易的な礼で以って皇と康泰を迎える。
ひとりの衛兵が壁に埋め込まれている水晶に魔力を注げば、カコン…と解錠される音が柔らかく響き、扉がゆっくりと開いた。扉の向こう側の衛兵たちも、同じように胸に手を当て頭を垂れている。
日中は開放されている正面扉も、夜明け前の今では固く閉ざされていた。
ロイウェンが扉に向かって歩く最中に、扉の両脇を守護する衛兵二人がそれぞれ三つの水晶に魔力で文字を書き込んで錠を解く。皇の歩みを止めぬよう、迅速に解錠された正面扉は重い音と共に開かれた。
さわりと頬を撫でた魔力の波に、康泰はほうと息を吐く。彼方に吹き飛んでいた睡魔が顔を覗かせる程度には、安堵に満たされる。
「私の魔力で微睡むのは、お前だけだよ」
呆れたような声音でくつくつと笑うロイウェンに、康泰も眦を緩めた。
「俺以外に居たら、嫌だなー…」
きっと、容赦なく命を刈り取るだろう。この魔力の心地好さは自分だけが知っていればいい。
「…あんた、バーズさんの出方によっては…殺そうとしてただろ…」
「もちろん」
躊躇いなど微塵も無く返された肯定の言葉に、少しばかり背筋が涼しくなる。
「…メリディア嬢が壊れるって知ってるのに」
「そうだな。だが、それがどうした?お前に手を出すのならばそのような些事など知らん」
虎の尾を踏む愚か者には鉄鎚を。
いまだ心の片隅に残る人間の部分が恐怖を感じる。同時に、甘美な陶酔を感じるのも事実。それを感じているのが、人間としての自分なのか、魔族としての自分なのか。はたまた、両方なのか。
結局はどっちもどっちだと放り投げ、瞼を下ろす。
「眠るか?」
「ん、少しだけ。居館に着いたら起こして…ヴァネッサ様との話、伝える…」
「うん?密事では無いのか?」
遠のく意識の中、意地悪だなと思いながらも喋るのも億劫で、不機嫌にくふんと鼻を鳴らせば密やかな笑い声が返る。
抱えられ方を変えられ、背中と膝裏に腕の感触。近付いた温もりと匂いに擦り寄れば、額に口付けを与えられた。遠くに聞こえたおやすみの言葉に手を引かれて、康泰は意識を手放した。
小さな寝息と穏やかな寝顔に、ロイウェンは歩みを僅かに緩めながらそろりと息を吐き出した。
「本当は、お前にこのような苦労など負わせたくは無いのだがな…」
掴む筈も無かった『ツガイ』と言う名の魂。美しい籠の中に閉じ込めて、日がな一日愛でていたい。過去を紡いだ魔皇たちのように。
しかし、実際にそんな事をしようものなら、『ツガイ』の逆鱗を毟り取るようなものだ。表面上、分かったと穏やかに受け入れていても、その実、酷い嫌悪の末に見限られるだろう。
『皇妃』は支柱だ。『魔皇』が理性で以って、冥幻魔界を守護する為の支柱であるからか、魔皇たちは皇妃を囲う事が多い。一概にそうとは言えないが、万が一を考えた時にすぐさま対処出来る手元に置いておきたいのだ。
確かに、歴代の皇妃の中には庇護が必要な者も居ただろう。庇護されるのが当たり前だと思う者も居ただろう。
「大人しく守られていてくれるならば、それほど安心な事も無いだろうな…」
自由を謳歌する『ツガイ』は美しい。そして、全身で、魂で告げて来る愛が愛おしい。
しかしと漏らしたのは、癖になり始めているため息。
「王帝が非公式に面会とは、良い予感はせんな…」
からんころん。
康泰が住まう居館の来訪の鐘が鳴り響いた。居館の結界内に足を踏み入れたのだが、しかし、その玄関はまだ先だ。居館が視界に捉えられるだけの遠い距離。居館の管轄はそこに住まう者の役目で、ロイウェンの所有敷地内と言えどあれをしろこれをしろと指図は出来ない。
「これ程に結界の範囲を広げるのは…」
康泰の居館を管理するのは康泰ではあるが、その代理を務めているのは侍女長マリ・ニレアだ。ミオンとシュノアの信が厚い樹人族の若木だと聞く。魔力の一つ『地祇』の扱いに長ける一族だ。樹人族は若木の時は自由に歩き回れるが、老木は終の地を定めそこに根を張るのだと言う。
「マリの一存、では無いな」
いくら代理と言えど、従者は従者だ。居館の主の承諾無く結界を触る事は出来ない。
ロイウェンの双眸が、くうくうと気持ちよさそうに眠る康泰に移された。
「警戒心があるのか無いのか、分からんな」
苦さの混じる笑みを滲ませ、ロイウェンは歩を進める。
居館の玄関先が見える頃、深々と頭を下げるひとりの侍女の姿があった。マリだ。
「夜分にすまんな」
顔を上げるように言えば、マリは美しく微笑む。
「とんでもございません。どうぞ、中へ」
扉を開き、皇を居館内に招き入れる。が、居館内から、背後の侍女からひしひしと感じる警戒の気配に苦笑を深めた。
それに気が付いたマリも苦笑を浮かべるが、その警戒は緩む事が無い。
「御無礼お許しください。皇と言えど、此処はコータ様の領域で御座いますので…」
「いいや、悪い事では無い。寧ろ、これの警戒心が薄いゆえ、お前たちのように補って貰えれば助かる」
「寛大なお心、感謝申し上げます」
案内されたのはある一室。その扉の前に着いたと同時に、康泰の双眸がぱちりと開き、琥珀色がまばたいた。その光は、先程まで眠っていたとは感じさせない強さを宿す。
「マリさん、バーズさんはどうでした?」
皇の背中越しに声を掛けて来る主人に笑いながら、マリは大丈夫ですと返した。
「危篤状態は脱しました。現在、わたくしの魔力で治癒を行っております」
それでも危険な状態に変わりはなく、疑似的な葉脈を巡らせ、魔力を同調させているのだと報告を受ける。同時にロイウェンからは、マリが樹人族ゆえに出来る事だからと説明を受け、決してやらぬようにと忠告された。
「…俺って、そこまで信用無いの…?」
問われたロイウェンは、にこりとつけて取ったような笑みを浮かべただけで返事はしない。
「気を付けます…」
「そうしておくれ」
ロイウェンの腕から降ろされた康泰は、少しばかりの傷心を胸に扉を開いた。血の臭いが微かに鼻につく。窓は開かれている為、運び込まれた時はもっと酷かったのだろうと想像に難くない。
ロイウェンの指先が頬を撫でれば、『暗影』がするりと解けて康泰の影に沈み込む。
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ロイウェンの足音だけが響く。奇妙なくらいに誰にも会わないのは、色々と気を使われているのだろうと察して気恥ずかしい。
「ヴァネッサ様にバーズさんを任されたんだよ…あの人が死ねば、メリディア嬢が壊れるって」
「ああ、そうだろうな」
さらりと返された言葉に、康泰はぱちりとまばたいた。
「メリディアの猫可愛がりは、王妃連中は皆知っている。あれには他にも従僕魔が居るが、公の場だけでなく私的な交遊の場でも連れて来るのはバーズがほとんどだったからな」
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日中は開放されている正面扉も、夜明け前の今では固く閉ざされていた。
ロイウェンが扉に向かって歩く最中に、扉の両脇を守護する衛兵二人がそれぞれ三つの水晶に魔力で文字を書き込んで錠を解く。皇の歩みを止めぬよう、迅速に解錠された正面扉は重い音と共に開かれた。
さわりと頬を撫でた魔力の波に、康泰はほうと息を吐く。彼方に吹き飛んでいた睡魔が顔を覗かせる程度には、安堵に満たされる。
「私の魔力で微睡むのは、お前だけだよ」
呆れたような声音でくつくつと笑うロイウェンに、康泰も眦を緩めた。
「俺以外に居たら、嫌だなー…」
きっと、容赦なく命を刈り取るだろう。この魔力の心地好さは自分だけが知っていればいい。
「…あんた、バーズさんの出方によっては…殺そうとしてただろ…」
「もちろん」
躊躇いなど微塵も無く返された肯定の言葉に、少しばかり背筋が涼しくなる。
「…メリディア嬢が壊れるって知ってるのに」
「そうだな。だが、それがどうした?お前に手を出すのならばそのような些事など知らん」
虎の尾を踏む愚か者には鉄鎚を。
いまだ心の片隅に残る人間の部分が恐怖を感じる。同時に、甘美な陶酔を感じるのも事実。それを感じているのが、人間としての自分なのか、魔族としての自分なのか。はたまた、両方なのか。
結局はどっちもどっちだと放り投げ、瞼を下ろす。
「眠るか?」
「ん、少しだけ。居館に着いたら起こして…ヴァネッサ様との話、伝える…」
「うん?密事では無いのか?」
遠のく意識の中、意地悪だなと思いながらも喋るのも億劫で、不機嫌にくふんと鼻を鳴らせば密やかな笑い声が返る。
抱えられ方を変えられ、背中と膝裏に腕の感触。近付いた温もりと匂いに擦り寄れば、額に口付けを与えられた。遠くに聞こえたおやすみの言葉に手を引かれて、康泰は意識を手放した。
小さな寝息と穏やかな寝顔に、ロイウェンは歩みを僅かに緩めながらそろりと息を吐き出した。
「本当は、お前にこのような苦労など負わせたくは無いのだがな…」
掴む筈も無かった『ツガイ』と言う名の魂。美しい籠の中に閉じ込めて、日がな一日愛でていたい。過去を紡いだ魔皇たちのように。
しかし、実際にそんな事をしようものなら、『ツガイ』の逆鱗を毟り取るようなものだ。表面上、分かったと穏やかに受け入れていても、その実、酷い嫌悪の末に見限られるだろう。
『皇妃』は支柱だ。『魔皇』が理性で以って、冥幻魔界を守護する為の支柱であるからか、魔皇たちは皇妃を囲う事が多い。一概にそうとは言えないが、万が一を考えた時にすぐさま対処出来る手元に置いておきたいのだ。
確かに、歴代の皇妃の中には庇護が必要な者も居ただろう。庇護されるのが当たり前だと思う者も居ただろう。
「大人しく守られていてくれるならば、それほど安心な事も無いだろうな…」
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「これ程に結界の範囲を広げるのは…」
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ロイウェンの双眸が、くうくうと気持ちよさそうに眠る康泰に移された。
「警戒心があるのか無いのか、分からんな」
苦さの混じる笑みを滲ませ、ロイウェンは歩を進める。
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「夜分にすまんな」
顔を上げるように言えば、マリは美しく微笑む。
「とんでもございません。どうぞ、中へ」
扉を開き、皇を居館内に招き入れる。が、居館内から、背後の侍女からひしひしと感じる警戒の気配に苦笑を深めた。
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「御無礼お許しください。皇と言えど、此処はコータ様の領域で御座いますので…」
「いいや、悪い事では無い。寧ろ、これの警戒心が薄いゆえ、お前たちのように補って貰えれば助かる」
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案内されたのはある一室。その扉の前に着いたと同時に、康泰の双眸がぱちりと開き、琥珀色がまばたいた。その光は、先程まで眠っていたとは感じさせない強さを宿す。
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それでも危険な状態に変わりはなく、疑似的な葉脈を巡らせ、魔力を同調させているのだと報告を受ける。同時にロイウェンからは、マリが樹人族ゆえに出来る事だからと説明を受け、決してやらぬようにと忠告された。
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問われたロイウェンは、にこりとつけて取ったような笑みを浮かべただけで返事はしない。
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