セカンドライフは魔皇の花嫁

仁蕾

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第6章

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「でも、それは『魔族』であるあなたにではない。『人』を捨てきれぬあなたに対してです」
 沈黙が落ちる。ほんの数秒であっても、重く圧し掛かったそれを払拭するように、ふっと笑ったのは康泰だった。
「そう…俺はまだ、『人』を感じさせるのか…」
 笑うその瞬間。ほんの一瞬だけ泣きそうに歪んだ表情をモニスは見逃さなかった。しかし、その事は胸の内に潜めてそっと目を閉じ、正面を向く。
「別に悪い事でも無いでしょう。…まあ、魔族ならば何ともない事も、『人』であるが故に苦しく感じる事もあるでしょうけれど…」
「…ふふ、それでも悪い事では無いと?」
 ごそごそと身じろぐ音。微かにソファーが揺れる。
 納まりの良い体勢に落ち着いたのか、ほうと息を吐き出すのが耳に届いた。横目で見れば、肘掛けに立て掛けてあったクッションを枕に横になっている。
「…私は、悪い事では無いと言い続けますよ。私だけでも、そうしなければならない…そんな気がしますから…」
「…そっか…」
 それからは、どちらも口を開く事は無かった。
 聞こえて来た小さな寝息に、モニスはそろりと息を吐き出し、眠る康泰を一瞥した後、再び外に目を向ける。
「…あなたが思う道を進めば良いのです」
 囁くようなモニスの言葉に、答える声は無い。

   ***

 薄っすらと開いた瞼の奥でうろ…と揺れた琥珀色。
 窓の外は僅かに白んでぼんやりと明るい。
 ソファーの上でのそりと体を起こし、康泰は大きな欠伸を漏らした。モニスが掛けたのか、ブランケットが床に落ちる。
 立ち上がるついでにそれを拾い上げ、肩に掛けた。少しばかり、寒い。
「何だ…?」
 明らかな異変に警戒心が募る。
 きょろりと視線を動かして居館内に異常が無い事に安堵する。しかし、何もしないと判断するには胸が騒いだ。
 右手を一度強く握り、そっと開いた手のひらには八芒星の氷の結晶。それを床に落とせば千々に散り、居館の結界を強化する。
 結界が問題なく作動し、居館内の気配が動かないのを確認すると、足早に部屋を出て玄関から外に向かう。
 玄関アプローチの先に見つけた、空を仰ぐ金と黒の背中。
「魔皇さん」
 声を掛けるが、ロイウェンは振り返らない。微動だにせず、空を見つめている。
 隣に立ち、同じように空を見上げて康泰は表情を歪めた。
「何、あれ」
 空に亀裂と僅かなブロックノイズ。
「何者かが凍土地区ここに強制介入しようと試みているようだ」
「誰」
「…分からん。色々と対策をされているみたいでな。読み取れん」
 降り注ぐ『侵入者』は複雑に絡まり、本命が掴めないとロイウェンは息を吐いた。
 手が伸ばされ、虚空を撫でた。それに倣うように空の異常は消え去る。
「新たに結界を作る他ないか…」
 綻びが生じる前に強化し続けて来た凍土地区(最終階層)の結界。容易く破られるつもりは無いが、眠りに就いてから今まで張り直される事の無かった結界だ。最近の状況を見るにそろそろ手を講じる必要があると判断した。
 寒さの残滓に身を震わせ、康泰は考え込むロイウェンの懐に潜り込む。
「寒いか?」
「んー…少し」
 肩に回された腕に寄せられて、温もりを与えられてほうと息を吐く。
「少しは休んだ?」
「…ああ、少しはな」
 康泰が起きた時、ロイウェンの魔力の残り香を傍に感じたので、結界の異変に気付くまで傍に居てくれたのだろう。果たしてそれが休んだ事になるかは甚だ疑問だが。
 少しばかりの時間、包み込まれる温もりを堪能し、康泰は目を閉じて頬を緩ませる。
「魔皇さんが戸惑うと言うか…言い淀むのも分からなくはないけどさ、俺だって何かしらの役に立ちたいんだよ。まあ、魔皇さんは他人に頼る事に慣れてないかもしれないけど」
「…十分、頼ってはいる」
「そうかもしれないけど、まだまだ足りませんって話!」
 腰に回している腕に力を込めるが、ロイウェンは苦しがる様子も痛がる様子も見せずにくつくつと低く笑うだけ。
「では…お前の力を借りても良いか?」
「もちろん。可能な限り手を貸すよ」
 前髪を掻き上げられ、額にロイウェンの口付けが贈られる。ありがとうの意を込めて。
 他者の力を借りた大がかりな結界の新規構築には、準備が必要なのだと言う。
「この場で出来なくも無いが…だいぶ手懐けて来ているとは言え、お前の魔力の余波がどれほどなのか皆目見当がつかん。策を講じるならば万全を期すべきだろう」
「まあ、うん…ミスって焼け野原は嫌だな」
 きっと、自分が生まれながらの魔族ならば。
 そう思うのは何度目か。どうあっても、自分は人間だった。人間が魔族に成った姿が『今の自分』だ。それは覆しようも無い真実で、ならば、今の自分に出来る最善を尽くすまでだ。
 綻びを修復されたはずの結界内は、いまだ寒さが燻り、早急に手を打つべきだと知らせている。
「冥幻魔界を閉じるって言うのは、あり?」
 降って湧いた疑問に、見下ろして来る闇色の双眸を見上げた。
 どこそこからの、主に天界からの介入はロイウェンが皇である前からずっと続いており、いい加減煩わしいのではないだろうか。
「出来なくも無い」
 だが、しない。
「世界は結界で区切られてはいるが、『循環』にはどの世界も必要不可欠。どこかひとつがその役目を放棄してしまえば、世界のバランスが崩れる」
 切り離したいのは山々だがな、とロイウェンは深く息を吐き出した。
「例えば冥幻魔界を閉ざせば、王帝が統べる冥界の『闇』が噴出して人間界は冥界に飲み込まれ、いずれは天界も呑まれる。…何故なら、王帝が天帝を永劫赦すつもりが無いからだ」
 康泰の脳裏に過ぎったのは、魔皇の魔力にその身を曝しながら遠い昔を語った美しい『死』の化身。
 王帝と康泰だけの、内緒話。
「私はあの方の出自は知らん。知らぬが、天界に対して深い憤りを宿していらっしゃるのは分かる。」
 伴侶の肉体で、魂で創られた、王帝だけの揺り籠。きっと、伴侶をそうさせてしまった自分に、天帝に、そして伴侶自身に静かな怒りを燃やしているのだろう。冥界が生まれたその瞬間から。
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