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第7章
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しおりを挟む天井を見上げたまま黙してしまった康泰を見下ろし、しかし…とモニスは思う。
魔族は母の胎に宿っている時から魔力を有しており、自我を持つ前から魔力で手遊びをし始める。それだけ慣れ親しんだ『半身』なのである。
だが、康泰はまだ『人間』であった時の感覚が残っており、誰も説明が出来ない魔力の何たるかを見つけられていないのだ。自分自身で見つけるしか無い。
「兎も角、今回の件に関してはあなただけが責められるべきではない…と申し上げても、あなたは納得しないのでしょう?」
康泰が責められるべきと言うならば、ロイウェンもまた責められる立場にあるだろう。彼は冥幻魔界の王であり、全てを把握している存在なのだから。
意図しなければ、個々の存在を把握は出来ないだろうが、今回に関してはリンザの魔力を認識していた筈だ。『死』に魅入られるのは、それだけ狂気を呼び覚ます事象なのである。狂気は伝播し、最悪の事態を招きかねない。
「…少し、私とお出掛けいたしましょうか」
立ち上がり、モニスは天井を見上げて虚空を見据えた。
「皇よ。闇より生まれ、闇に生き、闇を尊ぶ至高の皇よ」
くわん、と微かに木霊する声だった。周囲の魔力を纏った『宣誓』に応えるかのように、空気が重さを増す。
『天界よりの客人、モニス・マナ=ケルブ。我を呼ばわり、何とする』
モニスの問い掛けに応えた声は、康泰が聞いた事も無い程に冷徹で酷薄な重く感情の無いものだった。魔族の皇にモニスは歯を食い縛り、ひれ伏そうとする体を、精神を叱咤する。
「妃と共に彼の地へ。『鍵』をお貸し頂きたい」
思案しているのか。ロイウェンからの応答はすぐには無かった。
『…対価を示せ。あの地はお前如きが足を踏み入れて良い場所では無い』
「承知しております」
―リンッ!
鈴の音がひとつ。
『…確かに。対価に過不足無く。これにより契約は成った』
こおん、こおん。
木槌の音が答えるように二度響いた。
『冰王にお会いしろ。話は通した。無いとは思うが、そ奴を害するなよ?』
「もちろんです。そもそも、彼を害せば滅びる呪いを掛けられておりますので」
『そうだったか?』
くつりと笑った声は、幾分柔らかく響いた。
「お忙しい所、お時間いただきまして」
モニスが謝意を伝えれば、室内に圧し掛かっていた『何か』が消え去った。ロイウェンとのやり取りも終えたのだろうと察するが、康泰の表情は晴れない。
皇としてのロイウェンがあれ程強い口調で拒絶を示したのだ。その対価は、想像もつかない。
「さて、皇の許可ももぎ取りました。準備が完了しましたら、私と出かけますよ」
何食わぬ顔で笑って見せたモニスに、康泰の表情は更に険しさを増す。
「何、今の」
問うても、モニスはゆったりと微笑むだけ。
「『鍵』をお借りする為に、対価を払ったに過ぎません」
その笑みは、問うなと言う。しかし、それでは納得が出来ないのだとモニスも理解している。
言えない。言いたくない。言うべきではない。
果たして、自分の心情を表現出来る言葉はあるのだろうかと、モニスは胸中で苦く笑った。
「…さあ、外出の準備を」
問答は時間の無駄だと暗に伝えれば、康泰は深く息を吐き出し、常と変わらぬ明るさで「りょーかい」と答える。
「遠いのか?」
「少しばかり。あなたには必要ないとは思いますが、念のため防寒着を」
「それだけ?」
首を傾げれば、モニスは顎先に手を添えて少し思案して頷いた。
「長い滞在をする訳でもありません。…まあ、あなたと先方の意思次第になるでしょうけれど」
「俺と、先方?…よく分らんが、承知した。上着とって来る」
のそりと動き出した背が扉の先に消えるのを見送り、モニスは深く息を吸い、それ以上の深さで息を吐き出す。
視線を落とし、手のひらを見つめた。握り締め、開く。数度、その動作を繰り返し、強く握り締めた。
「大きな対価ではありますが、あの地に足を踏み入れるとなれば、安いものなのでしょうね…」
そろりと息を吐くのは、幾度目か。
「やれやれ…絆された、と言う事なのでしょうね」
浮かべた表情の柔らかさに自嘲は滲む事も無く、寧ろ安堵の色を滲ませていた事を誰も知らない。モニス自身さえも、知らない。
***
穏やかで心地好いそよ風は、薄い不可視の壁から一歩踏み出せば荒ぶ狂風に早変わりする。魔皇の庇護による恩恵を有難くも思うが、そもそもの荒れ狂う吹雪も魔皇の魔力であると思い直し、長い髪を乱されているモニスは複雑な心境に表情を歪めた。
「うはー、寒いっ」
少しばかり縮こまり、従僕魔のリィを襟巻きにしている康泰を見てきょとりとまばたいた。
「…あなたも寒さを感じるのですか?」
問い掛けに、康泰は「そりゃね」と先ほどのモニスのように表情を苦々しさに歪める。
「確かにね、俺は魔皇さんの皇妃かもしれないけど、現状はあくまで『候補』だ。多少なりとも魔皇さんの魔力に影響されますよ」
それでも、他の魔族に比べればどうと言う事は無いのだろう。モニスが無事でいるのは天恵のお陰もあるが、魔皇と取引を行い、それを遂行するために守られているに過ぎないからだ。
「まあ、大きな影響が無くて何よりです」
しゃらん…と小さな鈴の音に合わせて、モニスの頭上、僅かに後頭部に傾く位置に柔い光が輪を描いて姿を現した。
光輪から溢れる光がその背に注ぎ、一対の翼を形成する。
「さあ、行きましょう。…御身に触れる許可を」
「え?あ、はい。…うわっ」
請われるままに頷けば、ひょいと左腕に抱え上げられた。見た目は細い腕であるその膂力に瞠目していれば、モニスはどうと言う事は無いと肩を竦めた。
「全てが見た目通り、と言う訳では無いですよ」
人間も、魔族も、天使族も。
そう呟きながら、モニスはブーツを脱ぎ去り空いた手にそれを持つ。カランと音を立てて二重の金環が両足首を飾った。
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