セカンドライフは魔皇の花嫁

仁蕾

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第7章

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「ご両人、覚悟は良いか?」
 問いに、康泰とモニスは頷く。
「では、招こう。我が内に。皇が、妃が眠りし『墓所』に。『鍵』は示された」
 紫紺の『天眼』から金銀の結晶が零れ落ち、康泰とモニスの意識を揺さぶる。
 次第に冰王の姿が不確定に歪み始め、胸元から下腹部にかけて亀裂が走り、その奥に『宇宙』が見えたような気がした。
『恐るる事なかれ、畏るる事なかれ。導きの先は、常世の闇。彼岸の。白き月輪カマルが見守りし揺り籠』
 男であり、女であり、子どもであり、老人であり。多重に響き出した冰王の声に呼応して体表の亀裂は深くなり、獣の口のようにぐわりと大きく開く。深い藍の夜空が襲い来たように思った瞬間、強い風が吹き抜けた。そして、地面が抜け落ちたような一瞬の浮遊感。
「っ、まっじか…!」
 体勢が崩れる感覚と同時に腹部に強い締め付けを感じた。バサリと羽撃つ音に振り返れば、驚愕に瞠目したモニスの顔。その背に大きく広がった二対の翼が暗闇に白く輝く。
 モニスの腕の中に匿われたのだと認識し、そろりと息を吐き出した。
「驚いた…」
「ふふ、そうですね」
 ばさ、ばさり。
 眼下に広がる淡い光を目印に、ゆっくりと下降して行く。その中に、こちらを見上げている人影を見つけた。
「冰王…」
 地面が近付くにつれ、淡い光を放つのは数多の花だと分かった。小振りで頭を垂れるような花房は鈴蘭の姿ではあるが、それ自身が光を放っていた。
「ようこそ、『御陵』へ」
「冰王、ここは…」
 きょろりと見渡すが、広く平らな草原に終わりを見る事は出来ない。御陵とは言うが、墓標がある訳でも無く、その遺骸がある訳でも無い。
「…初代魔皇が、馮族の内側に創り出した仮想空間。この花は死を迎えた馮族の魂。此処に眠る皇たちのせめてもの慰めとなるように、半永久的に咲き続ける鎮魂の雪鈴花せつりんか。人間界に咲く鈴蘭と言う花を模しておる。こちらへ」
 冰王が歩き始め、その背を追う。
 幾程か歩いた頃、ちらちらと視界の端に小さな雪の結晶が踊り始めた。吐き出す息も徐々に白くなる。
「ここじゃ」
 案内されたのは大きな湖だった。その表面は氷で覆われており、湖と称していいのか判断が難しい。畔に咲く雪鈴花にも雪が積もり、ぽさりと積雪が落ちると同時にちりりんと愛らしい音が鳴っていた。
 ―ちりん…ちりりん…
 鎮魂の鈴は静寂に美しく、同時に物悲しさを内包して密やかに歌う。
 しゃがみ込んだ冰王の指先が雪の積もった湖面に触れた瞬間、雪がまばたきの刹那で舞い上がり、雪鈴花が我先にとその鈴の音を鳴らす。
「さあ、行こうぞ」
 招かれるままに進み、辿り着いたのは湖の中央。
 立ち止まった冰王の視線を追って足元に目を向ければ、男が眠っていた。康泰の何倍もある姿。漆黒の波打つ長い髪が、氷の中でゆっくりと踊る。
「此処に眠るのは、ロイウェン皇の五代前の『魔皇』ギード皇…大鬼オーガ族ゆえ、体躯も大きければその器も大きなものじゃった」
 囁くような声だった。冰王は遠い過去を思い描いた。
「じゃが、『魔皇』を背負うにはあまりに心根の優しき男での…お主と同様、『魔皇』の魔力に振り回されてしもうて、危うく一族が滅びる寸前であった」
 冰王の手のひらが氷の湖面をさり…と撫でた。宝石の双眸が憂いを帯びたように鈍く輝く。
「ギード皇は馮族へと助けを求めに来たのじゃが…」
 言い淀み、くつくつと笑い出す。康泰は首を傾げ、モニスと顔を見合わせ再び冰王に目を向けた。
「こ奴、妾の娘に惚れてしもうての!側室として娶ってしもうた!」
 とうとう堪えきれず、冰王は声を上げて笑い出す。歌い続ける雪鈴花の鈴の音が、ささやかな笑い声にも聞こえて来る。
「よくある話よ。惚れた女に怪我をさせまいと、ギード皇は必死になって魔力の制御を覚えたものよ」
「…愛の力は偉大、とか言う訳じゃないよな?」
「それで済めば、大団円じゃったな」
 吐き捨てるような言葉だった。僅かに震えている声に、感情が揺れ動いている事を察する。ぶつけ所の無い、深く、重い怒りを感じた。
「一定の制御を可能としたものの、『氷鏡』は容易に御する事は出来ず、御せぬ魔力がギード皇の体を蝕んだ。見兼ねた我が娘は…己の『核』を差し出し、彼の皇の付加装飾具エンチャント・アイテムへと変えてしもうた。お主の左手にある腕輪のような付加装飾具にの」
 ピシリと小さな音が康泰の耳に届いた。発信源は、冰王の足元。小さな亀裂が走っているように見える。
 冰王の言葉にモニスは表情を歪めた。
「それは、皇の独断なのですか?」
 答え次第では、足元に眠る皇を軽蔑しかねないが、冰王は感情を殺すように深く息を吐き出し、モニスの問いに対してはゆるりと首を横に振った。
「…ギード皇の独断では無く、我が娘の望みじゃ。娘は、幼いながらも既に装飾師(アイテム・メイカー)として名を馳せていたヴィヴィアンのもとを訪れ、己の『核』を…」
 予想だにしなかった人物の名に、康泰は驚きにまばたく。
「ちょっと、待ってくれ。…ヴィヴィアンとは、現炎熱の王妃のことか…?」
「うん?ああ、そうじゃが?」
 他に誰が居ると言う顔をされ、口元が僅かに引き攣る。
 あの人は何歳なのだろうと思ったが口には出さず、その質問は吞み込んだ。魔族ゆえ、年齢などあってないようなものだろう、と。
「まあ、本当に幼き頃の話よ。人間でいう所の三歳ほどか?」
 想像以上に幼い年齢を出され、吞み込んだ質問が飛び出しそうになるが必死に押し留め、その思考を放り出す為首を小さく横に振った。
「話を逸らして申し訳ない…続けてくれ…」
「うむ。と、言ってもの、ほとんど話し終えてしもうた。結局、妾の娘は妾に似て我が強く、夫君の為ならばとその命を差し出しただけじゃ」
 それだけだと言う言葉で片付けるには、あまりにも重い。例え、それが本人の意思であってもだ。
「ギード皇は泣いてくださった。我が娘の為に。それでも長い間、その装飾具に世話になっておったようじゃがの。…知っているかもしれんが、魔力の抑止力は『意思』が大半を占める。生まれてから死ぬまで、意思と魔力の化かし合いが己の内で繰り返されるのじゃ。化かし合いに勝てねば、大らかで器が大きくとも『魔力』に振り回され、愛する者を失うだけよ」
 手招かれ、歩み寄る。
「見えるかえ?あの額冠が我が娘よ」
 冰王が指さした先、金色の額冠が見えた。金色の鎖を繋げるように小粒の瑠璃が散り、中央に大き目の真珠が揺れている。
「…智天使の君がお主を連れて来た理由は、そこであろう」
 魔族が重きを置く『意思』と言うものに触れる為。
 康泰は傍に立つモニスを見上げ、再び冰王に目を戻す。
「妾も、元人間に教示するは初めてゆえ、何と申せば齟齬が生じぬか不明だが…そうだの…」
 冰王は虚空を見上げ、「嗚呼」と手を打った。
「己の内にもう一人の自分を抱えるが良い」
「もう一人の自分…」
 もうひとりの皇ならば、寛いでいるのだがとは言えなかった。不用意に口に出さぬよう、胸の内に蓋をする。
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