セカンドライフは魔皇の花嫁

仁蕾

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第7章

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「あの薄汚い野良猫は、何者でございましょうか?」
 ああ、これが本題か。ロイウェンは頬杖を付いた手を口元にずらし、ゆるりと持ち上がる口角を覆い隠す。
「はて、我が管理地に野良猫はおらぬが…セタは庭園の管理者と知っているはずだが?」
「『黒猫』殿の事を申し上げているとは、露ほども思うておりませぬでしょう。あなた様がお目覚めになられる前、分不相応にも妾の前に立ったあの男にございます」
 歪んだ表情からは、怒り、憎しみ、妬み、嫉みと負の感情が溢れ出している。
「知らぬ、とは申し上げませぬでしょう?」
 妾を氷漬けにされたのですから。
 見つめて来る碧眼が告げるが、ロイウェンは焦る事も無く、傍観する。それが気に喰わないとでも言うように、メリディアの表情が僅かに歪んだ。
 少女の不安定な感情が大きく揺れ動くのを制御出来ないのか、最初察知した違和感が大きくなる。そして、僅かに垣間見えた。
 誰に向ける事も無く、ロイウェンは愉快愉快と胸の内で手を叩く。
「分不相応、か。ヴィヴィアン妃の客人に対し、なかなか手厳しい物言いをしてくれる」
 喉奥で笑うが、メリディアの様相に変化は無い。
「其方よりも格上の魔王が持て成す客人に対し、分不相応などと申す其方は、彼の方よりも立場が上である、と?」
 客人への無礼は、その者を招待した者への無礼に値する。知らぬ訳では無いだろうと言外に伝えれば、メリディアは僅かに言葉を詰まらせた。
 ぎりりと歯噛みする音が聞こえて来そうなほどに歪んだメリディアの顔は、ロイウェンの記憶の中には無い酷い醜悪さを纏っていた。
「ヴィヴィアン妃の客人ならば、なにゆえヴィヴィアン妃が治める炎熱区域第三階層では無く、我が君の庭で寛いでおったのですか」
「私が許可したからだ」
「ヴィヴィアン妃の客人ならば、なにゆえヴィヴィアン妃が持て成さぬのです」
「そうか。お前には私が持て成しているように見えるのか」
 ゆるりとまばたかれた漆黒を真っ直ぐに見据え、メリディアは躊躇う事無く肯定を返した。
「王妃ですら容易に近付かせぬ我が君が、何者とも知れぬ者を己が懐に召している。それを持て成していると判断しても不思議では無いのでは…?」
「ふむ、一理あるな」
 否定をせず、寧ろどこか愉快気に笑うロイウェンに対し、メリディアの表情は歪む。
 少女は、初めて会った時から愛らしく、美しく、貞淑で優艶な女帝だった。常に纏うのは、清く凛々しい空気。決して感情と言うものを表に出さない存在だった。ロイウェンの前ではそれが特に顕著で。
 それ故に、憎悪と嫉妬に塗れた今の顔は、今まで隠されていたメリディアの裏側を見せられているようである。
 このような形でロイウェンが見ても良いものでは無かったはずだ。
 そう思い至った瞬間、ロイウェンから表情は消え去り、深いため息が吐き出された。
「興が醒めた」
 吐き捨てられた言葉に呼応するように、室内の空気が突然ざわつき始め、女のような男のような微かな笑い声が聞こえた気がした。
「何とも不愉快、何とも愚劣」
 喉元に白刃を添えられたかのような錯覚がメリディアを襲う。
『予が、気付かぬ愚皇と侮ったか』
 くわんと広がる低い声。木霊するはずも無いのに。
 耳慣れぬ言葉は、古の言葉。強い魔力を纏わせるのに適した創世時代の言葉である。
『我が領域に足を踏み入れた事、悔いるが良い』
 ―これは『祝福呪い』である。
 ロイウェンの言葉に導かれるように、明るかった室内がゆっくりと昏さを滲ませ、闇の訪れを知らせる。
『容易に死ねると思うなよ』
 ―歓喜せよ。
 奇妙なざわめきは少しずつその波紋を広げ、室内の影が徐々に闇を濃くしてじわりじわりとその裾野を広げた。
『これは『呪い祝福』である』
 漆黒の双眸の奥に宿る『魔皇の刻印』が白銀に煌めいた瞬間、影がメリディアに襲い掛かった。
「っ、く!」
 影がメリディアの体を捕える寸前に、風が行く手を阻んで切り裂く。しかし、相手に明確な物質は無く、すぐに元に戻って何度もその食指を伸ばす。
「てめーの女に此処まで容赦ねーのか!マオウさんよっ!」
 可憐な唇が、メリディアのものでは無い男の声を吐き出した。
『ロゥディクラウス、お食べ』
 紡がれるは共に生まれ、共に育ち、遠き昔に袂を別った己が『影』の名。自分の中には、ほんのわずかな残滓も無く、全てを兄であったユリエラに譲渡した半身。何百年と言う年月を離れていたにも関わらず、『影』はその本性を現す。
『我が主が望むままに』
 ロイウェンに酷似した声が大気を震わせた瞬間、闇が膨らみ、大きな音を立てて窓や壁を破壊した。
「やれやれ…」
 吹き抜ける風に髪を踊らせ、ロイウェンはため息と共に椅子に背を預ける。衝撃に僅かながら歪んでしまったのか、キィ…と小さく鳴いた。

   ***

 冰王の柏手が響いた次の瞬間には、康泰たちは元の部屋に降り立った。床に足を付けた康泰はほうと息を吐き出し、呼吸がしやすいような感覚に陥る。
 美しき異空間はどれだけ現実離れした美しさを保っていても、正しく歴代皇の御陵であり、無意識の内に安堵の息を吐き出す程度には濃密な魔力に満たされていたのだと改めて認識した。
 はたと、モニスは無事かと振り返る。が、モニスはきょとりと瞬くだけで、その心身に不調をきたしているようには見えない。
「どうかされましたか?」
 何も言わぬ康泰に焦れたモニスの問いに、「いや…」と言い淀めば、得心が言ったように冰王が微笑む。
「彼には妾が護りを施しておったゆえ、何も心配は要らぬ」
 そうでなければその身だけでは無く、魂すら砕け散り、御陵の糧となっていただろうと冰王は事も無げに笑った。恐ろしい内容ではあるのだが、そうとは感じさせない冰王に康泰もモニスも苦笑を浮かべるしかない。
「さて、そろそろ」
 戻ろうか、と続くはずの康泰の言葉は途切れる。
 体内から何か大きなものがずるりと這いずり出るような感覚に襲われ、引っ張られるように体勢を崩した。
 ほぼ同時に、世界が大きく揺れる。
「コータ殿…!」
 揺れにより自身も体勢を崩しながらも、床に倒れ込もうとする康泰の体を受け止める為に伸ばされたモニスの手を遮るように床から男が姿を現した。正確には、床に広がる康泰の影から。
「お邪魔しますヨ」
 影と同化する漆黒の髪の合間、琥珀の双眸が瞬く。康泰の密やかな護衛であるユリエラ・ダーニャだった。その表情は飄々としている常とは違い、焦燥感に苛まれているような緊張感を纏う。
「ユリエラさん、これは…?」
「皇が『影』を喚びましタ」
 眩暈を誤魔化すように俯き、額に手を添える康泰の呟きに、ユリエラは答える。
「魔皇さんは『影』をあなたに譲渡したのでは?」
「ええ、そうです。皇の『影』は既に疾うにぼくの支配下ではありますが、『影(彼)』の最優先はロイウェン皇です。しかし、『影』を纏わぬコータ様に影響は無いはずですガ…」
 怪訝に表情を歪めるユリエラに、康泰はひょいと眉を跳ね上げた。
「あー…心当たりはあるから気にしないでくれ」
「…ならば、良いのデス」
 ユリエラは冰王とモニスに視線を向けた。
「ご歓談の最中、申し訳ございませんけどコータ様には城へお戻りいただきマス」
「構わぬ、『影』は主がおらねばその気性は荒い。魔皇の『影』じゃったのならば、世界を喰らいかねん。早う戻った方がいい」
「有難く」
 仰々しく頭を下げた瞬間、康泰とユリエラの体は影に覆い隠す。
 康泰はユリエラの腕の中で影に喰われる瞬間を眺めていた。闇の腕(かいな)は思っていたよりも温かく、ロイウェンの腕の中を思い起こす。
「主が変わって尚、忠誠を尽くすか…」
 ぽつりと零れ落ちた言葉に、影の中を泳ぐユリエラは口角を上げた。
「そうデスヨ。あの子の『影』はぼくに降ってはいますが、ぼくに忠誠を誓っている訳では無いので、あの子の『影』の最優先はあの子なんですヨ」
「…手放した力を求める何かが起きたのか」
「そいう言う事でショウ。間も無く着きまス」
 どぷん。
 音を立てて影の海から飛び出した、筈だった。
 辿り着いた先はロイウェンの執務室である筈なのだが、辺りは濃い影が広がったままで、そこが果たして本当に執務室なのかが判断できない。
「…これは一体…?っ、ワッ!」
 警戒も露わに視線を巡らせるユリエラの体に音も無く影の触手が絡み付き、即座にその体を吞み込んだ。
「ユリエラさんっ」
 康泰の叫び声だけが空しく響いた。

 肌に馴染んだ『影』から抜け出す感覚と共に、急激に視界が晴れた。強い風に吹雪かれながら、ユリエラは目の前の男を見上げる。
「ロイウェン、皇…無事でしたカ」
「ああ、私は問題ない…が、部屋がこの有様で果たして無事と言うべきなのか悩ましいな」
 顎に手を添えて首を傾げるロイウェンに、ユリエラは安堵の息と共に苦笑を漏らした。
 そこは確かに目的とした執務室で間違いないようである。ただ、壁や天井、床が大きく損壊し、外から強風が吹き込んで来る有様だった。そして、部屋の大半を埋め尽くし、足を組んで椅子に座るロイウェンの膝に犬猫のように懐く『影』。
「急にこの子を喚ぶのはいかがかと思いますヨ。おかげで今の飼い主であるぼくが働く事になってしまったし、コータ様がこの子の胎の中に残されてしまっタ」
 ため息交じりに文句を吐き出し、ユリエラは外を見た。
「それデ?アレは新しいオブジェですカ?」
 趣味が悪いデスネ。
 ユリエラが見つめる先には、『影』の尾に腹部を貫かれた少女の姿。銀色の髪とドレスの裾が風に踊る。見知った少女の姿に憐れとは思うが、それだけだ。
「まあ、そのようなものだ。アレを捕えておけ」
 言うなり、膝の『影』を押し退けて立ち上がる。
「私は少々戯れて来よう」
「…何と、でしょうカ?」
 問えば、漆黒の双眸は緩やかに眇められ、唇が笑みを作った。
「…さあ?」
 囁くような回答とも言えない言葉を残し、『影』の中へと沈み込んだ。
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