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第7章
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「アア、お帰りなサイ」
まばたきを繰り返す康泰を迎えたのは、先に影から抜け出したユリエラだった。
「うわ…まさに惨状、だな」
康泰は別の意味で驚愕にまばたく。この部屋に足を踏み入れた事は無いが、綺麗に整えられていただろうと分かる部屋の一角。視線をずらせば、大空が広がっていた。
影の中に瓦礫を放り込んでいるユリエラは、手を叩いて土埃を払い落し、康泰とロイウェンのもとに歩み寄る。
「それで、あの子は何の御用でしたカ?」
困惑を滲ませるユリエラに、ロイウェンは薄い笑みを口元に刷いた。
「私のツガイに挨拶をしたかったらしい。急に引っ張り出して済まなかったな」
嘘では無いが、本当でも無いロイウェンの言葉に康泰は口を噤んだ。あえて指摘する必要も無いだろう。
ロイウェンの謝罪にユリエラは笑って首を振る。
「ぼくではあの子は荷が勝ち過ぎるもので、あまり外に出してあげられませんからネ。…最後の影法師としては、愛しい『影』に窮屈な思いをさせるのも忍びないので、やはりアナタが使役するべきだとぼくは思うんですがネェ…」
立ち上がりながらわざとらしくため息を吐き出すが、ロイウェンはひらりと手を振って拒絶する。
「お前の支配下にあるから、この程度の被害で済んでいるのだ。分かっているだろう?」
「もちろん、存じ上げておりますヨ」
やれやれと息を吐く姿が、少しだけロイウェンと似ているなと康泰は胸中で笑った。
ひと息吐き出して大きく伸びをしたユリエラは、纏う空気をガラリと変えてロイウェンの前に跪く。
「御報告申し上げまス。ご命令通り、風天区域統治者であるメリディア・ファラス=ジュエラを、我が『影』の牢獄に封じておりマス。我が皇のご要望とあれば氷の地下牢へ送りますが、いかがされますカ?」
「…いや。今は少しばかり感情が揺らいでいるゆえ、何をするか分からん。ミオンに報告を行い、判断を仰げ」
「御意。御前を失礼いたしマス」
跪いたまま深く礼をとり、ユリエラの体は影の中へと沈み込んだ。
心地好い風の吹き込む音だけが鼓膜を震わせる。
康泰は崩れた壁面に佇んだ。いつ見ても、どれだけ視線を巡らせても、白い世界。誰も寄せ付けない、『死の世界』だと康泰は事ある毎に思っていた。
康泰が右手を外に伸ばせば、導かれるようにひらひらとひとつの雪の結晶が舞い落ちる。
それは一瞬の冷たさを残して、康泰の体温に溶けた。
「…ティア女皇とこの世の生を謳歌する事が出来無かった御子。冰王から話を聞くに、『氷鏡』は稀有ではあるが、市井でも保有者が居たのだろうと推測出来る。でも、ティア女皇が隠れて以降、『氷鏡』は魔皇の象徴となった。まるで、呪いだな…」
女皇の呪いか、御子の呪いか。
さて、とロイウェンは考える。冰王が目の前の子供にどのような話をしたのかはある程度、予想がついた。己も先代魔皇から聞かされていたし、古い文献にも認められている史実だ。
「…呪い、か。今まで、そのように考えた事は無かったが…まあ、言い得て妙と言う所か」
『氷鏡』はあまりにも強力な魔力だ。魔力保有量の多い者が有せば、火を見るよりも明らか。そこに己以外の生命は無く、閉ざされた白い世界が延々と続くだけ。
魔力そのものが強力であるがゆえに、ロイウェンは己の半身を手放す事となった。魂を裂き、袂を別ち、別々の生を歩む事が運命づけられた美しき『影』に想いを馳せる。
「どのような因果で『氷鏡』が魔皇に集約されたのかは不明だ。調べたところで、その真相には辿り着くまい。…歴代の皇も何かを捨て、『氷鏡』を得たのだろう…私のように。だが、うん…母を殺された、子の呪いでもあるのだろうな…それもまた、『魔皇』が背負うべき宿業なのだろう…」
過去を忘れるな、と。母を忘れるな、と。
しかし、と康泰の眉間には僅かな皺が寄る。
「女皇を喰らったのは三代目の皇だ。以降の皇も、あんたも関係無いだろう?」
「『魔皇』ゆえ、関係無い事も無い」
おいで、と手招けば、苦々しく表情を歪めたままの康泰がその腕の中に収まった。
「どうした、ぐずる赤子のようだぞ。珍しい事もあるものだ」
耳を寄せる胸の内側から低い笑い声。手持ち無沙汰になった両手を背に回し、柔らかな筋肉を手のひらで堪能する。
「ぐずる…いや、まあ、若干気に食わない表現ではあるが、遠からずと言う気はするな」
頭に唇の柔らかさが触れ、額、目尻、瞼、眉間と宥めるような口付けが繰り返される。
「…魔皇さんって、意外とスキンシップ過多だよな」
むず痒さと物足りなさに顔を上げ、鼻先を触れ合わせれば触れるだけの口付けが唇に贈られた。すかさず口を開いて、一口。
見つめていた柳眉がひょいと跳ね上がり、勢いよく抱き込まれた。
「わっ」
腰が折れそうなほど背を仰け反らせ、覆いかぶさるロイウェンの首に縋りつき、潜り込んで来た僅かに冷たい舌を堪能する。唾液の甘さと流れ込む魔力に満足を得た。
「なるほど、『氷鏡』の来歴が気に食わんのか」
「それもだが、その執着を受け入れているのが一等気に食わない」
こぼれそうになる唾液は音を立てて啜り上げ、嚥下する。魔力が絡み合い、混じり合い、胎の底に落ちて行く。じわじわと侵食されて行く感覚に酔いしれながらも、あまり長い時間の接触が出来ない事が口惜しい。体液を取り込むならば尚更だ。
それはロイウェンも理解しており、惜しいと思いつつ素直に唇を離し、先程のように柔らかな口付けを繰り返す。
「これは、永劫解けぬ原初の『呪い』だ。それも含めて『私』と言う存在なのだ。どうか、呑み込んでおくれ…」
柔い声、向けられる眼差しの優しさに言葉を飲み込み、康泰は己の感情を整えるように深く息を吐き出した。
「…いや、俺が困らせた。すまん…」
お返しとばかりにロイウェンの額に口付ければ、ロイウェンは吐息で小さく笑った。
「いいや、気にするな」
一度だけロイウェンの体を強く抱き締め、距離をとる。
「あー…まあ、俺如きで解けるとは思わんし、もうそれが『魔皇』の象徴として根付いているのならば、今更どうしようも無い。ただ、あまりに哀しい事だなとは思う…」
『氷鏡』が齎す生命が芽吹かぬ世界は、裏を返せば純真で、無垢、穢れなき世界。赤子の魂、そのもの。
「真っ白だ…それしか知らないほどに、真っ白なんだ…」
それが、少しだけ苦しい。
「でも、この白い世界全てがあんただと思えば、同時に愛おしくも感じて自分の中がぐちゃぐちゃになる」
上からかすかに見える康泰の表情は、何とも言い難い感情に歪められている。今日は珍しい表情をたくさん見られる日だ、と笑っていたのも束の間。
「いつぞやよりも魔力が混ざっているような気がいたしますが、私の気のせいでしょうか?」
長期間、聞く事の無かった声が割って入った。二対の視線が向けられた先には、僅かに呆れた色を浮かべたミオンの姿。右手には小さな箱を持っている。黒曜石に金の縁取りを施した小型の宝石箱だ。
「ミオンさんだ」
驚きと喜びを含んだ康泰の笑みに、ミオンは一度腰を折り、室内に足を踏み入れた。
「ミオン・ジェミル=フィニ、任務完遂の為、帰還いたしました。遅くなりまして申し訳ございません。概要はユリエラより報告を貰いました」
ミオンの宣言に、ロイウェンは鷹揚に頷いた。
「問題は?」
「数点。内、お耳に入れておくべき事が二点ほど」
康泰の頭に顎を乗せ、ふむ…と息を吐く。
唐突にロイウェンの体から濃密な魔力が溢れ出した。が、それはほんの一瞬の事。突然の事に瞬いたのも束の間。カン…と積み木のような音が聞こえた。小さくも響く音に目を向けると、カカカカ…と音を立てて外壁が組み上げられ、調度品すら元の姿を取り戻して行く。
「おお…?」
感嘆の声を上げながら自分から離れ、組み上がって行く壁を見上げ始めた康泰を横目に、ロイウェンは執務用の椅子に腰を下ろした。
まばたきを繰り返す康泰を迎えたのは、先に影から抜け出したユリエラだった。
「うわ…まさに惨状、だな」
康泰は別の意味で驚愕にまばたく。この部屋に足を踏み入れた事は無いが、綺麗に整えられていただろうと分かる部屋の一角。視線をずらせば、大空が広がっていた。
影の中に瓦礫を放り込んでいるユリエラは、手を叩いて土埃を払い落し、康泰とロイウェンのもとに歩み寄る。
「それで、あの子は何の御用でしたカ?」
困惑を滲ませるユリエラに、ロイウェンは薄い笑みを口元に刷いた。
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ロイウェンの謝罪にユリエラは笑って首を振る。
「ぼくではあの子は荷が勝ち過ぎるもので、あまり外に出してあげられませんからネ。…最後の影法師としては、愛しい『影』に窮屈な思いをさせるのも忍びないので、やはりアナタが使役するべきだとぼくは思うんですがネェ…」
立ち上がりながらわざとらしくため息を吐き出すが、ロイウェンはひらりと手を振って拒絶する。
「お前の支配下にあるから、この程度の被害で済んでいるのだ。分かっているだろう?」
「もちろん、存じ上げておりますヨ」
やれやれと息を吐く姿が、少しだけロイウェンと似ているなと康泰は胸中で笑った。
ひと息吐き出して大きく伸びをしたユリエラは、纏う空気をガラリと変えてロイウェンの前に跪く。
「御報告申し上げまス。ご命令通り、風天区域統治者であるメリディア・ファラス=ジュエラを、我が『影』の牢獄に封じておりマス。我が皇のご要望とあれば氷の地下牢へ送りますが、いかがされますカ?」
「…いや。今は少しばかり感情が揺らいでいるゆえ、何をするか分からん。ミオンに報告を行い、判断を仰げ」
「御意。御前を失礼いたしマス」
跪いたまま深く礼をとり、ユリエラの体は影の中へと沈み込んだ。
心地好い風の吹き込む音だけが鼓膜を震わせる。
康泰は崩れた壁面に佇んだ。いつ見ても、どれだけ視線を巡らせても、白い世界。誰も寄せ付けない、『死の世界』だと康泰は事ある毎に思っていた。
康泰が右手を外に伸ばせば、導かれるようにひらひらとひとつの雪の結晶が舞い落ちる。
それは一瞬の冷たさを残して、康泰の体温に溶けた。
「…ティア女皇とこの世の生を謳歌する事が出来無かった御子。冰王から話を聞くに、『氷鏡』は稀有ではあるが、市井でも保有者が居たのだろうと推測出来る。でも、ティア女皇が隠れて以降、『氷鏡』は魔皇の象徴となった。まるで、呪いだな…」
女皇の呪いか、御子の呪いか。
さて、とロイウェンは考える。冰王が目の前の子供にどのような話をしたのかはある程度、予想がついた。己も先代魔皇から聞かされていたし、古い文献にも認められている史実だ。
「…呪い、か。今まで、そのように考えた事は無かったが…まあ、言い得て妙と言う所か」
『氷鏡』はあまりにも強力な魔力だ。魔力保有量の多い者が有せば、火を見るよりも明らか。そこに己以外の生命は無く、閉ざされた白い世界が延々と続くだけ。
魔力そのものが強力であるがゆえに、ロイウェンは己の半身を手放す事となった。魂を裂き、袂を別ち、別々の生を歩む事が運命づけられた美しき『影』に想いを馳せる。
「どのような因果で『氷鏡』が魔皇に集約されたのかは不明だ。調べたところで、その真相には辿り着くまい。…歴代の皇も何かを捨て、『氷鏡』を得たのだろう…私のように。だが、うん…母を殺された、子の呪いでもあるのだろうな…それもまた、『魔皇』が背負うべき宿業なのだろう…」
過去を忘れるな、と。母を忘れるな、と。
しかし、と康泰の眉間には僅かな皺が寄る。
「女皇を喰らったのは三代目の皇だ。以降の皇も、あんたも関係無いだろう?」
「『魔皇』ゆえ、関係無い事も無い」
おいで、と手招けば、苦々しく表情を歪めたままの康泰がその腕の中に収まった。
「どうした、ぐずる赤子のようだぞ。珍しい事もあるものだ」
耳を寄せる胸の内側から低い笑い声。手持ち無沙汰になった両手を背に回し、柔らかな筋肉を手のひらで堪能する。
「ぐずる…いや、まあ、若干気に食わない表現ではあるが、遠からずと言う気はするな」
頭に唇の柔らかさが触れ、額、目尻、瞼、眉間と宥めるような口付けが繰り返される。
「…魔皇さんって、意外とスキンシップ過多だよな」
むず痒さと物足りなさに顔を上げ、鼻先を触れ合わせれば触れるだけの口付けが唇に贈られた。すかさず口を開いて、一口。
見つめていた柳眉がひょいと跳ね上がり、勢いよく抱き込まれた。
「わっ」
腰が折れそうなほど背を仰け反らせ、覆いかぶさるロイウェンの首に縋りつき、潜り込んで来た僅かに冷たい舌を堪能する。唾液の甘さと流れ込む魔力に満足を得た。
「なるほど、『氷鏡』の来歴が気に食わんのか」
「それもだが、その執着を受け入れているのが一等気に食わない」
こぼれそうになる唾液は音を立てて啜り上げ、嚥下する。魔力が絡み合い、混じり合い、胎の底に落ちて行く。じわじわと侵食されて行く感覚に酔いしれながらも、あまり長い時間の接触が出来ない事が口惜しい。体液を取り込むならば尚更だ。
それはロイウェンも理解しており、惜しいと思いつつ素直に唇を離し、先程のように柔らかな口付けを繰り返す。
「これは、永劫解けぬ原初の『呪い』だ。それも含めて『私』と言う存在なのだ。どうか、呑み込んでおくれ…」
柔い声、向けられる眼差しの優しさに言葉を飲み込み、康泰は己の感情を整えるように深く息を吐き出した。
「…いや、俺が困らせた。すまん…」
お返しとばかりにロイウェンの額に口付ければ、ロイウェンは吐息で小さく笑った。
「いいや、気にするな」
一度だけロイウェンの体を強く抱き締め、距離をとる。
「あー…まあ、俺如きで解けるとは思わんし、もうそれが『魔皇』の象徴として根付いているのならば、今更どうしようも無い。ただ、あまりに哀しい事だなとは思う…」
『氷鏡』が齎す生命が芽吹かぬ世界は、裏を返せば純真で、無垢、穢れなき世界。赤子の魂、そのもの。
「真っ白だ…それしか知らないほどに、真っ白なんだ…」
それが、少しだけ苦しい。
「でも、この白い世界全てがあんただと思えば、同時に愛おしくも感じて自分の中がぐちゃぐちゃになる」
上からかすかに見える康泰の表情は、何とも言い難い感情に歪められている。今日は珍しい表情をたくさん見られる日だ、と笑っていたのも束の間。
「いつぞやよりも魔力が混ざっているような気がいたしますが、私の気のせいでしょうか?」
長期間、聞く事の無かった声が割って入った。二対の視線が向けられた先には、僅かに呆れた色を浮かべたミオンの姿。右手には小さな箱を持っている。黒曜石に金の縁取りを施した小型の宝石箱だ。
「ミオンさんだ」
驚きと喜びを含んだ康泰の笑みに、ミオンは一度腰を折り、室内に足を踏み入れた。
「ミオン・ジェミル=フィニ、任務完遂の為、帰還いたしました。遅くなりまして申し訳ございません。概要はユリエラより報告を貰いました」
ミオンの宣言に、ロイウェンは鷹揚に頷いた。
「問題は?」
「数点。内、お耳に入れておくべき事が二点ほど」
康泰の頭に顎を乗せ、ふむ…と息を吐く。
唐突にロイウェンの体から濃密な魔力が溢れ出した。が、それはほんの一瞬の事。突然の事に瞬いたのも束の間。カン…と積み木のような音が聞こえた。小さくも響く音に目を向けると、カカカカ…と音を立てて外壁が組み上げられ、調度品すら元の姿を取り戻して行く。
「おお…?」
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