ヴァイオレント・ノクターン

乃寅

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濫觴の四月[April of Beginning]

Mission38 新たな家族

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「ただいまー」

俺はカフェでの打ち上げを終えて、家に帰った。
けれどガラリと引き戸を開ける音が家の中に響いても「おかえり」と言う声は聞こえない。
まだ夕方だ。この時間帯は母さんは出かけているし、父さんは夕飯まで部屋から出ないで仕事をしている。故に俺が帰ってきたとしても部屋にこもっている父さんには声は聞こえていないだろう。
姉さんは今日の仕事を終えればもうすぐ帰ってくるだろう。

「さぁて……シャワーでも浴びようか──」

背中には汗が滲んでいる。もう4月も終わりに近い。
だいぶ暖かくなってきたこともあり、滲み出てきた汗を落としてさっぱりしようと思い、荷物を置いて風呂場へと向かおうとした時だった。

ドサリ

──突然なにかが落ちた様な音が響く。

「……今の音は?」

その音はあまりにも不自然な音だ。
なにかが落ちた音……といえば自然だろうがその音は2階から聞こえた。
2階には俺の部屋と姉さんの部屋くらいしかない。
母さんは買い物に、姉さんは学園で仕事をしているのでいない。
部屋で仕事をしているであろう父さんはよっぽどの用事がなければ部屋から出ずに仕事をしているだろう。
つまり今の音は不自然なのだ。
俺はシャワーを浴びるという予定を変更し、2階へと慎重に向かう。

ザリ……ザリ……

階段を上がる際、なにかが床を擦る音が聞こえた。
それは畳の上を歩く様な音だった。
勝手に物が落ちたならばまだ判るが歩く様な音が聞こえるのはおかしい。
俺は左手に持った脇差を握りしめ、音の鳴る部屋の前へと足音を立てない様にして立つ。

(姉さんの部屋……中に、誰かいる?)

もしかしたら泥棒かもしれない。
そうだとしたらこのまま放置するわけにはいかない。
俺は慎重に扉に手を掛ける。

「────ッ」

──咄嗟に俺は扉から離れた。
開けると同時に視界に入ったのは脚だった。
警戒していて正解だった。その脚が俺の腹を目掛けて飛んできたのだから。
つまり、俺へと飛び蹴りをしてきたのだ。

「……誰ですか?」

俺はそれを回避すると飛び蹴りを喰らわせようとしてきた人間に対し、鞘に収まったままの脇差の先を向け、問うた。
しかしその人物は電気を点けていない夕方の薄暗さの中にも関わらず俺の脇腹へと鋭い蹴りを入れてきた。

「っ……!」

着ている制服がその衝撃を吸収してくれる。
とはいえ、その蹴りは凄まじく、俺は姉さんの室内へと叩き込まれた。
俺は姉の部屋で倒れつつもテーブルに手を伸ばし、立ち上がろうとする。
その時ぱっと部屋の電気が点いた。
どうやらテーブルに手を伸ばした際に部屋の照明のリモコンに触れたらしい。

「君は……!」

夕闇によって隠れていた人物の正体を見て、俺は思わず固まった。
幼馴染と再会したあの日の夜、公園でうずくまっていた少女──それが俺へと飛び蹴りを喰らわせようとしてきた人物だった。

「……酷いな、いきなり目覚めてこれかい?」
「…………」

俺は警戒心を解かずに彼女に言った。
そしてその判断は正解だった。
瞬間、空を切る音がした。

「っ!」

フックだ。彼女の拳は俺の左頬を捉えていた。
射程距離が短いのと警戒心を解いていなかったこともあり、バックステップでそれを避けることは容易だった。
けれどその攻撃は明らかに素人のものではなく、戦闘経験のある者の動きだった。

「もしかして寝ぼけてる?その割にはいいフックだけど」
「…………」

彼女は無言を貫いている。
寝ぼけていない、というのは彼女の瞳を見て判った。
その瞳からは敵意がしっかと感じられたからだ。寝ぼけている状態で敵意を込めた視線を向けるなんてことは不可能だろう。

「仕方ない。もう1回寝直すといいよ」

俺は再び脇差を構えるとその先を彼女へと向ける。
けれど彼女は武器を持っていないので鞘から刃は抜いていない。
相手は徒手の人間だ。刃を使わなくても無力化できるはずだ。

「……っ」

彼女は飛びかかり、俺の懐へと入り込む。
そして右、左、右……と両の拳を交互に繰り出し、鋭いパンチを放ってきた。
そのパンチの速さと鋭さはやはり戦闘経験のある者のものだ。
けれど俺も一戦闘員となり、訓練を受けているお陰でそれを見切ることができた。

「……っ!?」

回避、回避、回避とそれを避け続けることを繰り返していると俺に攻撃が当たらないことに痺れを切らしたのか自身の下半身を右に捻らせ、蹴りを放った。
回し蹴りだ。俺は咄嗟に両腕を前で交差させてそれを防ぐ。
蹴り自体で俺にダメージは入らなかったが蹴りによって俺の身体は後方に押され、そのまま背後にある薬瓶が積まれた鉄架に背をぶつける。

「っ……」

制服が衝撃を吸収し、背中に痛みもないが俺は怯んでしまった。
そんな俺を見て少女は鋭いパンチを腹部へと放つ。

「……っと、危ない」

咄嗟に俺は腹部に拳が到達する前に左手で彼女のそれを受け止める。
細い腕から繰り出されるパンチの割には掌が痺れるほどの威力だった。

「おっと、離さないよ」

俺は彼女の拳をそのまま包み込む様にして掴む。
すると彼女は離せと言わんばかりに身体を左右に揺らして暴れ出す。
しかし俺は離さずに彼女の拳を包み込んだまま脇差の先で彼女の鳩尾を刺突する。

「かは……っ」

少女は息を洩らし、くらりと糸の切れた様に倒れる。

「ごめんよ」

床に倒れる前に俺は少女の身体を受け止める。
そして受け止める際に一旦床に置いた脇差をそのままにしておいて、彼女の身体を姉さんのベッドで再び寝かせる。

「フンフンフーン♪さーて、愛しの実験器具ちゃんたち──」

──10分ほど経った時のことだ。
姉さんが上機嫌なのか鼻歌を歌いながら自室の扉を開く。
そしてその場で固まった。

「──って、何事ッ!?」

それもそうだろう。帰って来たら部屋に物が散乱(元々散らかってはいたが)しているのだから。

「ああ姉さん……実は……」

状況の飲み込めない姉に俺はこの部屋で起こったことの顛末を説明する。

「……ふぅん、いきなりその子が目覚めて襲いかかってきた、と……」
「うん、目を覚まさなかったのに……」
「う……っ」

寝台に寝かせた少女が微かに息を洩らす。
そしてのそりとその細い身体を半分ほど起こした。

「ここは……」

彼女は初めて言葉を発した。
その声は透き通ったやや低めの声だ。

「あら、お目覚めかしら」
「……あなたたちは?」

彼女はそう俺たちに問うた。
その声色と瞳からは先ほどの様な敵意を感じられなかった。

(あれ、さっきのことを忘れてる……?)

先刻俺を襲ったことを忘れている様だ。
しかし彼女は忘れている演技をしているとも思えない。
本当に忘れたのだろう。或いは先ほどは本当に寝ぼけていて無意識に俺を襲ったのだろうか。

「あたしは東条仙。こっちが弟の大和よ」

そう姉さんが素早く俺たち2人の紹介をする。

「あなた、名前は?」
「……名前?判らない……」

姉さんが名を問うても赤髪の少女は首を横に振った。
その様子を見て姉さんは一瞬驚いた様な表情を浮かべた。

「それじゃあどこから来たのかとかは?」
「それもちょっと……」

少女は一瞬考えてから答えた。
思い出そうとしている様だが思い出せない様だ。

「……記憶喪失かしら。あなた、夜の公園でうずくまってて突然気を失ったらしいから大和が連れてきたのよ。これがその時の格好ね」

そう言って姉さんはうずたかく積まれた本の上に置いていたものを手に取り、彼女に見せる。
上下一続きの肌にぴっちりと密着する黒いダイバースーツの様な服だ。俺たちと少女が初めて会った時に彼女が着ていた服だ。

「これ、なんなんだろうと思って個人的に解析してみたんだけどマッスルスーツだったわ」
「マッスルスーツ?」
「そうね、パワードスーツって言い換えた方が判りやすいかしら。身体能力を補助する服ね」

町中で着る様な服ではないと思ったがそういった機能を持った衣服だったのか。

「……とても一般人が着る様な服とは思えないんだけど?」
「ええ。イージスかGRか対テロ党か……或いは別の勢力か、一般人の子じゃないのは確かで、どこに所属していたのか聞きたいんだけれど……」

記憶喪失ならばどこに所属していたかなんて覚えていないだろう。
それならば無理な話だ。

(……記憶がないままでいるのも辛いわよね。見たところ大和と同い年くらいかしら)
「あなた、自分自身が何者なのか思い出すまで我が家で一緒に暮らしましょう」
「え……」

突然の提案に少女は驚いている様だった。

「構わないかしら、大和」
「うん。でも母さんたちは?」
「この子を連れてきた時点で既にOKを貰ってるわ。『もしこの子が記憶喪失だったら家に居させてもいいか』って聞いておいたからね」

流石姉さんだ。用意が周到である。

「そうしたら2人とも『新しい家族が増えるのは嬉しい』って言ってたわ」
「それならよかった。君は大丈夫?」
「う、うん……」

彼女はこくりと頷いた。

「決定ね。なら、名前がないとね」
「名前?」
「そう、名前。一緒に住んでるのに呼ぶための名前がないと困るでしょう?」

それもそうだ。少女に用があって呼ぶ時に『おーい』とか『君』だけだと困るかもしれない。名前がないというのは想像以上に不便なことだろう。

「それもそっか……それじゃあ仮の名前を……」

何気になく物が溢れた卓上に視線をやった時だった。
所々付箋や挟まれた紙がはみ出ている積まれた分厚い本、蓋の開いたまま放置された薬液の入った瓶、飲みしのペットボトルが数本……

(うわぁ……改めてみるときったない卓上だなぁ……)

軽く……いや、かなり引きつつ俺は卓上にあったものの1つに手を伸ばした。
リードディフューザーという奴だ。アロマには詳しくはないが既に開封されていて、鼻に近付けるとほのかに甘い芳香がする。

「これは……藤の匂い?結構いい匂いだね」
「へぇ、あんた判るのね」

姉さんは一瞬俺がなんの匂いか判ったことに対して驚いて、その後嬉しそうに言った。
アロマは姉さんの趣味だ。どんな趣味でも他人に趣味のものを判ってくれるというのは嬉しいことだろう。

「そう。藤の花の成分を抽出して作った自作アロマよ。いい香りだって聞くから作ってみたの。それに藤の香気成分には抗酸化作用があるのよ」
「へぇ……抗酸化作用が」

良い香りだ。この芳香に誘引されてクマバチが藤の花に寄ってくるのも判るかもしれない。

「藤……?」

少女は興味深そうに俺の持つリードディフューザーを見つめている。

「あ、気になる?」

記憶喪失の彼女からしてみたら物珍しいのかもしれない。
俺は少女に藤の芳香を放つリードディフューザーを手渡した。
彼女はそれを鼻に近付け、軽く息を吸った。

「……甘い香りだね」

少女は微笑みを浮かべた。
初めて見るその微笑みは藤の『優しさ』という花言葉が相応しかった。
その笑みに思わず心臓がとくりと一度大きく鳴った。

「あら、あなたも気に入った?」
「うん」

こくりと頷く。
少女のそんな様子を見て、俺の脳裏になにかが奔った。

「……名前、思い浮かんだんだけどいいかな?」
「あら、いつもは判断するのにいつまでも時間かけてる優柔不断なあんたが珍しく早いわね」

……結構酷いことを言ってないか?

「うっ……慎重だって言って欲しいな」
「それで名前は?」
「ああ……“凛華りんか”さ」

俺はそう答えた。

「凛華?理由は?」
「……言わなきゃダメ?」
「ええ。名付け親から名前の由来くらい聞いときたいでしょ」

それもそうか。
しかしそれを2人の前で発表するというのは中々恥ずかしいことだ。

「……凛として、華の様だから」
「……へぇ?」

恥ずかしさから少し小声になったが姉さんは聴こえていた様でニヤニヤと笑みを浮かべている。

「な、なんだよその顔は……」
「いいや?あんたも随分といい名前をつけるじゃない、って思って」

本当にそう思っているのだろうか。
その悪戯っぽい笑みは明らかに弄る対象を見つけた笑みだ。

「凛華……凛華か、嬉しいな……」

少女は再び笑みを浮かべる。
その穢れを知らない微笑はまさに華の様だ。

「よかったじゃない、大和。お気に召したみたいよ」
「ああ。ようこそ、東条家へ」

彼女に手を差し出すと彼女は静かに俺の手を握ってくれた。
白蝋の様に白く細い手は冷えてはいるものの微かな温かさが感じられた。

──新たに始まった紙越町を取り戻すために戦う生活。
そこに凛華という新たな家族を迎え、俺たちは奪還を果たすための戦いを開始する──
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