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櫂朔⑤
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吐く息が、白い。
白い息が、冷たい空に消えていく。
真っ黒な空はくすんで見えて、そこには星も何もなくて、ただ、星の代わりに誰かが作った光が、世の中を輝かせている。
少し前を歩く櫂の背中は、あの日見た背中と同じだった。嫌な撮影をして、事務所からの連絡を避けていた時、強引に引き戻してくれたのは、櫂だった。あの時、腕を引かれて歩いた櫂の背中は、すごく近くに感じた。
今、目の前にある背中が、すごくすごく、遠くに見えた。手を伸ばせば届く距離を歩く櫂の心が、わからなかった。
通じ合ったと思った。
昔の話をして、同じ光を見て、これからも、隣にいられると思っていた。
「朔……ごめんな」
「……謝りすぎだよ……」
「怒っとる?」
「怒ってるってゆうか、まだ混乱してる……」
「ごめん……」
振り返った櫂の悲しそうな瞳が、朔良を見る。
キュッと結んだ唇が、多くを語りたがらない意志を表しているような気がして、朔良は、踏み込めなかった。
踏み込んで、跳ね返される恐怖。
その先に、踏み込めなかった。
「俺……横浜から出てく……店も、辞めんだ」
「そう……なんだ」
「うん……」
このまま、離れて良いのだろうか。
何も言わずに、離れて、良いのだろうか。
自分の心に問いかけそして、その心にブレーキがかかる。
自分は櫂と、どうなりたいのだろうか。
自分は櫂に、どうしてほしいのだろうか。
ただ、あの場所でこれからも一緒にいたかった。
それだけだったのだろうか。
そんなのただの、馴れ合いじゃないか。
そんな思考にたどり着き、ただただ自分に、腹が立つ。
自分が、居心地の良い場所にいて、その関係をこれからも望んで、ただ、馴れ合いの中にいる間に櫂は、その先へ行ってしまった。
そんな自分に、なんの相談ができたのか。
何も言えなくて、相談もなんもできなくて。
当たり前だ。
苛立ちに、キュッと拳を握った。
「櫂、頑張れよ。俺も就活頑張るわ」
「……おう」
「俺も、上目指して頑張るわ」
「うん……」
「ありがとう」
「……」
「じゃあな……」
精一杯の、強がり。
精一杯の、虚勢。
震える唇をギュッと結び朔良は、櫂に背を向けた。
櫂の目を、見ていられなかった。
どんな目を、している?
どんな顔を、している?
なぜ笑って、離れることができないのだろう。
一生の別れではない。
引退したら、連絡を取れないわけではない。
でももう、櫂はそれを望んでいないような、そんな、気がした。
朔良は背を向け、じゃりっと、足を鳴らした。
アスファルトにある小さな石が、足元で鳴る。
「朔!」
その声に一歩踏み出した朔良の背中が、その声にびくんと跳ねた。
「朔……ありがとう……」
温かい声。
少し、鼻にかかったような、甘えたような声。
その声が、好きだ。
無邪気に笑う仔犬のような笑顔。
大きな口。
丸い瞳。
『朔』と呼ぶ声が、好きだ。
「朔……ありがとう」
『朔』と、呼ばれるたびに、心に花が咲くような、温かい気持ちになった。
今、氷のように冷たい世界に、あの温かい花が凍りついたようだった。
少しでも触れられたら、壊れてしまうような。
それでもあの時咲いたあたたかい花を壊したくなくて、大切に大切にしていたくて、そっとそれを、凍らせた。
凍らせたその花は、育つことはない。
枯れることもない。
心の奥底でずっと、その場所に居る。
もう、触れることはない。
櫂の、長い指先。
細くて大きな背中。
柔らかい唇。
柔らかいふわふわの髪。
全てを花とともに、凍らせた。
「じゃあな」
一瞬振り返り、精一杯、笑った。
心を凍らせて、精一杯、笑った。
世の中を輝かせる光が、こんな日になぜかいつもより、綺麗に見えた。
せめて。
せめて、空と同じようにくすんで見えればいいのに。
朔良は白い、息を吐いた。
白い息が、冷たい空に消えていく。
真っ黒な空はくすんで見えて、そこには星も何もなくて、ただ、星の代わりに誰かが作った光が、世の中を輝かせている。
少し前を歩く櫂の背中は、あの日見た背中と同じだった。嫌な撮影をして、事務所からの連絡を避けていた時、強引に引き戻してくれたのは、櫂だった。あの時、腕を引かれて歩いた櫂の背中は、すごく近くに感じた。
今、目の前にある背中が、すごくすごく、遠くに見えた。手を伸ばせば届く距離を歩く櫂の心が、わからなかった。
通じ合ったと思った。
昔の話をして、同じ光を見て、これからも、隣にいられると思っていた。
「朔……ごめんな」
「……謝りすぎだよ……」
「怒っとる?」
「怒ってるってゆうか、まだ混乱してる……」
「ごめん……」
振り返った櫂の悲しそうな瞳が、朔良を見る。
キュッと結んだ唇が、多くを語りたがらない意志を表しているような気がして、朔良は、踏み込めなかった。
踏み込んで、跳ね返される恐怖。
その先に、踏み込めなかった。
「俺……横浜から出てく……店も、辞めんだ」
「そう……なんだ」
「うん……」
このまま、離れて良いのだろうか。
何も言わずに、離れて、良いのだろうか。
自分の心に問いかけそして、その心にブレーキがかかる。
自分は櫂と、どうなりたいのだろうか。
自分は櫂に、どうしてほしいのだろうか。
ただ、あの場所でこれからも一緒にいたかった。
それだけだったのだろうか。
そんなのただの、馴れ合いじゃないか。
そんな思考にたどり着き、ただただ自分に、腹が立つ。
自分が、居心地の良い場所にいて、その関係をこれからも望んで、ただ、馴れ合いの中にいる間に櫂は、その先へ行ってしまった。
そんな自分に、なんの相談ができたのか。
何も言えなくて、相談もなんもできなくて。
当たり前だ。
苛立ちに、キュッと拳を握った。
「櫂、頑張れよ。俺も就活頑張るわ」
「……おう」
「俺も、上目指して頑張るわ」
「うん……」
「ありがとう」
「……」
「じゃあな……」
精一杯の、強がり。
精一杯の、虚勢。
震える唇をギュッと結び朔良は、櫂に背を向けた。
櫂の目を、見ていられなかった。
どんな目を、している?
どんな顔を、している?
なぜ笑って、離れることができないのだろう。
一生の別れではない。
引退したら、連絡を取れないわけではない。
でももう、櫂はそれを望んでいないような、そんな、気がした。
朔良は背を向け、じゃりっと、足を鳴らした。
アスファルトにある小さな石が、足元で鳴る。
「朔!」
その声に一歩踏み出した朔良の背中が、その声にびくんと跳ねた。
「朔……ありがとう……」
温かい声。
少し、鼻にかかったような、甘えたような声。
その声が、好きだ。
無邪気に笑う仔犬のような笑顔。
大きな口。
丸い瞳。
『朔』と呼ぶ声が、好きだ。
「朔……ありがとう」
『朔』と、呼ばれるたびに、心に花が咲くような、温かい気持ちになった。
今、氷のように冷たい世界に、あの温かい花が凍りついたようだった。
少しでも触れられたら、壊れてしまうような。
それでもあの時咲いたあたたかい花を壊したくなくて、大切に大切にしていたくて、そっとそれを、凍らせた。
凍らせたその花は、育つことはない。
枯れることもない。
心の奥底でずっと、その場所に居る。
もう、触れることはない。
櫂の、長い指先。
細くて大きな背中。
柔らかい唇。
柔らかいふわふわの髪。
全てを花とともに、凍らせた。
「じゃあな」
一瞬振り返り、精一杯、笑った。
心を凍らせて、精一杯、笑った。
世の中を輝かせる光が、こんな日になぜかいつもより、綺麗に見えた。
せめて。
せめて、空と同じようにくすんで見えればいいのに。
朔良は白い、息を吐いた。
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