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庶子平
二
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茅舎の一室で、肌を触れ合わせ、じゃれ合う若い男女がいる。女は娼婦であり、胸元をはだけさせ、寄り添う青年に、艶めかしい眼で秋風を送る。
青年は屈強な腕を娼婦の肩に回し、強引に引き寄せる。娼婦が嬉しそうに「きゃっ」と黄色い悲鳴を上げた。板の間には、褥が敷かれており、娼婦は青年と褥を交互に見遣る。
「ふむふむ、なるほど。粟の値が上がり始めているのか。しかし、妙だな。不作ではないだろうに」
青年は形のよい眉を顰める。なるほど。娼婦が商売抜きで惹かれるのも無理はない。被髪の青年は、あらゆる男を相手にしてきた練者の娼婦でさえ、虜にさせる美貌を有している。ほどよく焼けた褐色の肌に、黄金比の鋼色の眸。鼻は高く、口吸いを誘う弾力のある唇。そして、鍛え抜かれた頑健な躰。まだ顔に稚さは残るが、侠人に近い気配が横溢している。
「そうなのさ、利星の旦那。今年は実りも良かったはずなんだけどね」
甘い吐息を利星の首元に吹きかけ、指で胸板をなぞる。くすぐったいのか、利星は低い声で笑った。
「胡乱な気配がするな。丁は何か言ってなかったか?」
「下僕の坊やかい。ああ、そう言えば、貴族や金持ちの商人の館に、満杯の荷物を積んだ荷駄がひっきりなしに入って行くのを見たって」
「ほう」
利星は髭の生えていない顎を指でさすり、天井を睨んだ。物憂げな表情に見惚れ、思わず娼婦は溜息を漏らす。
「丁に之を」
懐から二つの巾着を取り出し、娼婦に渡す。
「もう一つはお前のだ」
娼婦は、一つは受け取ったが、もう一つは手で押し返す。
「銭なんていらないよ。ねぇ、利星の旦那。今日こそは抱いておくれよ」
細い腕が利星の首に絡み、そのまま押し倒そうとする。
「取っておけ。必要なものだろ」
「何も銭だけが女の幸せじゃないのさ。私は銭の為に、旦那に尽くしている訳じゃないよ」
「ああ、分かっているさ。鐘鴻」
息がお互いの顔にかかるくらいに、鐘鴻は顔を近づけ、蘇芳のように赤い唇を突き出し、そっとその時が来るのを待つ。
鐘鴻は陰がじんわりと火照るのを感じ、心身共に利星に委ねた。
その時である。徐に利星が立ち上がった。鐘鴻は身の丈八尺を越える、容貌絶異を仰いだ。
戸が勢いよく開く。血相を変えて現れたのは、この娼館の主人である。
「旦那、まずいよ。例の輩が血眼になって、あんたのことを探しているらしい。此処も時間の問題だろう」
「ちょっと邪魔しないでおくれよ!」
顔を棗色に染めた、鐘鴻が金切り声を上げる。
「そうは言うが…」
勘気を被った主人は、鐘鴻の剣幕に圧され、たじろぐ。
「邪魔が入ったようだ。愉しみは次の機会にとっておくとしよう」
利星は飄然と笑い、衝立に立て掛けてあった、黒鞘の剣を手に執った。
「旦那、急いだ方がいい」
主人は痩せた顔に脂汗を滲ませている。
「いつも場所を貸してもらってすまねぇな」
利星は懐から巾着を取り出し、主人の胸に押し付けた。
「何を。旦那が負郭(貧民街)を巧く差配してくれているおかげで、此処は随分と住みやすくなった。俺達、貧乏人は皆、旦那に感謝してるんだ」
「よしてくれ。まだ年に何百人と飢えて死ぬ連中がいるんだ。俺がやっていることは、所詮、自己満足でしかない」
明るかった利星の顔に、昏い翳が差す。
「そうかもしれない。だけど、掃きだめに住む人間に希望というものを教えてくれた」
主人の骨が浮き出た手が、利星の大きな手を包んだ。
利星の胸にじんわりと温かい感情が拡がった。
「また来る」
照れを隠し、利星は窓を開いた。
「じゃあな」
颯と娼館の二階から飛び降りる。取り残された鐘鴻は、開いたままの窓を悲し気な表情で見つめる。
「そうむくれるな、鐘鴻。お前さんだって、旦那の本当の身分を知らぬ訳じゃあるまい」
主人は諭すような、優しい口調で告げる。
「分かってるよ…こんな卑しい娼婦が手の届く存在ではないことくらい」
薄っすらと鐘鴻の眼に涙が滲む。
「でもさ…卑しい娼婦だって、時には一炊の夢に溺れてみたいのさ」
袖で眼許を拭う娼婦に、主人は微苦笑を浮かべた。
青年は屈強な腕を娼婦の肩に回し、強引に引き寄せる。娼婦が嬉しそうに「きゃっ」と黄色い悲鳴を上げた。板の間には、褥が敷かれており、娼婦は青年と褥を交互に見遣る。
「ふむふむ、なるほど。粟の値が上がり始めているのか。しかし、妙だな。不作ではないだろうに」
青年は形のよい眉を顰める。なるほど。娼婦が商売抜きで惹かれるのも無理はない。被髪の青年は、あらゆる男を相手にしてきた練者の娼婦でさえ、虜にさせる美貌を有している。ほどよく焼けた褐色の肌に、黄金比の鋼色の眸。鼻は高く、口吸いを誘う弾力のある唇。そして、鍛え抜かれた頑健な躰。まだ顔に稚さは残るが、侠人に近い気配が横溢している。
「そうなのさ、利星の旦那。今年は実りも良かったはずなんだけどね」
甘い吐息を利星の首元に吹きかけ、指で胸板をなぞる。くすぐったいのか、利星は低い声で笑った。
「胡乱な気配がするな。丁は何か言ってなかったか?」
「下僕の坊やかい。ああ、そう言えば、貴族や金持ちの商人の館に、満杯の荷物を積んだ荷駄がひっきりなしに入って行くのを見たって」
「ほう」
利星は髭の生えていない顎を指でさすり、天井を睨んだ。物憂げな表情に見惚れ、思わず娼婦は溜息を漏らす。
「丁に之を」
懐から二つの巾着を取り出し、娼婦に渡す。
「もう一つはお前のだ」
娼婦は、一つは受け取ったが、もう一つは手で押し返す。
「銭なんていらないよ。ねぇ、利星の旦那。今日こそは抱いておくれよ」
細い腕が利星の首に絡み、そのまま押し倒そうとする。
「取っておけ。必要なものだろ」
「何も銭だけが女の幸せじゃないのさ。私は銭の為に、旦那に尽くしている訳じゃないよ」
「ああ、分かっているさ。鐘鴻」
息がお互いの顔にかかるくらいに、鐘鴻は顔を近づけ、蘇芳のように赤い唇を突き出し、そっとその時が来るのを待つ。
鐘鴻は陰がじんわりと火照るのを感じ、心身共に利星に委ねた。
その時である。徐に利星が立ち上がった。鐘鴻は身の丈八尺を越える、容貌絶異を仰いだ。
戸が勢いよく開く。血相を変えて現れたのは、この娼館の主人である。
「旦那、まずいよ。例の輩が血眼になって、あんたのことを探しているらしい。此処も時間の問題だろう」
「ちょっと邪魔しないでおくれよ!」
顔を棗色に染めた、鐘鴻が金切り声を上げる。
「そうは言うが…」
勘気を被った主人は、鐘鴻の剣幕に圧され、たじろぐ。
「邪魔が入ったようだ。愉しみは次の機会にとっておくとしよう」
利星は飄然と笑い、衝立に立て掛けてあった、黒鞘の剣を手に執った。
「旦那、急いだ方がいい」
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「いつも場所を貸してもらってすまねぇな」
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「何を。旦那が負郭(貧民街)を巧く差配してくれているおかげで、此処は随分と住みやすくなった。俺達、貧乏人は皆、旦那に感謝してるんだ」
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明るかった利星の顔に、昏い翳が差す。
「そうかもしれない。だけど、掃きだめに住む人間に希望というものを教えてくれた」
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「分かってるよ…こんな卑しい娼婦が手の届く存在ではないことくらい」
薄っすらと鐘鴻の眼に涙が滲む。
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袖で眼許を拭う娼婦に、主人は微苦笑を浮かべた。
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