楽毅 大鵬伝

松井暁彦

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宋攻略戦

 五

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 楽毅の采配を快く思っていない少年がいた。
 燕の昭王の長子である、太子戎人たいしじゅうとである。

「おい。何だ。この甘ったるい采配は」
 戎人は傅役である、郭蔵かくぞうを引き連れ、楽毅が宣撫せんぶする、単父の地を歩く。

「左様でございます。なんと手ぬるいことか」
 郭蔵は揉み手をしながら、太子の後を追う。

「郭蔵。何故、父上は楽毅など重用する?本来、ならば殷の遺民など、駆逐するべきなのだ。旧い血胤など、之からの新世界に不要だ」
 戎人は舌打ちをし、剣で伸びる草叢そうもうを斬り払いながら、畦道を行く。

「真です。私も大王様のお考えが分かりませぬ。何故、私ではなく、従兄の郭隗かくかいを重用さなるのか」

 彼の従兄である、郭隗は優秀な人材を求める、燕王に「まずは隗から始めよ」と告げた。
 郭隗の言はこうである。

「まずは私のような愚人を重く用いられることです。愚人である、私が重く用いられれば、全土から燕王様の元に、賢者や勇者が集まってくるでしょう」
 郭隗の言の通り、燕王の元に、賢者、勇者が殺到した。その内の一人が劇辛である。以来、郭隗は燕の師であり、相談役を務めている。
 
 郭蔵は出世を果たした、従兄に猛烈な嫉妬心を抱いている。生来、残忍で酷薄な太子とは、馬が合った。

「おれは楽毅が好かん。父上は、俺以上に楽毅に愛情を注いでおられる」
 戎人の足許に、蛙が飛んできた。唾を吐きかけ、無感動に踏み潰す。

「どけ。下等生物が。おれの前を偉そうに横切るな」
 瞬間。視界の先に、戎人の興味を喚起するものがあった。

「おい。お前」
 年の頃同じくらいの少女が、開けた場所で何やら摘んでいる。立ち上がった少女の手には、土筆つくしがあった。 領民は楽毅に保護され、あろうこと自由を許されている。

「運が悪かったな。いま、おれは無性に苛ついている」
 剣の刃が妖しい光を放った。
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