楽毅 大鵬伝

松井暁彦

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田斉

 五

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 閃きが走る。
 楽毅は斉土の蹂躙を求めてはいない。救援を期待できない、斉によって、唯一残された道は滅びか降伏。確かに難民を臨淄に送り込み、内側から瓦解させる策は妙案だ。しかし、連合軍は圧倒的な戦力を誇っている。ならば、あえてこのような回りくどいやり方をせずともいい。
 
 父祖を殺され、地を焼かれた、燕の怨毒は計り知れない。燕には敵の肝を喰らい血の海を渡る、紅蓮に染まりし覚悟がある。本来ならば、斉西の地は死屍累々と重なる、焦土と化していても不思議ではない。


(そうか)
 楽毅は総大将の身でありながら、此方に猶予を与えている。斉王に降伏を促す時を。
 その上で保険も打ってある。向こうには孟嘗君がいる。孟嘗君が臨淄に入れば、彼の訴えで民達は抵抗することなく、帰順を選ぶ。楽毅の声が聞こえてくる気がする。

(気付け。田単。俺は斉の地を灰燼かいじんに帰せしめたくはない)
 これまで胸中を覆っていた、暗澹たる気持ちが一閃される。
 田単が再び顔を上げた時、その顔には生気が漲っていた。

「姜施」

「何だ?」

「斉王に謁見したい」

「どういうつもりだ?」

「降伏を促す。斉の民を救う手立てはこれしかない」

「はぁ。なに言ってんの!?あんた!」
 姜音が癇癪玉と化す。

「黙っておれ」
 頭領が一喝する。

「たとえ降伏したとても、交渉しだいで王朝の存続は安堵されるかもしれない。結果、大きく土地を割かれたとしても、其処に人々の営みがあれば、幾らでもやり直せると、僕は思う」
 一拍の間が空いた。

「斉王は狷介孤高な男だ。お前に諭せるのか?」
 姜施は真っ直ぐに、田単を見据えた。

「やってみせる」
 暫しの間、視線をぶつけた。
 やがて、根負けしたように、姜施が嘆息した。

「分かった。時機を見て、宮廷に忍びこもう」

「ありがとう」
 にこりと田単は笑う。だが、直ぐに笑顔をおさめ、目許に苛烈な皺を刻み、姜鵬牙達に向き直った。

「それまでにできることは、民の暴動を防ぐことだ。頭領、賤しい官吏共を一掃したい。可能ですか?」

「馬鹿者。誰に言っておる」
 頭領は得意の鼻をうごめかせる。

「それと、姜鵬牙。君にも頼みがある」
 彼は此方の意図を察していたかのように、泰然と構えている。

「訊こう」

「最も危険な役割だ」

「凡そ察しはついている」

「では」
 田単は告げる。姜鵬牙の表情に動きはない。

「兄上を死なせるつもり!?」
 姜音が眼に涙を溜め、怒鳴った。
 だが、姜鵬牙が手で制する。

「承知した。お前とあの男を信じてみよう」

「頼む。友の君だからこそ頼める」

「友か」
 姜鵬牙が僅かに唇を綻ばせた。

「悪くない。響きだ」
 彼の笑顔を、田単は初めて目の当りにした。
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