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決別
一
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「兄上!」
姜音の叫声が、倉の中に響いた。
門番の男達に、支えられるように入ってきたのは、全身を朱に染めた、姜鵬牙であった。
「姜鵬牙!」
田単は慌てて駆け寄った。
「田単を」
「此処にいる」
差し出された手を握る。血で滑ったが、決して離すまいと、固く握り返した。
「利き腕をやられただけだ。命に別状はない」
と言ったが、息は絶え絶えで、かなり苦しそうだ。
「爺様!医者を」
姜音は涙眼で訴えると、膝を枕にし、兄の頭をそっと乗せた。
「意識を保っていられそうにないから用件を伝える。宰相呂礼を一刻も、早く始末しろ。奴は秦からの羇旅の臣だ。あの白起と繋がっている」
虚ろだった眼に、勁い光が灯る。
「頼んだぞ、友よ。俺は少しー。横になる」
ふっと静かに、姜鵬牙は瞼を閉じた。
「兄さん!」
錯乱する姜音が、兄の頬を手ではたく。
「よせ。気を失っただけだ。息はある」
田単の言葉を聞いて、姜音は兄を膝に乗せたまま、泣きじゃくった。一族の若者が医者を伴なって帰って来ると、姜音は兄に付き添って、奥の室へと消えた。
姜鵬牙は気絶する前に、宰相呂礼を始末するように言い残した。
つまる所、秦の狙いは臨淄の蹂躙だ。だとすれば、呂礼は降伏に益は無しと、斉王に耳打ちするはずだ。ましてや、斉王が送った、使者の一団は姿を晦ましている。
連合軍側が使者達を斬り殺し、和平を拒んだとなれば、気位の高い斉王のことだ。徹底抗戦を叫ぶか。いやー。違う。秦は臨淄の王宮奥深くに蓄えられた財宝を狙っている。 だとすれば、呂礼は斉王の強迫観念を駆り立て、臨淄から逃れるように諭すに違いない。斉王が逃亡した以上、連合軍の総帥である楽毅は、軍を進めることを余儀なくされる。逃亡した時点で、講和の道は閉ざされる。
そして、屋台骨を失った臨淄は、瞬く間に連合軍の手に落ちる。略奪が始まれば、連合軍は最早、烏合の衆。
欲に眼が眩み、狂気に染まった異国の兵達を、総帥の楽毅であろうとも統制は叶わない。全身に冷や水を浴びたように、嫌な汗が噴き出してくる。臨淄には両親がいる。何としても、呂礼に誑かされる前に、斉王を御止めしなくては。その時である。戸が勢いよく開いた。
「田単!まずいことになった」
姜施であった。具足姿の彼の顔には、幾つもの擦り傷がある。
悪心が海鳴りのような音を立てて、躰の内で渦巻く。
「大王が東門に、数千の兵士を集めている。恐らく東へ逃げる手筈を整えているのだろう」
頭領と視線が重なった。
「遅かったか」
頭領は絞り出すように呟いた。
「それだけじゃない。情報が市井に漏れ、難民達が暴動を起こしている」
少しずつ。でも、確かに積み上げてきたものが崩れていく。いや。積み上げていたと錯覚していただけなのかもしれない。邪悪な思念を抱いた輩達の方が、遥かに己より上手だった。
「暴動が激化しているのは、南門の方角だ」
「今なんと」
我が耳を疑った。そして、突き上げてくる悪寒。南門の区域には、田単の両親が住む家がある。田単は弾かれたように駆け出した。
「田単!」
頭領の声を置き去りにして、酒場を飛び出る。
姜音の叫声が、倉の中に響いた。
門番の男達に、支えられるように入ってきたのは、全身を朱に染めた、姜鵬牙であった。
「姜鵬牙!」
田単は慌てて駆け寄った。
「田単を」
「此処にいる」
差し出された手を握る。血で滑ったが、決して離すまいと、固く握り返した。
「利き腕をやられただけだ。命に別状はない」
と言ったが、息は絶え絶えで、かなり苦しそうだ。
「爺様!医者を」
姜音は涙眼で訴えると、膝を枕にし、兄の頭をそっと乗せた。
「意識を保っていられそうにないから用件を伝える。宰相呂礼を一刻も、早く始末しろ。奴は秦からの羇旅の臣だ。あの白起と繋がっている」
虚ろだった眼に、勁い光が灯る。
「頼んだぞ、友よ。俺は少しー。横になる」
ふっと静かに、姜鵬牙は瞼を閉じた。
「兄さん!」
錯乱する姜音が、兄の頬を手ではたく。
「よせ。気を失っただけだ。息はある」
田単の言葉を聞いて、姜音は兄を膝に乗せたまま、泣きじゃくった。一族の若者が医者を伴なって帰って来ると、姜音は兄に付き添って、奥の室へと消えた。
姜鵬牙は気絶する前に、宰相呂礼を始末するように言い残した。
つまる所、秦の狙いは臨淄の蹂躙だ。だとすれば、呂礼は降伏に益は無しと、斉王に耳打ちするはずだ。ましてや、斉王が送った、使者の一団は姿を晦ましている。
連合軍側が使者達を斬り殺し、和平を拒んだとなれば、気位の高い斉王のことだ。徹底抗戦を叫ぶか。いやー。違う。秦は臨淄の王宮奥深くに蓄えられた財宝を狙っている。 だとすれば、呂礼は斉王の強迫観念を駆り立て、臨淄から逃れるように諭すに違いない。斉王が逃亡した以上、連合軍の総帥である楽毅は、軍を進めることを余儀なくされる。逃亡した時点で、講和の道は閉ざされる。
そして、屋台骨を失った臨淄は、瞬く間に連合軍の手に落ちる。略奪が始まれば、連合軍は最早、烏合の衆。
欲に眼が眩み、狂気に染まった異国の兵達を、総帥の楽毅であろうとも統制は叶わない。全身に冷や水を浴びたように、嫌な汗が噴き出してくる。臨淄には両親がいる。何としても、呂礼に誑かされる前に、斉王を御止めしなくては。その時である。戸が勢いよく開いた。
「田単!まずいことになった」
姜施であった。具足姿の彼の顔には、幾つもの擦り傷がある。
悪心が海鳴りのような音を立てて、躰の内で渦巻く。
「大王が東門に、数千の兵士を集めている。恐らく東へ逃げる手筈を整えているのだろう」
頭領と視線が重なった。
「遅かったか」
頭領は絞り出すように呟いた。
「それだけじゃない。情報が市井に漏れ、難民達が暴動を起こしている」
少しずつ。でも、確かに積み上げてきたものが崩れていく。いや。積み上げていたと錯覚していただけなのかもしれない。邪悪な思念を抱いた輩達の方が、遥かに己より上手だった。
「暴動が激化しているのは、南門の方角だ」
「今なんと」
我が耳を疑った。そして、突き上げてくる悪寒。南門の区域には、田単の両親が住む家がある。田単は弾かれたように駆け出した。
「田単!」
頭領の声を置き去りにして、酒場を飛び出る。
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