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おまけ 二話〈2〉
しおりを挟む「────ああ! ダニエル様! お待ちしておりましたわ……!」
連れられた城で、俺は見知らぬ女性に出迎えられた。長い黒髪と緋色の瞳が特徴的な、少し幼い顔立ちの女性だ。
少なくとも、俺は顔を合わせたことはないし、記憶にもないので貴族でもない。
そもそも魔族の術式を使っている時点で面識がなくて当然なのだが、あんまりにも親しげな笑みを浮かべているから、一瞬何処かで会ったことがあったか、と思ってしまった。
無い。さっぱり無い。
「お会いしとうございました、ダニエル様! どうかわたくしのことは、アリアと呼んでくださいませ……」
ただそうなると、彼女がやたらと此方に好意的な態度を取っていることに疑問が湧く。
俺はてっきり、此処で『お前がミシュリーヌ・シュペルヴィエルの飼い犬か』と嘲笑でもされて、身柄と引き換えにミミィに何か取引を持ちかけるつもりだと思っていたのだが。
そういえば、最近は称号が『騎士』に変わったのだったか、などと思った辺りで、俺を連れてきた少年が悲痛な叫び声を上げた。
「サラはどこだ! こいつを連れてきたら助けてくれるんじゃなかったのか!」
此方を見上げていた緋色の瞳が少年に向かうと同時に、俺は彼を突き飛ばすようにして立ち位置を奪った。
腹部への衝撃の後に、ぐっと息が詰まる。視界には、女の手に握られた豪奢な扇が映っている。
反射的に風魔法で防壁を貼ったが、魔術式が異なるせいか、普段ほど防ぎ切れてはいないようだった。
「ああ! いけませんわ、ダニエル様っ!」
堪え切れずに咳き込めば、悲痛な声を上げた女は膝をついた俺にわざとらしく寄り添った。
「こんな小汚い孤児を庇って怪我をなさるだなんて……やはり貴方様は清らかで美しいお方! あんな毒婦に誑かされて……おいたわしや……」
毒婦、というのはミミィのことだろうか。訂正して欲しいが、恐らく俺がそれを口にすれば少年の首は腐り落ちてしまうに違いない。
この女は、先ほど確かに子供には過ぎた暴力を振るおうとした。
「……誰なんだ、貴方は」
「わたくしはアリアーデ・キナ・エルビルパシュ、この魔界の王女ですわ。そして貴方様はわたくしの夫となり、魔界の王となる御方! そこのお前、この方の慈悲に感謝して平伏なさい。無礼な奴隷の身まで案じて下さる方でなければ、お前の首などとうに落としているのよ!」
目眩がする思いだった。
道を歩いていただけで、魔界の王女に攫われて婚約者にされそうになっている。
口振りから察するに、彼女はミミィを知っている。知った上で、奪っても構わないと判断したのだ。
それは魔族故の傲慢さなのか、王女ゆえの傲慢さなのか、それとも彼女個人が持ち合わせたものなのか、俺には分からない。
ただ一つ言えるのは、ミミィが知ったら、とんでもなく怒るだろうな、ということくらいだ。
「こんな奴隷など放っておいて、わたくしとお話ししましょう? アリアのことを知ってくださいな」
「……彼は奴隷なのか? 人間は奴隷制を禁じている。貴方の振る舞いは、不愉快だ」
口答えをすることで場が不利になることは考えた。だが、俺にだって我慢のならないことはある。
目を見開いた王女は、両手を握り合わせると、わざとらしく目を潤ませた。
「申し訳ありません、ダニエル様! ですが、魔族は奴隷を禁じてはおりませんの。此処は魔界ですのよ、貴方は魔界の王になるのだから、早く慣れて頂きませんと」
ひとつ、話が通じないのはよく分かった。
やるせないことに、俺はこの類の手合いに対して有効な手段を持っていない。
仮にミミィが俺の立場なら、言葉巧みに籠絡して、国を丸ごと乗っ取っているだろう。
そして『囚われの姫』をやってみるのも面白そうだ、と俺を待つに違いない。
「…………だが、貴方は俺の妻になるのだろう。だったら俺の言うことを聞くべきだ」
ミミィに聞かれたら俺ごと殺されるかもしれない、と思うと割と冷や汗が出た。
目の前の魔族より、ミミィの方が余程恐ろしい。殺されるかもしれない。いや、本当に。殺されるかもしれない。
けれども、今のこの場で、最も権力を持つ彼女に対して行動を諌める方法があるとしたら、彼女が俺に持つ不気味な好意を利用することだけだった。
王女は何やら恍惚とした表情で、熱のこもった視線を俺へと向ける。
「アリアと婚約を結んでくださるのですね……! ああ、やはり運命の相手というものは、一目で惹かれ合うものなのですわ! うふふ、やはりダニエル様は、アリアの聖騎士様です……」
うっとりと呟いた王女は飛びつくように俺に抱きつくと、満足した様子でそれ以上少年に構うことはなかった。
余計なことは喋らないでくれ、という思いを込めて、少年へと目をやる。
突き飛ばされたまま呆然と固まっていた少年は、俺が視線に込めた意図を察してくれたのか、それ以上は何も言うことなく、存在感を消すようにじっと推し黙った。
「お部屋にいらしてくださいな。ダニエル様のために御用意しましたの」
ミミィは、自分の所有物に要らぬ傷がつけられることをひどく嫌う。
もちろん身体的な実害も含めるが、婚約者という立場である俺にとっての『傷』というのは、要するに他の女に関係を迫られ、不義の子を成すことだろう。
王女と名乗っただけあるのか、行為については婚儀の後にしましょう、となんだか恥じらいつつ言われた。
安堵と嫌悪が斑らに混ざった、なんとも言えない不快感を伴った感情が浮かぶ。
王女は俺を一室へと案内して手枷をかけると、傷の治療をすると言って医師か何かを呼びに行った。
「…………参ったな」
心からの言葉だった。
脱出そのものは出来なくはない。人的被害を少しも頭に入れなければ、の話だが。
少年の呪縛は、かけた術者が死ねば解けるような代物ではない。むしろ魔導師が死んだことで厄介な性質を露わにし、更に苦しめることすら有り得る。
加えて言えば王都に戻る方法が現状見当たらない。その上、あの少年は自分の命以外にも人質に取られた大切な人がいるようだ。
サラ、という人は何処に監禁されているのだろう。無事だといいんだが。
それに、他にも捕えられている人達がいるかもしれない。
魔族内で奴隷が居るのは、まだ彼らの価値観なのだから口を出す道理がないが、人間を攫ってきて奴隷にしているのは問題だろう。
下手したら魔族対人間の戦争の火種にだって成り得るし。
なんとも頭の痛い話だ。
大体にして、彼女はどうして俺を選んだのだろうか。
疑問には、その夜に答えを与えらえた。一冊の本を手に部屋へとやってきた王女は、夢見る少女のような顔で、熱を帯びた白い頬を緩めながら『聖なる騎士の伝説』について語った。
誠実にして清廉、完璧な白の騎士は、悪の手によって城に囚われた王女を救い、二人は恋に落ちるのだ。どうもその『白の騎士』の絵姿が、俺に似ているらしい。
こういうのは本来、類まれな美丈夫とかが描かれるものではないのだろうか。なんてことをしてくれたのだろう。俺は見も知らぬ画家をひっそりと恨んだ。
そもそも、この場合は俺が『囚われの姫』だ。姫って顔でもないが。
丁寧に整えられた漆黒の城で、もてなされるかのようにして監禁されている。豪奢な調度品に囲まれ暮らす様は、確かに王族に相応しい華やかさだ。
だが、そこには妙な違和感があった。
彼女は、本当にこの国の正当な王女だろうか?
王族が暮らす城にしてはあまりに護衛らしき存在が少ない。
そもそも、いくら王女が望んだとはいえ、魔族には魔族の正当な血筋というものがある筈だ。
俺のような人間を軽率に城に招き入れ、あまつさえ結婚したいだなんて、国王が許すとは思えなかった。
けれども、多数の奴隷を抱え、彼らを魔法で脅し、命を盾にこき使っているという事実は変わらない。
サラというのは、少年の妹なのだそうだ。兄妹二人、母を亡くして、もとより愛情に欠けていた父に売られて此処まで辿り着いてしまったらしい。
二日目の夜、王女が『買い物』をした時の話で聞いた。
少年やサラという人に手を出さないように、という言葉には従う素振りを見せたが、彼女はそれ以外の言葉はほとんど取り合おうとはしなかった。
結局のところ、彼女も憂さ晴らしに使える奴隷を早々に処分するつもりはないから、俺の言うことを聞いたふりをしているだけなのだろう。
もし此処にミミィが居たのなら、一瞬で魔力によって効果を上書きして食い止めた後、治療に当たることが出来るのだが。
ただ、この状況で、俺を攫うのに加担した人間をミミィが助けてくれるとも思えない。俺を傷つけることは、ミミィの矜持を傷つけることと同義だ。
不得手ではあるし時間がかかるが、少年を助けるのは、気づかれないように気を払いつつ俺がやるしかないだろう。
この生活が長引けば長引くほど、ミミィの怒りを収めるのは難しくなる。なんとか言って止めたいが、その言葉が見つからない。
ミミィは俺の不義を疑ったりはしないだろうが、怒りを覚えるか否かは別だし、それを我慢してくれるかどうかも別である。
どうにかして、ミミィが辿り着く前に、俺が彼らを救わねばなるまい。でないと、みんなまとめて火の海で屍人と踊る羽目になる。
……参ったな。
どうして俺は敵ではなく味方の、それも愛する婚約者への対処で頭を悩ませているのだろう。
なんとも難しい問題だった。
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