偽りの花嫁は貴公子の腕の中に落ちる

中村まり

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1巻

1-2

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 腹立ちまぎれに、ぎらりと王太子を睨み付けたが、彼は全く意に介さないようだ。

「まあね。幼なじみをこんな境遇に放置しておくのは忍びないから、王太子である私も一緒に、はるばるこんな辺境の地までついてやってきたんだ。ねぇ、そこは、ありがたく思ってくれないかな?」
「殿下! それはあまりにも……」
「残念だな、ロベルト。いい加減、潮時だ。諦めろ」

 もうこの話は終わりだと言わんばかりに、エリゼルが厳しく言う。ロベルトは、これ以上の議論は不可能だと悟った。

「ロベルト、もう言うことがないんだったら、下がってくれないかな?」

 王太子が傲慢ごうまんに言い放つと、ロベルトはくるりと彼に背中を向けた。無言のまま部屋から出て、怒ったように扉を叩きつける。
 部屋に一人残されたエリゼルが肩をすくめたが、ロベルトにはどうでもいいことだった――



   第二章


「ようこそ、クレスト伯爵家へ」

 クレスト伯爵家へ到着したジュリアとマークの前には、大勢の人がいた。
 使用人達が二人を歓迎するために、玄関ホールの前に集められていたのだ。その数は、子爵家で働く人の数の三倍を優に超えている。

(あーあ、ついに来てしまったか……)

 ジュリアに、たくさんの使用人の視線が注がれる。一同を代表するようにして、年老いた執事が彼らの前にやってきた。丁寧な姿勢で腰を折る。

「ようこそおいでくださいました、奥様。お連れ様のエリオット様も、ご足労いただきありがとうございます。執事のトーマス・ハウェルと申します」
「ご丁寧にありがとうございます。それで、花婿のクレスト伯爵は、どちらに?」

 付き添いとして一緒に来ていたマークが、いぶかしげに執事に聞く。

「――ご当主様は今、任務により戦地におもむいております」

 執事の返事は、ジュリアの予想通りだった。

(やっぱりそうきたか。顔を見ることさえいとわしいと……)

 こちらが乗り気でないように、向こうだって乗り気じゃないのだ。
 そっと眉をひそめ困惑している花嫁に、老執事は柔らかな笑みを向けた。

「奥様、長い道のりでしたから、お疲れでございましょう」

 執事の言葉からは、ジュリアを歓迎している様子がうかがえる。しかし、その後向けられた視線が何か言いたげだったので、なんだか居心地が悪い。叔父からソフィーと同じ年齢に見えるようにとの指示のもと無理やり着せられた、フリルのついた趣味の悪いドレスが恥ずかしい。

(叔父上め! なにもよりによって、こんなドレスを用意するなんて……きっと、この前の仕返しか、嫌がらせに違いない)

 心のなかで悪態を吐きながら、ジュリアは引きつった笑顔を作り、ゆっくりと頷いた。

「はじめまして。……よろしくお願いします」

 決して、騎士団風の挨拶あいさつをしてはならんと自分に言い聞かせつつ、できるだけ令嬢らしく振る舞おうと努力する。
 そして翌朝。
 ……なんという手回しのよさ。電光石火でんこうせっかとはまさにこのことだ。

(誰だ! こんな手配したやつ。責任者出て来い!)

 怒り心頭なジュリアは、そりゃあもう、現実逃避力を駆使して、これは別人のことだと思い込むしかなかった。何故なら今、ジュリアは、地味とはいえ間違いなく婚礼衣装を着て、侍女とともに大聖堂の入り口に立っているのだから。
 一昨日おととい、縁談が決まったと聞いたばかりだ。それなのに、今日これから結婚式を挙げると言われたときには、驚いて椅子からころげ落ちそうになった。
 怒りのあまり、握りしめる手がプルプルと震える。

「奥様、お綺麗ですわ。旦那様がご覧になられたら、さぞかし誇らしく思われるでしょうに」

 ……これは一体、なんの罰ゲームなのか。
 侍女のなぐさめにしか思えない言葉と視線がつらい。ジュリアはがっくりと肩を落として、大きなため息をついた。

(結局、ロベルト様は帰ってこなかった)

 それどころか、いつ領地に戻るのかさえわからないという。
 せめて夫となる人の顔くらいは見ておきたかった。
 まさか、ここまで嫌われているとは……
 いくらジュリアが百戦錬磨ひゃくせんれんまの騎士団長でも、たった一人で結婚式の祭壇に立つのはきつい。
 これは間違いなく、愛人を溺愛しているというクレスト伯爵からのあてつけに違いない。彼はそこまで、自分の存在をうとましく思っているのだ。
 大勢の賓客ひんきゃくのなか、これからたった一人花嫁姿で祭壇の前に立って、司祭の祝福を受けるのだ。

(ああ……恥ずかしいな。望まれない花嫁と公言するのと同じことよね)

 けれども、王家の命令に逆らうことは不可能だ。それが貴族の義務だからだ……その義務が、庶子である自分にまで及んでいるのは、なんだか滑稽こっけいだけれど。

「奥様、どうかなさいましたか?」

 ジュリアの顔色がすぐれないことに侍女が気づく。

「ああ……一人で結婚式を挙げるのかと思うと憂鬱ゆううつで……」

 思わず本音が零れた。そんなジュリアに、侍女が驚いたように大きく目を見開く。

「ええっ。ソフィー様、何も聞いていらっしゃらないのですか?」

 続けて何か言おうとした侍女を、ドアの横に立っていた司祭補助がさえぎった。

「時間です。始まりますので、なかにお入りください」

 目の前の扉が大きく開かれた。大聖堂に、オルガンの美しい音が響き渡る。

「……ソフィー行くぞ」

 扉の向こうで待っていたのは、叔父であるチェルトベリー子爵だ。ジュリアとマークから少し遅れて、この叔父も伯爵領にやって来ていたのだ。ジュリアは、自分をこんな目におとしいれた叔父を睨み付けながら、仕方なく、差し出された手をとる。

「まさか……叔父上と式を挙げるのではないですよね?」

 おどすように、小声で凄んでみせる。

「馬鹿もの。そんなことがあるわけないだろう」

 叔父も小声でやり返してきた。二人とも口元は笑顔を作っているが、視線はバチバチと激しい火花を散らしている。
 この前の趣味の悪いドレスといい、一人で式を挙げる恥辱といい、この叔父とはいつか、こぶしで話をしなければ、と心に誓う。
 叔父に引きずられるようにして、ジュリアは赤い絨毯じゅうたんの上を歩く。周囲に目を向けたジュリアは、結婚式の参列者たちの衣装が見たこともないほど豪華なことに気がついた。

(……あれは、王族の方々?)

 そういえば、扉の横に立っていた近衛は、王宮の制服を着ている。
 こんなところにまで王家の方々が関与しているとは……
 冷や汗をかきつつ、再び祭壇へ視線を向ける。すると、そこに長身の男性が立っているのが目に入った。

(まさか、ロベルト様?)

 式に間に合うように帰って来てくれたのだろうか? もしそうなら、この人が自分の夫となる人なのだろうか? 男性のもとにたどり着き、ドキドキしながらジュリアは立ち止まる。叔父が下がっていった。
 男性がくるりと振り返り、ジュリアを見つめる。

「初めてお目にかかります」

 端整な顔立ちに、優しげな微笑みが浮かぶ。

「花婿が式の前に婚礼衣装を着た花嫁を見ると、縁起が悪いと言われていてね」

 と、男は一度言葉を切ったのち、こう付け加えた。

「事前に挨拶あいさつできずに申し訳ない。急に花婿の代理役を申しつかって、徹夜で駆けてきましてね。先ほど到着したばかりなのです」
「貴方は……?」

 戸惑いがちに聞くジュリアに、彼は親しみのある微笑みを向けた。

「私は、ジョルジュ・ガルバーニ公爵と申します。以後お見知りおきを」

 彼の声は低く、ジュリアの耳に心地よく響く。
 彼はジュリアの目の前にひざまずき、手の甲にそっと口付けを落とした。
 驚くジュリアを見上げ、公爵が口の端にかすかな笑みを浮かべた。
 ――なんて素敵な人なのだろう。
 胸がドキドキと強く波打つ。

「ガルバーニ公爵……」

 自分を見つめる視線にまるで魅入るかのように、ジュリアはじっと彼を見つめ返した。
 彼の立ち居振る舞いは独特で、抑揚よくようのきいた穏やかな言葉の端々には、美しいアクセントがある。
 先ほど到着したばかりだというのに、彼もまた婚礼衣装を着ていた。漆黒の黒い詰めえりに繊細な銀の刺繍ししゅうほどこされているそれは、騎士服にも似ている。そして、それを覆う長いマント。古いデザインだが、とても高級な生地で作られているのがひと目でわかる。
 ジュリアがこれまで見たことがないほど繊細で素晴らしい衣装だった。彼のどこかしら古風で奥ゆかしい雰囲気と、とてもよく合っている。

「何か、おかしいでしょうか?」
「いいえ、その……素敵なお衣装だなと思いまして」

 ふと男の口元に、抑えめな微笑みが浮かんだような気がした。この人は、あまり自分の感情を外に出さないように訓練しているのかもしれない。

「これは、古くから伝わる婚礼衣装なのです」

 婚礼を祝福する音楽が鳴り始めた。耳に心地よく響く彼の声をもっと聞いていたかったのに。

「……貴女は、ほんとうに美しい」

 ジュリアの手を握りしめたまま、ガルバーニ公爵は本気ともお世辞ともつかない言葉をつむぐ。彼の熱い視線は、ずっとジュリアに注がれたままだ。その視線に狼狽うろたえ、ジュリアは思わず床に視線を落とした。こんな眼差しを向けられたことは、今まで一度もない。
 そんな二人に、司祭がためらいがちに声をかける。

「あの……そろそろ手をお離しいただいたほうがよいかと」
「ああ……花嫁があまりにも美しいので我を忘れていた」

 司祭の声を受け、彼は茶化すように言った。
 その声は穏やかなのに、どこか堂々としていて、それでいて晴れやかだ。ジュリアから手を離し、やっと彼は改まった様子で祭壇に向き直った。
 笑うと目尻に少しだけしわができて、それがなんだかかわいらしい。
 彼は、この結婚式のために、徹夜で馬を飛ばして駆けつけてくれたと言う。もし、彼のような人が自分の夫であれば、きっと幸せになれるのだろう。
 けれども、ジュリアの夫はこの人でない。本当の相手は、顔も知らない人物だ。そして、その人にはすでに溺愛している愛人がいる。
 ジュリアの胸は、かすかな痛みを覚えた。自分の心のなかの何かが、悲しそうな声をあげる。しかしジュリアには、それが何かわからなかった。何故なら、ジュリアはまだ一度も、恋をしたことがなかったからだ。

(――この人が、本当の結婚相手だったらよかったのに。この優しそうな人がロベルト様だったらよかったのに)

 運命とはなんと皮肉なのだろう。生まれて初めて心かれた男性と出会った日、ジュリアは他の男の花嫁となったのだった。そしてジュリアはこれから、クレスト伯爵夫人として生きていかねばならないのだ。
 そんな痛みを無視して、ジュリアは彼と同じように祭壇へと向き直った。
 司祭が、結婚の祝福の祝詞のりとを唱え始めた――


       ◇


 結婚式が終わった翌朝のこと。
 すでにチェルトベリー子爵もマークも帰ってしまい、ジュリアは伯爵領に一人残されていた。
 自分のために用意された書斎に今、ジュリアは一人で座っている。目の前には、難しい案件を示す書類の山……
 この屋敷に到着してまだ三日目だというのに、ジュリアが向き合っているのは、領地の問題、領民の問題、三ヶ月前の大規模洪水による作物の生育不良、さらに、そこから発生した疫病えきびょう等々……。問題のオンパレードだ。
 クレスト伯爵領は、もとから洪水が起きやすい場所だという。そのため、頻繁に洪水被害はあるが、今回はかなり規模が大きかったようだ。
 報告書を読めば読むほど、頭が痛くなってくる。子爵領でもこれほどの問題は抱えていなかった。さらにその上、領主不在だ。
 どうしたらよいかとジュリアが思案していると、老執事のトーマスがやってきた。

「奥様、緊急の用とおっしゃる方がお見えになっておりますが」

 本音を言えば、来客に会う余裕などない。急いで対策を取らなければならないことが、たくさんあるのだ。
 しかし執事の顔色から、ジュリアは会ったほうがいいと判断した。

「……いいわ。十五分くらいでしたらお会いできますとお伝えください」
「それでは、こちらにお通ししてもよろしいでしょうか?」

 そうして、書斎に客がやってきた。恰幅かっぷくのいい、頭がはげ上がったその男は、書斎に入るなり単刀たんとう直入ちょくにゅうに切り出した。

「奥様、お貸しした金を返していただきたく。督促とくそくに参りました。三千万ギルダーをすぐにご返済いただきたい」
「はあ?」

 思わずジュリアのが出る。一瞬、地声になってしまった。

「返済期限は、明日になっております」

 そう言って、男は一枚の紙をジュリアに差し出す。「借用書」と書かれた文字が目に入った。

「そのような話は初耳だ……いえ、初耳ですわ」

 我に返ったジュリアは、おしとやかに見えるように言葉を変える。今の自分は騎士団長ではなく、おバカな子爵令嬢のソフィーなのだ。
 今まで女言葉など使ったことがなかったから、油断するとついボロが出る。気をつけなくては。
 この男は、きっと高利貸しだろう。男はジュリアを値踏みするような目でじろじろと、頭のてっぺんからつま先まで眺めた。そして、にやにやと下卑げびた笑いを漏らす。

「旦那様に、今回の遠征で必要な費用をご用立てしておりましてね」

 困惑するジュリアに、脂ぎった中年男はさらににやりと微笑みかけた。どうひいき目に見ても、この男がまともな人間とは思えない。

「それにしても、三千万ギルダーって……」

 ジュリアの背後で、老執事が息を呑む音が伝わってきた。
 クレスト伯爵家にだってそんな大金、あるわけがない。

「まさか、返済できない、なんてことではないでしょう。昨日は、たくさんの王族の方もいらっしゃってましたね。奥様だって、持参金くらいはお持ちでしょうし」
(その持参金が、ほとんどないのだけど……)

 ジュリアの持参金など、三千万ギルダーにはとても及ばない。ハゲタカのような男を前にして、ジュリアはどうしたものか考えあぐねていた。

(ロベルト様本人がいれば、この借用書の真偽を検証できるのになあ)

 三千万ギルダーというのは大金である。どのくらいの大金かというと、小国の軍隊が丸ごと買えるくらいの額だ。
 ジュリアは子爵領で騎士団を指揮していたから、そのくらいはわかる。
 この国では、領地ごとに騎士団を有しており、その運営は基本的に各領地に任されている。ちなみに一部の高位貴族の騎士団は王国直轄だが、チェルトベリー子爵領の騎士団は、当然入っていない。
 ともかくそういうわけで、ジュリアが真っ先に思ったのは、この借用書は偽造ではないか、ということだ。
 できればいつもの自分の話し方で、目の前の男を詰問したい。しかし、さすがにそうもいかないだろう。
 ジュリアは腹をくくって、このまま話をすることに決めた。もしここにマークがいたら、普通の女性のように話す自分を見てきっと爆笑するのだろうな、などと思う。
 ジュリアは、背後に立っている老執事を振り返った。

「ねえトーマス、ロベルト様は、何名くらい連れて遠征に出られたの?」
「おおよそ、三百名くらいかと存じます」
「そのうち、こちらで費用を負担しなければならない傭兵ようへいは何人くらい?」
「そうですね、百名くらいかと」
(ふーん。傭兵ようへいの平均の賃金が一人一日三十ギルダーくらいだから、百人分で、一日あたり三千ギルダーか)
「遠征は、何日くらいの予定だったの?」
「六十日程度かと思いますが」
「それじゃ、一日三千ギルダーで六十日分ね。そうすると、十八万ギルダーくらいかしらね」

 ざっと暗算をして言う。

「奥様は、算術もおできになるんですか?」
「ええ。ごく普通のことだと思うけど?」
傭兵ようへいは一人一日三十ギルダーくらいなのですか?」
「……そうね。まあ、値段はばらつきがあるけど、大体そのくらいの値段だと思うわ」

 そう言った途端、金貸しの顔色が悪くなったのをジュリアは見逃さなかった。

(……なるほどね)

 これは、当主不在を狙った詐欺さぎだろう。もしくは、借入金額を水増ししているのかもしれない。返済期限が明日というのも、きっと嘘に決まっている。急に決まった結婚式の翌々日が返済期限だなんて、あまりにも都合がよすぎるというものだ。そもそも、遠征中に返済期限を設定する領主などいるわけがない。
 ジュリアは厳しい目で、目の前の男を見つめた。

「旦那様は、今回の遠征費用としてお金を借りたと言いましたね?」
「は、はいっ、そうでございます」

 金貸しの顔色がさらに悪くなっている。偽造した金額は大金のくせに、結構、この男は小心者らしい。

「ねぇ、トーマス」

 ジュリアは、わざと甘い声で老執事を呼んだ。

「そうだとすると、どう転んでも二十万ギルダーか三十万ギルダーくらいの金額にならない? それを三千万ギルダーって、おかしくないかしら?」
「はい、奥様。おっしゃる通りでございます」

 老執事がまさしくその通りだと言わんばかりに、相づちを打つ。

「私、いろいろと忙しいの。今ここでこの借用書を精査している時間はないから、検察局の長官に借用書の照会をお願いしてもいいかしら?」
「奥様、昨日の結婚式にいらっしゃっておりましたから、話は容易につくかと存じます」
「あら、それは素敵ね」

 それを聞いた金貸しの男はますます青ざめ、汗をかき始めている。ひたいからぽたぽたとしたたっているようで、しきりに手ぬぐいで拭いていた。

「ところでトーマス」
「はい、奥様」
「この地方では、詐欺さぎとか、文書偽造の刑罰はどのくらいなの?」
「そうですね。金額にもよりますが、地下牢に三年から五年くらいの拘禁こうきんでしょうか?」
拘禁こうきんだけ? 強制労働とか、むち打ちなどはないの?」
「奥様が決めてよろしゅうございますよ。ご領主様の奥方様なのですから」
「そう」

 ジュリアは金貸しに向かってにっこりと微笑んでみせる。しかしその目は、全く笑っていなかった。騎士団長としてつちかったオーラを活用することも忘れない。無言の威圧は、とても恐ろしいと騎士団でも有名だったのだ。

「もし、これが偽装だった場合、手の一本くらいは切り落とそうと思うのだけど、どう思う?」
「ひっ……、お、奥様……」
「私、禁固刑とか、むち打ちとか、生ぬるい処罰は嫌いなの。どうせなら、血を見たいわ」

 にやりと、残忍な笑みを口元に浮かべてやると、金貸しはガタガタ震え始めた。

「なんでも奥様のお好きなようになさってよろしいかと存じます。ご主人様不在の折は、奥様に全権がございますから」

 丁寧な執事の答えに、ジュリアは無言で頷く。そして威厳を込めて、金貸しの男をじっと見据えた。

「クレスト伯爵家をめたらただじゃおかないわ」

 ジュリアのおどしは覿面てきめんの効果を発揮したようで、男は青ざめながら、広げていた書類をバタバタと集めた。

「お、お、奥様……この借用書ですが、何かの手違いがあったかもしれません。再度、確認させていただき、出直してもよろしいでしょうか……」
「あら……旦那様には、貴方のことも報告しておくわ。せっかくお越しくださったのに、出直させることになってしまって申し訳ないわね」

 ジュリアの嫌味は、金貸しを直撃したようだ。
 慌てて立ち上がる男を見ながら、ジュリアは執事に命じる。

「トーマス、お客様のお見送りを」
「かしこまりました。奥様」
(ああ、やっぱり詐欺さぎだったんだ)

 バタバタと立ち去る男の後ろ姿を見送っていると、開いた扉からガルバーニ公爵が姿を現した。
 結婚式を終えたあと、彼はクレスト伯爵邸に賓客ひんきゃくとして泊まっていたのだ。ジュリアが落ち着くまで、しばらく滞在するという。

あやしげな男が慌てて出て行きましたが、何か問題でも?」

 控えめな言葉遣いでも、彼がとても頭のいい人であると、ジュリアにはわかっていた。適当なごまかしは、きっと、この人には通用しない。

「ああ、どうも、金貸し詐欺さぎのようでしたわ」


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