偽りの花嫁は貴公子の腕の中に落ちる

中村まり

文字の大きさ
90 / 105
第二部 婚約者編 女伯爵の華麗なる行動

プロローグ

しおりを挟む
チェルトベリー子爵領があるグランドール王国の北西側に、その国、ブロージアはある。

その日、グランドールとブロージアにある国境付近、つまりブロージア王国の南の農地では、農夫が畑仕事に精を出している所だった。春の気配を感じる晩冬とも、初春ともつかない季節、空はまだ冬の名残を残している。農夫は、霜まじりの土を丁寧に耕そうと鍬を握っていた。麦の植え付けの準備をしているのだ。

ざくざくと土を掘り返し、作物が育ちやすいように地面を柔らかく耕す。まだ空気は冷たく、吐き出した息は白く凍る。

男は少しばかり疲労を感じて、ふと作業の手をとめ、鍬を片手に空を見上げた。その視線の遠い先には、高い山脈がそびえ、山の頂にはまだ名残雪が残っている。その山の向こうには、グランドール王国があるのだ。

グランドールと国交は断絶されたのは、男が生まれるよりずっと遙か前、数百年前にまで遡る。その時から、国境付近には、ブロージアの魔術師が張り巡らせた結界がそびえたち、何者も行き来することができないようになっているのだ。

その結界は、薄いシャボン玉のような色を反射しながら、まるでオーロラのように空から地面へと続く。

隣で作業していた農夫の息子も疲れたのか、ふと作業の手をとめ、ぼんやりと結界を眺めている父に話しかけた。

「あの結界、向こうの国から誰も来れないように作ったんだろ?」

「ああ、そうさ」

「いつくらいから、あれはあるんだろ」

今更ながらの質問だったが、結界がそこにあることに慣れきってしまい、息子は考えたこともなかったのだろうと、農夫は思う。

「そうさな、何百年前から、あれ・・・はあそこにあったさ」

それは何百年も前の時代にまで遡る。人々の間でぽつりぽつりと魔力が使えるものが出始めた頃の話だ。

しかし、魔力と言っても、彼らが使う魔力はほんの些細なものばかりである。蒔の着火のために、ほんの少し炎が出せるとか、その程度であった。

グランドールの教会は、魔力を持つ人間を異端として厳しく弾圧した。さらに、グランドールの教会は、異端を忌み嫌い、何が何でも絶滅しようとグランドールの王族へと働きかけたそうだ。

その頃は、ブロージアとグランドールは、まだ国交があったと農夫は聞く。

ブロージアは極寒の地だ。労働力が常に慢性的に不足していたこともあって、グランドールから逃げてくる人々を快く受け入れていた。処刑を免れた人間の報復を恐れ、グランドールの教会はさらに異端を厳しく追及する。

その手は国を超えて、ブロージアにまで及んだ。もちろん、それをブロージアの王族はそれを激しく拒んだ。他国の教会の権力下に置かれるなど、ブロージアにとっては屈辱的なことだったのだろう。

グランドールは魔力を持つ物を忌み嫌い、ブロージアは貴重な労働力を確保したい。

結局、すったもんだの交渉の結果、二つの国は相反する利益のために、国交を断絶することにしたのである。その後、ブロージアには魔力を持つ人間が突出はじめ、魔道師なるものが存在することになった。

もともと魔力の素養のあるもの同士が、交配した結果なのか、他の原因があるのは不明だが、とにかく今では、ブロージアには、魔力をつかう呪師まじないしが定着する文化へと発展した。

そんな昔話を農夫は息子に語ってやっていた。

「じゃあ、あの結界はその時からあるんだね」

息子が向けた視線の先、遠く見える山の手前には、前の宮廷魔道師が張った結界がカーテンのように国境線を護っていた。

「そうさな」

「あんなの作るの大事おおごとさね」

以前、この結界が張り直されたのはいつのことだったか、よく覚えていない。ただ、時折、結界を張り直す作業が必要なことは、農夫も知っていた。

そんなことを考えながら、二人は手を止めて遙か向こうに広がる結界を眺めていたが、それが突然ゆらゆらと揺れ始めた。

「父さん、あの結界、何かおかしくないか?」

息子が怪訝な声を出している。

「ああ、なんか変だな」

そのまま眺めていると、ゆらゆらと揺れていた結界が突然、緩み始め、所々、裂け始めていた。

「・・・結界が消えかかってるなんてことないよな?」

「まさか。そんなことあるめえ」

「いんや、父さん、ほら、だって、あれ・・・」

息子が指さした部分をみると、確かに結界に亀裂が走っていた。

そして、二人が見ていると、結界全体がブルブルと振動しはじめ、そして、瞬く間に ──

── 跡形もなく消えた。

「なんてこった。結界が消えた」

「・・・け、結界が・・・」

息子は腰を抜かすほど驚き、農夫は、大変な事態になったと顔を蒼白にして、息子を振り返る。

「大変だ。村長を呼びにいってくる。お前は家に帰って、母さんと一緒にいろ」

農夫そう言い放って、鍬を放り出して、慌てて村長の家に走った。男が村長の家に向う途中、他の村人も当然ながら異変に気がついていた。

「結界が、結界が消えたぞ」

農夫は村長に結界が消えたことを伝え、村長は、国の文官へと伝書鳩を飛ばす。ブロージアは魔法の国なので、鳩はあっと言う間に、国の中央へと到達した。ブロージア王国の中央省。ブロージア王国の権力の中枢へ。

「あれは・・・緊急連絡用の鳩ではないのか?」

白いローブを着た文官がそれに気づき、鳩をそっと招き入れる。

壮麗な宮廷の窓に見慣れぬ鳩がやってきたことに、文官は眉を顰めながら手紙を取り出した。こんな形で鳩が来たことはよほどの緊急事態か。

文官は、丁寧に折りたたまれた文を開き、素速く目を通す。そして、次の瞬間、血相を変えて、大声で部下を呼んだ。

「結界が消えたそうだ! 至急、緊急部隊を発令しろ。国王と外務大臣に結界が消えたと伝えろ。

のんびりしたブロージアの宮廷もにわかに慌ただしくなり、国をあげての一大事に、文官、武官ともに蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていることを、グランドールの人間達はまだ知らなかった。



しおりを挟む
感想 901

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。