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第11話 雨の日の二人
〇
朝から谷は厚い雲に覆われ、やがて大粒の雨が屋根を叩き始めた。畑に出ることもできず、クラリッサは窓辺に腰かけて外を眺めていた。畝の間に小さな川のような水が走り、昨日まで誇らしげに広がっていた若葉が雨に打たれて揺れている。
「……大丈夫かしら。根が浮いてしまわないといいけれど」
不安を口にすると、背後から低い声が返る。
「心配するな。土は思ったより強い」
振り向けば、ライナルトが立っていた。鎧ではなく厚手のシャツ姿で、濡れた外套を片手に提げている。雨の中を巡回してきたらしく、肩口には水滴が残っていた。
「こんな雨の中、外へ?」
「兵の様子を見てきた。水路が溢れぬように監視している」
クラリッサは胸が締め付けられた。彼は常に誰かを守ろうとし、自分の身を顧みない。だが今は畑にも出られず、二人で過ごす静かな時間が流れている。雨音が屋敷を包み込み、外の世界を切り離していた。
「……せっかくですから、一緒に料理をしませんか?」
クラリッサの提案に、ライナルトは眉を上げた。
「俺が?」
「はい。雨の日に外へ出られないのなら、台所で過ごすのも悪くありません」
△
台所には薪の火が燃え、温かな空気が満ちていた。クラリッサは籠から野菜を取り出し、包丁を手に取る。ライナルトは大鍋の前に立ち、不器用に玉ねぎを刻もうとする。
「……殿様、指まで切ってしまいますよ」
「料理は苦手だ。だが挑戦はしてみる」
真剣な顔で玉ねぎと格闘する彼の姿に、クラリッサは思わず笑みをこぼす。戦場で剣を振るう武人が、涙を流しながら玉ねぎに悪戦苦闘している光景は、どこか微笑ましかった。
「切るのではなく、包むように押さえて……そうです。上手です」
手を添えて教えると、ライナルトはぎこちなくも少しずつ形を整えた。やがて鍋に放り込まれた玉ねぎが香りを立て、雨音と重なって心地よいリズムを生む。
二人で野菜を煮込み、ハーブを加えると、部屋いっぱいに柔らかな匂いが広がった。
「こんなふうに一緒に料理をするなんて、王都では考えられませんでした」
「貴族は手を汚さないのだろう」
「ええ。でも……今はその手が、とても頼もしく見えます」
ライナルトの耳が赤く染まり、彼は視線を逸らした。
◇
出来上がったスープを椀に注ぎ、二人で食卓に並んで腰を下ろす。雨音がまだ強く響いているが、室内の温もりがそれを忘れさせるほど心地よい。
一口すすると、玉ねぎの甘みとハーブの香りが広がった。クラリッサは目を見開き、微笑む。
「……おいしいです」
「俺の切った玉ねぎも役に立ったか」
「もちろんです。これからは時々、お手伝いしていただけますか?」
「……考えておこう」
素っ気ない言葉だが、その口元には確かな笑みが浮かんでいた。
窓の外では雷が遠くに鳴り、雨脚は弱まる気配を見せない。クラリッサは椀を置き、しばし黙って雨を眺めた。
「雨の日も悪くありませんね。こうして、ゆっくり過ごせるのですから」
「俺も……悪くないと思う」
ライナルトが不器用に言葉を紡ぎ、二人の間に温かな沈黙が流れた。雨はやがて止むだろう。けれど今日という一日は、二人にとって特別な記憶として残る――クラリッサはそう確信していた。
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朝から谷は厚い雲に覆われ、やがて大粒の雨が屋根を叩き始めた。畑に出ることもできず、クラリッサは窓辺に腰かけて外を眺めていた。畝の間に小さな川のような水が走り、昨日まで誇らしげに広がっていた若葉が雨に打たれて揺れている。
「……大丈夫かしら。根が浮いてしまわないといいけれど」
不安を口にすると、背後から低い声が返る。
「心配するな。土は思ったより強い」
振り向けば、ライナルトが立っていた。鎧ではなく厚手のシャツ姿で、濡れた外套を片手に提げている。雨の中を巡回してきたらしく、肩口には水滴が残っていた。
「こんな雨の中、外へ?」
「兵の様子を見てきた。水路が溢れぬように監視している」
クラリッサは胸が締め付けられた。彼は常に誰かを守ろうとし、自分の身を顧みない。だが今は畑にも出られず、二人で過ごす静かな時間が流れている。雨音が屋敷を包み込み、外の世界を切り離していた。
「……せっかくですから、一緒に料理をしませんか?」
クラリッサの提案に、ライナルトは眉を上げた。
「俺が?」
「はい。雨の日に外へ出られないのなら、台所で過ごすのも悪くありません」
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台所には薪の火が燃え、温かな空気が満ちていた。クラリッサは籠から野菜を取り出し、包丁を手に取る。ライナルトは大鍋の前に立ち、不器用に玉ねぎを刻もうとする。
「……殿様、指まで切ってしまいますよ」
「料理は苦手だ。だが挑戦はしてみる」
真剣な顔で玉ねぎと格闘する彼の姿に、クラリッサは思わず笑みをこぼす。戦場で剣を振るう武人が、涙を流しながら玉ねぎに悪戦苦闘している光景は、どこか微笑ましかった。
「切るのではなく、包むように押さえて……そうです。上手です」
手を添えて教えると、ライナルトはぎこちなくも少しずつ形を整えた。やがて鍋に放り込まれた玉ねぎが香りを立て、雨音と重なって心地よいリズムを生む。
二人で野菜を煮込み、ハーブを加えると、部屋いっぱいに柔らかな匂いが広がった。
「こんなふうに一緒に料理をするなんて、王都では考えられませんでした」
「貴族は手を汚さないのだろう」
「ええ。でも……今はその手が、とても頼もしく見えます」
ライナルトの耳が赤く染まり、彼は視線を逸らした。
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出来上がったスープを椀に注ぎ、二人で食卓に並んで腰を下ろす。雨音がまだ強く響いているが、室内の温もりがそれを忘れさせるほど心地よい。
一口すすると、玉ねぎの甘みとハーブの香りが広がった。クラリッサは目を見開き、微笑む。
「……おいしいです」
「俺の切った玉ねぎも役に立ったか」
「もちろんです。これからは時々、お手伝いしていただけますか?」
「……考えておこう」
素っ気ない言葉だが、その口元には確かな笑みが浮かんでいた。
窓の外では雷が遠くに鳴り、雨脚は弱まる気配を見せない。クラリッサは椀を置き、しばし黙って雨を眺めた。
「雨の日も悪くありませんね。こうして、ゆっくり過ごせるのですから」
「俺も……悪くないと思う」
ライナルトが不器用に言葉を紡ぎ、二人の間に温かな沈黙が流れた。雨はやがて止むだろう。けれど今日という一日は、二人にとって特別な記憶として残る――クラリッサはそう確信していた。
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