4 / 6
4
しおりを挟む
第4話 過去との再会
〇
その日、村の朝はいつも通りに始まった。パンの焼き上がりを待つ子どもたちの声、牛を追う農夫の足音、窯から漂う香ばしい匂い──すべてが穏やかで、もうこれが日常なのだと錯覚しそうになるほどだった。私は棚に丸パンを並べながら、無意識に鼻歌を口ずさんでいた。
「リディア奥さん、今日も元気そうだな」
村人の笑い声に返事をしながら、私は頬が熱くなるのを抑えられなかった。奥さん呼びに慣れてしまうのは危険だと分かっているのに、胸の奥がほんのり甘く疼く。そんな時、外から馬の蹄の音が近づいてきた。
普段この村では滅多に聞かない、鋭く速い響き。私は胸騒ぎを覚え、手を止めて顔を上げた。窓の外を、見慣れぬ紋章を掲げた数頭の馬が通り過ぎていく。銀と赤の組み合わせ──それは王都の使者を示す紋章だった。
「……どうして、こんな辺境に」
呟いた声を、カイが聞き逃すはずもなかった。窯の火を整えていた彼は、ゆるやかに顔を上げ、短く言った。
「客だ。出るぞ」
△
扉を押し開けると、そこには数人の兵士と役人、それに見覚えのある顔があった。かつての社交界で私を嘲笑した令嬢、マリアンヌだ。華美な羽飾りの帽子を傾け、わざとらしく口元を歪めてみせる。
「まあ……これは驚き。断罪された悪女が、こんな場所でパン屋のおかみさんごっことは」
村人たちがざわつく。私は息を呑み、背筋を伸ばした。震える心を悟られまいと、必死で微笑みを作る。
「……ここで働かせてもらっているだけです」
「働かせてもらって、ねえ。さすが落ちぶれた令嬢。王都の舞踏会で嘲笑を浴びせられるのも当然だわ」
言葉の刃が胸を裂く。昔の自分なら泣き崩れていたかもしれない。だが今は違う。私は窯の熱と粉の香りに包まれた日々を思い出す。ここで得た笑顔は、決して偽物ではない。
だが、口を開こうとした瞬間、私よりも先にカイが一歩前へ出た。
「彼女は俺の妻だ」
低い声が、村人のざわめきを一瞬で静めた。マリアンヌの笑みが凍りつく。
「な、何を……」
「この村で彼女は俺と共に店を切り盛りし、村人に愛されている。それを嘲るなら、俺を嘲れ」
冷然とした言葉に、兵士たちすら目を逸らした。村人が口々に声を上げる。
「奥さんは立派に働いてる!」
「パンはこの村の誇りだ!」
その声援が、私の震える足を支えてくれた。胸の奥で、熱いものが込み上げる。
◇
役人とマリアンヌ一行は、不快そうに鼻を鳴らして去っていった。村人たちは残り、私に次々と声をかける。
「気にするな、奥さん。俺たちの仲間だ」
「そうだそうだ、あんな連中より、ここで笑っててくれ」
涙が滲む。こんなに温かい言葉をかけられる日が来るとは思わなかった。
「……ありがとうございます」
震える声で返すと、カイが横で静かに頷いた。その眼差しには揺るぎないものが宿っている。私は気づいた。自分が背負ってきた断罪の烙印は、ここではただの影でしかない。
夜、窯の火を落としたあと、私はカイに向き直った。
「どうして、あの時……私を妻だと」
「真実だからだ」
短い答えに、胸が跳ねる。心臓の鼓動が耳に響くほど大きくなる。けれど、それ以上言葉を続けられなかった。
窓の外には辺境の夜空が広がっていた。無数の星々が瞬き、まるで私を祝福するかのように輝いている。私は毛布を抱きしめながら、心の奥で確かに芽生えた感情を認めざるを得なかった。
──私はもう、ただの“断罪された令嬢”ではない。ここで、確かに生きているのだ。
〇
その日、村の朝はいつも通りに始まった。パンの焼き上がりを待つ子どもたちの声、牛を追う農夫の足音、窯から漂う香ばしい匂い──すべてが穏やかで、もうこれが日常なのだと錯覚しそうになるほどだった。私は棚に丸パンを並べながら、無意識に鼻歌を口ずさんでいた。
「リディア奥さん、今日も元気そうだな」
村人の笑い声に返事をしながら、私は頬が熱くなるのを抑えられなかった。奥さん呼びに慣れてしまうのは危険だと分かっているのに、胸の奥がほんのり甘く疼く。そんな時、外から馬の蹄の音が近づいてきた。
普段この村では滅多に聞かない、鋭く速い響き。私は胸騒ぎを覚え、手を止めて顔を上げた。窓の外を、見慣れぬ紋章を掲げた数頭の馬が通り過ぎていく。銀と赤の組み合わせ──それは王都の使者を示す紋章だった。
「……どうして、こんな辺境に」
呟いた声を、カイが聞き逃すはずもなかった。窯の火を整えていた彼は、ゆるやかに顔を上げ、短く言った。
「客だ。出るぞ」
△
扉を押し開けると、そこには数人の兵士と役人、それに見覚えのある顔があった。かつての社交界で私を嘲笑した令嬢、マリアンヌだ。華美な羽飾りの帽子を傾け、わざとらしく口元を歪めてみせる。
「まあ……これは驚き。断罪された悪女が、こんな場所でパン屋のおかみさんごっことは」
村人たちがざわつく。私は息を呑み、背筋を伸ばした。震える心を悟られまいと、必死で微笑みを作る。
「……ここで働かせてもらっているだけです」
「働かせてもらって、ねえ。さすが落ちぶれた令嬢。王都の舞踏会で嘲笑を浴びせられるのも当然だわ」
言葉の刃が胸を裂く。昔の自分なら泣き崩れていたかもしれない。だが今は違う。私は窯の熱と粉の香りに包まれた日々を思い出す。ここで得た笑顔は、決して偽物ではない。
だが、口を開こうとした瞬間、私よりも先にカイが一歩前へ出た。
「彼女は俺の妻だ」
低い声が、村人のざわめきを一瞬で静めた。マリアンヌの笑みが凍りつく。
「な、何を……」
「この村で彼女は俺と共に店を切り盛りし、村人に愛されている。それを嘲るなら、俺を嘲れ」
冷然とした言葉に、兵士たちすら目を逸らした。村人が口々に声を上げる。
「奥さんは立派に働いてる!」
「パンはこの村の誇りだ!」
その声援が、私の震える足を支えてくれた。胸の奥で、熱いものが込み上げる。
◇
役人とマリアンヌ一行は、不快そうに鼻を鳴らして去っていった。村人たちは残り、私に次々と声をかける。
「気にするな、奥さん。俺たちの仲間だ」
「そうだそうだ、あんな連中より、ここで笑っててくれ」
涙が滲む。こんなに温かい言葉をかけられる日が来るとは思わなかった。
「……ありがとうございます」
震える声で返すと、カイが横で静かに頷いた。その眼差しには揺るぎないものが宿っている。私は気づいた。自分が背負ってきた断罪の烙印は、ここではただの影でしかない。
夜、窯の火を落としたあと、私はカイに向き直った。
「どうして、あの時……私を妻だと」
「真実だからだ」
短い答えに、胸が跳ねる。心臓の鼓動が耳に響くほど大きくなる。けれど、それ以上言葉を続けられなかった。
窓の外には辺境の夜空が広がっていた。無数の星々が瞬き、まるで私を祝福するかのように輝いている。私は毛布を抱きしめながら、心の奥で確かに芽生えた感情を認めざるを得なかった。
──私はもう、ただの“断罪された令嬢”ではない。ここで、確かに生きているのだ。
120
あなたにおすすめの小説
聖女追放された私ですが、追放先で開いたパン屋が大繁盛し、気づけば辺境伯様と宰相様と竜王が常連です
さら
恋愛
聖女として仕えていた少女セラは、陰謀により「力を失った」と断じられ、王都を追放される。行き着いた辺境の小さな村で、彼女は唯一の特技である「パン作り」を生かして小さな店を始める。祈りと癒しの力がわずかに宿ったパンは、人々の疲れを和らげ、心を温める不思議な力を持っていた。
やがて、村を治める厳格な辺境伯が常連となり、兵士たちの士気をも支える存在となる。続いて王都の切れ者宰相が訪れ、理屈を超える癒しの力に驚愕し、政治的な価値すら見出してしまう。そしてついには、黒曜石の鱗を持つ竜王がセラのパンを食べ、その力を認めて庇護を約束する。
追放されたはずの彼女の小さなパン屋は、辺境伯・宰相・竜王が並んで通う奇跡の店へと変わり、村は国中に名を知られるほどに繁栄していく。しかし同時に、王都の教会や貴族たちはその存在を脅威とみなし、刺客を放って村を襲撃する。だが辺境伯の剣と宰相の知略、竜王の咆哮によって、セラと村は守られるのだった。
人と竜を魅了したパン屋の娘――セラは、三人の大国の要人たちに次々と想いを寄せられながらも、ただ一つの答えを胸に抱く。
「私はただ、パンを焼き続けたい」
追放された聖女の新たな人生は、香ばしい香りとともに世界を変えていく。
貧乏人とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の英雄と結婚しました
ゆっこ
恋愛
――あの日、私は確かに笑われた。
「貧乏人とでも結婚すれば? 君にはそれくらいがお似合いだ」
王太子であるエドワード殿下の冷たい言葉が、まるで氷の刃のように胸に突き刺さった。
その場には取り巻きの貴族令嬢たちがいて、皆そろって私を見下ろし、くすくすと笑っていた。
――婚約破棄。
余命僅かな大富豪を看取って、円満に未亡人になるはずでした
ぜんだ 夕里
恋愛
傾きかけた家を救うため、私が結んだのはあまりにも不謹慎な契約――余命いくばくもない大富豪の辺境伯様と結婚し、彼の最期を穏やかに看取ることで莫大な遺産を相続する、というものだった。
しかし、人の死を利用して富を得るなど不正義!
そう考えた私が立てたのは、前代未聞の計画。
「そうだ、遺産が残らないくらい贅沢の限りを尽くしてもらえば、すべて丸く収まるじゃない!」
頭頂部に薔薇の棘が刺さりまして
犬野きらり
恋愛
第二王子のお茶会に参加して、どうにかアピールをしようと、王子の近くの場所を確保しようとして、転倒。
王家の薔薇に突っ込んで転んでしまった。髪の毛に引っ掛かる薔薇の枝に棘。
失態の恥ずかしさと熱と痛みで、私が寝込めば、初めましての小さき者の姿が見えるようになり…
この薔薇を育てた人は!?
婚約破棄された際もらった慰謝料で田舎の土地を買い農家になった元貴族令嬢、野菜を買いにきたベジタリアン第三王子に求婚される
さら
恋愛
婚約破棄された元伯爵令嬢クラリス。
慰謝料代わりに受け取った金で田舎の小さな土地を買い、農業を始めることに。泥にまみれて種を撒き、水をやり、必死に生きる日々。貴族の煌びやかな日々は失ったけれど、土と共に過ごす穏やかな時間が、彼女に新しい幸せをくれる――はずだった。
だがある日、畑に現れたのは野菜好きで有名な第三王子レオニール。
「この野菜は……他とは違う。僕は、あなたが欲しい」
そう言って真剣な瞳で求婚してきて!?
王妃も兄王子たちも立ちはだかる。
「身分違いの恋」なんて笑われても、二人の気持ちは揺るがない。荒れ地を畑に変えるように、愛もまた努力で実を結ぶのか――。
聖女の座を追われた私は田舎で畑を耕すつもりが、辺境伯様に「君は畑担当ね」と強引に任命されました
さら
恋愛
王都で“聖女”として人々を癒やし続けてきたリーネ。だが「加護が弱まった」と政争の口実にされ、無慈悲に追放されてしまう。行き場を失った彼女が選んだのは、幼い頃からの夢――のんびり畑を耕す暮らしだった。
ところが辺境の村にたどり着いた途端、無骨で豪胆な領主・辺境伯に「君は畑担当だ」と強引に任命されてしまう。荒れ果てた土地、困窮する領民たち、そして王都から伸びる陰謀の影。追放されたはずの聖女は、鍬を握り、祈りを土に注ぐことで再び人々に希望を芽吹かせていく。
「畑担当の聖女さま」と呼ばれながら笑顔を取り戻していくリーネ。そして彼女を真っ直ぐに支える辺境伯との距離も、少しずつ近づいて……?
畑から始まるスローライフと、不器用な辺境伯との恋。追放された聖女が見つけた本当の居場所は、王都の玉座ではなく、土と緑と温かな人々に囲まれた辺境の畑だった――。
【完結】婚約破棄されたら、呪いが解けました
あきゅう
恋愛
人質として他国へ送られた王女ルルベルは、その国の人たちに虐げられ、婚約者の王子からも酷い扱いを受けていた。
この物語は、そんな王女が幸せを掴むまでのお話。
破棄ですか?私は構いませんよ?
satomi
恋愛
なんだかよくわからない理由で王太子に婚約破棄をされたミシェル=オーグ公爵令嬢。王太子のヴレイヴ=クロム様はこの婚約破棄を国王・王妃には言ってないらしく、サプライズで敢行するらしい。サプライズ過ぎです。
その後のミシェルは…というかオーグ家は…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる