6 / 6
6
しおりを挟む
第6話 ほんとうの「パン屋の奥さん」へ
〇
盗賊騒ぎが収まった翌朝、村は不思議なほどに静かだった。夜を徹しての見張りと片付けで皆疲れているのだろう。だが窯の中では、いつも通り生地が膨らみ、焼き色がつき始めていた。パン屋の朝は止まらない。
私は汗を拭きながら棚に並べる。昨日の恐怖と興奮がまだ体の奥に残っている。短剣を握った手の震え、村人たちにかけられた誇らしい言葉、そして──カイの低い声。
「……お前がここにいることを、俺は誇りに思う」
あの一言が、何度も胸の奥で反響していた。断罪され、居場所を失った私に、誇りだと。思い出すだけで目頭が熱くなる。
「リディア、手を止めるな。客が来る」
「は、はい!」
カイに声をかけられ、私は慌ててパンを並べ直す。窯の熱で火照る頬を誤魔化しながら、店先の戸を開いた。朝の光に照らされた村人たちの顔は、どこか昨日よりも一層あたたかい笑みに満ちていた。
「奥さん、よくやったな!」
「盗賊相手に怯まなかったって聞いたよ!」
口々にかけられる声に、私は俯きそうになる。だがその肩を、カイが大きな手で支えてくれた。その温もりに、私は微笑みを返すことができた。
△
昼下がり、店の喧騒がひと段落した頃。私は店の奥で粉袋を片付けていた。カイの足音が近づく。
「リディア」
「はい?」
振り向くと、彼はまっすぐこちらを見つめていた。灰色の瞳が炎のように揺れ、けれど決して乱れない。
「昨日の夜、言いかけたことがある」
心臓が跳ねた。私は知らず知らずのうちに手を止め、粉のついた指を胸の前で組む。
「俺は……ずっと一人でこの村を見てきた。領主としてではなく、ただのパン屋として。腹を満たすことが何より人を守ると信じてきた」
その言葉の奥に、彼が背負ってきた孤独が透けて見えた。貴族としての責務と、辺境を守る使命。それを隠しながら村に身を置いていたのだ。
「けれど、今は違う。お前がいて、初めてこの場所が温かくなった。……リディア、俺の妻になってくれ」
世界が止まったように感じた。窯の余熱が頬を撫でる。胸の奥に重ねてきた不安や恐れが、波のように引いていく。
「……私で、いいのですか。断罪され、何も持たない私で」
「俺には、お前が必要だ」
たった一言が、涙腺を決壊させた。私は震える手で口元を押さえ、必死に頷いた。
「はい……私も、あなたと生きたい」
◇
夕刻、村人たちを集めて小さな宴が開かれた。広場に並べられた机には焼きたてのパンや煮込み料理が並び、笑い声と歌が響く。子どもたちは走り回り、老人は酒を掲げる。
「おめでとう、奥さん!」
「いや、もう立派な公爵夫人じゃないか!」
からかい混じりの祝福に、私は頬を赤くしながら笑った。けれど心は不思議と軽い。奥さんと呼ばれることに、もう迷いはなかった。
広場の片隅で、カイが私の手を握る。その大きな手は、これからの日々を共に歩む確かな証のように思えた。
「リディア。……これからも、二人でパンを焼こう」
「はい。二人で」
夜空に星が瞬き始める。窯から漂う小麦の香りに包まれながら、私は心からの微笑みを浮かべた。
──断罪された令嬢ではなく、ただの“パン屋の奥さん”として。ここが私の居場所なのだ。
終わり
〇
盗賊騒ぎが収まった翌朝、村は不思議なほどに静かだった。夜を徹しての見張りと片付けで皆疲れているのだろう。だが窯の中では、いつも通り生地が膨らみ、焼き色がつき始めていた。パン屋の朝は止まらない。
私は汗を拭きながら棚に並べる。昨日の恐怖と興奮がまだ体の奥に残っている。短剣を握った手の震え、村人たちにかけられた誇らしい言葉、そして──カイの低い声。
「……お前がここにいることを、俺は誇りに思う」
あの一言が、何度も胸の奥で反響していた。断罪され、居場所を失った私に、誇りだと。思い出すだけで目頭が熱くなる。
「リディア、手を止めるな。客が来る」
「は、はい!」
カイに声をかけられ、私は慌ててパンを並べ直す。窯の熱で火照る頬を誤魔化しながら、店先の戸を開いた。朝の光に照らされた村人たちの顔は、どこか昨日よりも一層あたたかい笑みに満ちていた。
「奥さん、よくやったな!」
「盗賊相手に怯まなかったって聞いたよ!」
口々にかけられる声に、私は俯きそうになる。だがその肩を、カイが大きな手で支えてくれた。その温もりに、私は微笑みを返すことができた。
△
昼下がり、店の喧騒がひと段落した頃。私は店の奥で粉袋を片付けていた。カイの足音が近づく。
「リディア」
「はい?」
振り向くと、彼はまっすぐこちらを見つめていた。灰色の瞳が炎のように揺れ、けれど決して乱れない。
「昨日の夜、言いかけたことがある」
心臓が跳ねた。私は知らず知らずのうちに手を止め、粉のついた指を胸の前で組む。
「俺は……ずっと一人でこの村を見てきた。領主としてではなく、ただのパン屋として。腹を満たすことが何より人を守ると信じてきた」
その言葉の奥に、彼が背負ってきた孤独が透けて見えた。貴族としての責務と、辺境を守る使命。それを隠しながら村に身を置いていたのだ。
「けれど、今は違う。お前がいて、初めてこの場所が温かくなった。……リディア、俺の妻になってくれ」
世界が止まったように感じた。窯の余熱が頬を撫でる。胸の奥に重ねてきた不安や恐れが、波のように引いていく。
「……私で、いいのですか。断罪され、何も持たない私で」
「俺には、お前が必要だ」
たった一言が、涙腺を決壊させた。私は震える手で口元を押さえ、必死に頷いた。
「はい……私も、あなたと生きたい」
◇
夕刻、村人たちを集めて小さな宴が開かれた。広場に並べられた机には焼きたてのパンや煮込み料理が並び、笑い声と歌が響く。子どもたちは走り回り、老人は酒を掲げる。
「おめでとう、奥さん!」
「いや、もう立派な公爵夫人じゃないか!」
からかい混じりの祝福に、私は頬を赤くしながら笑った。けれど心は不思議と軽い。奥さんと呼ばれることに、もう迷いはなかった。
広場の片隅で、カイが私の手を握る。その大きな手は、これからの日々を共に歩む確かな証のように思えた。
「リディア。……これからも、二人でパンを焼こう」
「はい。二人で」
夜空に星が瞬き始める。窯から漂う小麦の香りに包まれながら、私は心からの微笑みを浮かべた。
──断罪された令嬢ではなく、ただの“パン屋の奥さん”として。ここが私の居場所なのだ。
終わり
180
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
聖女追放された私ですが、追放先で開いたパン屋が大繁盛し、気づけば辺境伯様と宰相様と竜王が常連です
さら
恋愛
聖女として仕えていた少女セラは、陰謀により「力を失った」と断じられ、王都を追放される。行き着いた辺境の小さな村で、彼女は唯一の特技である「パン作り」を生かして小さな店を始める。祈りと癒しの力がわずかに宿ったパンは、人々の疲れを和らげ、心を温める不思議な力を持っていた。
やがて、村を治める厳格な辺境伯が常連となり、兵士たちの士気をも支える存在となる。続いて王都の切れ者宰相が訪れ、理屈を超える癒しの力に驚愕し、政治的な価値すら見出してしまう。そしてついには、黒曜石の鱗を持つ竜王がセラのパンを食べ、その力を認めて庇護を約束する。
追放されたはずの彼女の小さなパン屋は、辺境伯・宰相・竜王が並んで通う奇跡の店へと変わり、村は国中に名を知られるほどに繁栄していく。しかし同時に、王都の教会や貴族たちはその存在を脅威とみなし、刺客を放って村を襲撃する。だが辺境伯の剣と宰相の知略、竜王の咆哮によって、セラと村は守られるのだった。
人と竜を魅了したパン屋の娘――セラは、三人の大国の要人たちに次々と想いを寄せられながらも、ただ一つの答えを胸に抱く。
「私はただ、パンを焼き続けたい」
追放された聖女の新たな人生は、香ばしい香りとともに世界を変えていく。
貧乏人とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の英雄と結婚しました
ゆっこ
恋愛
――あの日、私は確かに笑われた。
「貧乏人とでも結婚すれば? 君にはそれくらいがお似合いだ」
王太子であるエドワード殿下の冷たい言葉が、まるで氷の刃のように胸に突き刺さった。
その場には取り巻きの貴族令嬢たちがいて、皆そろって私を見下ろし、くすくすと笑っていた。
――婚約破棄。
余命僅かな大富豪を看取って、円満に未亡人になるはずでした
ぜんだ 夕里
恋愛
傾きかけた家を救うため、私が結んだのはあまりにも不謹慎な契約――余命いくばくもない大富豪の辺境伯様と結婚し、彼の最期を穏やかに看取ることで莫大な遺産を相続する、というものだった。
しかし、人の死を利用して富を得るなど不正義!
そう考えた私が立てたのは、前代未聞の計画。
「そうだ、遺産が残らないくらい贅沢の限りを尽くしてもらえば、すべて丸く収まるじゃない!」
頭頂部に薔薇の棘が刺さりまして
犬野きらり
恋愛
第二王子のお茶会に参加して、どうにかアピールをしようと、王子の近くの場所を確保しようとして、転倒。
王家の薔薇に突っ込んで転んでしまった。髪の毛に引っ掛かる薔薇の枝に棘。
失態の恥ずかしさと熱と痛みで、私が寝込めば、初めましての小さき者の姿が見えるようになり…
この薔薇を育てた人は!?
婚約破棄された際もらった慰謝料で田舎の土地を買い農家になった元貴族令嬢、野菜を買いにきたベジタリアン第三王子に求婚される
さら
恋愛
婚約破棄された元伯爵令嬢クラリス。
慰謝料代わりに受け取った金で田舎の小さな土地を買い、農業を始めることに。泥にまみれて種を撒き、水をやり、必死に生きる日々。貴族の煌びやかな日々は失ったけれど、土と共に過ごす穏やかな時間が、彼女に新しい幸せをくれる――はずだった。
だがある日、畑に現れたのは野菜好きで有名な第三王子レオニール。
「この野菜は……他とは違う。僕は、あなたが欲しい」
そう言って真剣な瞳で求婚してきて!?
王妃も兄王子たちも立ちはだかる。
「身分違いの恋」なんて笑われても、二人の気持ちは揺るがない。荒れ地を畑に変えるように、愛もまた努力で実を結ぶのか――。
聖女の座を追われた私は田舎で畑を耕すつもりが、辺境伯様に「君は畑担当ね」と強引に任命されました
さら
恋愛
王都で“聖女”として人々を癒やし続けてきたリーネ。だが「加護が弱まった」と政争の口実にされ、無慈悲に追放されてしまう。行き場を失った彼女が選んだのは、幼い頃からの夢――のんびり畑を耕す暮らしだった。
ところが辺境の村にたどり着いた途端、無骨で豪胆な領主・辺境伯に「君は畑担当だ」と強引に任命されてしまう。荒れ果てた土地、困窮する領民たち、そして王都から伸びる陰謀の影。追放されたはずの聖女は、鍬を握り、祈りを土に注ぐことで再び人々に希望を芽吹かせていく。
「畑担当の聖女さま」と呼ばれながら笑顔を取り戻していくリーネ。そして彼女を真っ直ぐに支える辺境伯との距離も、少しずつ近づいて……?
畑から始まるスローライフと、不器用な辺境伯との恋。追放された聖女が見つけた本当の居場所は、王都の玉座ではなく、土と緑と温かな人々に囲まれた辺境の畑だった――。
【完結】婚約破棄されたら、呪いが解けました
あきゅう
恋愛
人質として他国へ送られた王女ルルベルは、その国の人たちに虐げられ、婚約者の王子からも酷い扱いを受けていた。
この物語は、そんな王女が幸せを掴むまでのお話。
破棄ですか?私は構いませんよ?
satomi
恋愛
なんだかよくわからない理由で王太子に婚約破棄をされたミシェル=オーグ公爵令嬢。王太子のヴレイヴ=クロム様はこの婚約破棄を国王・王妃には言ってないらしく、サプライズで敢行するらしい。サプライズ過ぎです。
その後のミシェルは…というかオーグ家は…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる