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第7話 「終わり」の始まり
しおりを挟む「おい柊!ちゃんと聞いてるのか!」
僕はハッとした。
会社の営業会議であるにもかかわらず意識が保てずにいた。
「陽太、大丈夫?なんか今日ボーってしてばっかりよ」
「あぁ……大丈夫。サンキュー、ユーリ」
いかん、ちゃんと仕事は仕事で集中していかないと……
そう自分に言い聞かせても、僕の心はここにあらずの状態だった。
それは、彼女と一緒に焼き鳥屋を後にした夜道でのことだった。
「陽太さん、ほんとに優しいね」
「えっ」
「陽太さんみたいな人が彼氏だったら、すごく落ち着くんだろうなぁ」
「そ、そんな……僕なんてまだ会社員としてもまだまだで失敗もしてばっかりで」
「ふふっ」
彼女はそう言って、僕の手を握る。
そして、その場に立ち止まる。
僕の心臓の鼓動はこれまでの人生にないほど一気にピークを迎えるほど脈打つ。
それと同時に、下半身を巡る血流が欲望とともに熱くなる感覚を覚える。
僕は冷静に努めるのに必死だった。
「夏海さん……」
「陽太さん……」
目の前にいるのは、あまりにも美しすぎる瞼を閉じた夏海。
ぷるんと弾けそうな唇が僕に向けられている。
あれそうな呼吸を必死で抑えながら、僕はそれに自らの唇をゆっくりと近づけ、そして重ねる。
ほんの一瞬の出来事だった。
カラダのおさまらない熱とともに、僕は夜空の星に舞い上がるような高ぶりを覚えずにはいられない。
軽く抱き寄せた彼女の肩はとても華奢で、そして同時に甘く爽やかな香りが僕の嗅覚を癒す。
興奮しているのか癒されているのか
自分でもよく分からない状態だった。
ただわかるのは、僕は今目の前にいる彼女欲しくて欲しくて仕方ないこと言うこと。
「夏海さん……」
「キス、しちゃいましたね」
照れ臭そうに微笑む彼女が、またとても可愛くて仕方がない。
「こんなとき何て言っていいか分からないんだけど……」
「うん」
「僕は、最初に会ったあの時から、あなたのことがずっと気になって仕方なかったんだ」
「うん……」
我ながらなんでまどろっこしい事しか言えないんだろうと思う中でも、彼女は真剣に僕を見ていてくれた。
それだけでも充分だった。
しかし、事はジェットコースターのように急展開を迎える。
「陽太さん」
「はい」
「今から……私の家にきませんか」
僕は自分の心臓にとどめを刺されるような衝撃を受けた。
二つ返事とともに首を縦に振った僕。
その状況で考えられることが僕にとって1つしかなかった。
手を繋いで到着した夏海の自宅は、僕の部屋より家賃が高そうな築浅のこじゃれたオートロックのマンションだった。
ここで僕は命の劣等感を覚えたが、それよりも今夜を彼女と過ごすことができる嬉しさの方が勝っていた。
エレベーターに乗って、彼女の部屋のある8階に着くまででも心臓のドキドキが止まらない。
それよりもスーツのズボンの膨らみが全くおさまってくれない。
そんな中で、僕はどこか不思議な気持ちで彼女の部屋に通された。
アロマの香りが漂う、モダンな雰囲気の一室は意外にもものがなくすっきりしていることが、明かりをつけてわかった。
「い、いい部屋だね」
「そ、そうかな……」
彼女は照れ臭そうに僕を見る。
「座って、陽太さん」
ソファに誘導された僕のとなりに、彼女も至近距離で座る。
微妙に彼女の膝丈のスカートがまくれ、すっきりとしたラインの細い脚が少しだけ露になる。
「夏海さん……」
「少し酔っちゃった……陽太さぁん」
彼女はそう言って僕に抱きついてきた。
理性のトリガーが外れるのももはや時間の問題だった。
胸の奥からほとばしる衝動のままに、僕の両手は勝手に彼女の肩を抱き、そしてそのまま押し倒していた。
これで彼女とひとつになり、そしてこんな1人をずっと僕のものにできる。
そんな煩悩と欲望にまみれていたその時だった。
「だめぇぇ!!」
一瞬、時が止まったようだった。
あまりにも意外な大声が、彼女から出てきたから。
それをさらに気づかせたのは、彼女の怯えきった苦悶の表情で。
きっとこのときの僕は大きく目をおっぴろげていただろう。
「やってしまった」という気持ちとともに。
「な、夏海さん……」
僕はとりあえずのように彼女の名前を呼んだ。
彼女は震えてこそいなかったが、ただ無言で下を向いている。
「夏海さん、ぼく」
「いきなり大声ごめんなさい……びっくりさせてしまって」
「えっ?」
こちらも意外な言葉が返ってきて、少しだけ僕は安心する。
「陽太さん、私ね……」
「うん」
「男性恐怖症なの」
だ、男性恐怖症。
僕は心の中で彼女の言葉をそのままリピートする。
バカの僕でもわかるが、彼女は過剰に男性に対して恐怖心を抱いてしまっているのだ。
一体どうして……彼女のことを知りたいと思う気持ちが、その理由すらも知りたいと思ってしまう。
しかし僕は少し冷静さを取り戻し思い返してみた、彼女と初めて会ったときの出来事を。
ホスト風の暴力的なDV男に追い回されていたのが、よほど怖かったのだろう。
それが深い心の傷になっていたとしたらと思うと、しばし忘れていたあの時の男に対する憎しみが蘇り、同時に理性が戻っていることに気づく。
「夏海さん……あんなこともあって辛いはずなのに……欲に任せてしまってごめんね」
僕は謝った。
すると彼女からは意外なほどの冷静な答えが返ってくる。
「ううん、自宅にまで誘ったのは私のに……私の方こそごめんなさい」
「夏海さんが謝ることじゃ」
「私ね……好きなの、陽太さんのこと」
「えっ」
僕の理性が再び固まる答えが出た。
彼女は続けた。
「好きだから居酒屋さんデートも楽しかったし、さっきのキスも嬉しかった。でも……そこから先のセックスみたいな行為はどうしても怖くなってしまって……」
「うん……」
「頭ではわかってるの。でも、心とカラダがうまくいかなくて……」
「そうか、そうだよね……」
僕は涙する彼女にとにかく同調する相槌を打つ。
「だから……陽太さんを好きなのに、カラダを抱いてもらいたいのに私のせいでできないことが悲しいの……」
泣きじゃくる彼女の言葉に、僕は一生で1番胸が「キュン」と高鳴っていくのを感じた。
高揚とともにある想い。
僕は彼女から全く目が離せなくなっていた。
「だから……セックスするまでには時間を少しだけ欲しいの。そんな私なんかでよければ……」
涙ながらに話す夏海は、ここで呼吸を置いた。
「私を、陽太さんのそばにいさせてください……」
僕は、見上げる感情を必死で抑えながら何も言わず首を縦に振った。
ただ優しく彼女に寄り添う。
軽くキスそて頭を撫でるだけのことに幸せをかみしめながら、僕と夏海の初めての夜は終わった。
それが、「本当の終わり」への始まりとも知らずに。
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