脱走悪役令嬢、猫を飼う。

西藤島 みや

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山猫珈琲店、はじめました。

悪役令嬢は脱走中

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「などと述べるにとどまった…ですって、あなたの事は載ってないわよ?お尋ね者にならずにすんで良かったわね、ルー?」

湖水地方の町のはずれに立つ、小さなパブのカウンターで、わたしは微笑みながら新聞をささっと折り畳んだ。
「いまごろはお兄様、大変でしょうね」
フフフと笑いながら、新聞を売場へ戻す。とは言え、帝都では人気のエステバン紙は、ここではあまり売れない。売れるのは競馬新聞か、夫人向けの流行が載せられた型紙だけかな。そもそも識字率もさほど高くないし。

「エリン。兄君がご心配であればお戻りになりますか」
心にもなさそうな言い方で、給仕服を粋に着こなしたルーが、テーブルを拭いている手を休めもせずに尋ねた。
「まさか!せっかくここまで駆け落ちしてきたのに。まさかルーは帝都が恋しいの?」
まるで恋人にするように肩に手をかけると、ルーは肩を竦める仕草で簡単にそれをふり払う。
「駆け落ちなどと。畏れ多いことです」
わたしは笑ってカウンターの中へ戻った。畏れ多いだなんてよく言うわね、小馬鹿にしたような表情のほうがよほど正直だわ。

「ルーが恋しいのは帝都ではなくてアルテア様よね、しってたわ」
楽しげに歌うように言って、浅葱色のエプロンをつけながら奥のパントリーへとむかう。
ルーを見ると、まるで仇敵にでもするような冷ややかな視線を一瞬投げ掛け、またテーブルを拭いていた。

「いやね、そんなに睨まないでよ。アルテア様がお兄様と結婚したのは、私のせいじゃないわ」
パントリーからパンと食材を取り出してきたわたしは、手際よく薄くスライスしてゆく。我ながらとても二週間前まで貴族令嬢として大勢に傅かれていたとは思えない素晴らしい手さばきだ。ま、実際誰にも傅かれてなんか無かったし、お腹すきすぎて勝手に台所で料理してきた賜物なんだけど。

ルーがあんまりこっちを見ているから、くるりとナイフをまわして見せた。
「上手いもんでしょう、昨日来たお客様に、実家は肉屋だろうっていわれたのよ?」
ルーはそれを見て一度睨み、
「聞いていましたよ、あの方はお舘様を無礼にも機関士かなにかと勘違いしたままでしょう」
わたしはその言い方につい吹き出してしまい、そうかもね、と肩を竦めた。

昨晩この店をたずねてきた旅行客のひとりが、私のハムを切る見事な手さばきに
「おかみさんは肉屋の娘かい?」
と尋ねた。わたしはできる限りきれいにハムを巻いたポテトを手早く焼きながら、
「いいえ?両親は小さいときに亡くなってしまって、兄が鉄道で働きながら育ててくれたの。その兄が結婚したんで、私はルーと家を出てこの店を開いたってわけ」
これはもう、この町に来てから五十回は繰り返した説明だ。嘘はついていないし、皆さんそれで納得してくれて、なかには涙ながらに一番高いお酒や料理をお客様全員に振る舞ってくださる方もいる。
「詐欺の手口ですね、あざやかなものです」
ルーはサッと布巾を畳んで表へ出て行く。このあたりはまだ水道が普及しておらず、井戸を使うのだ。

ルーが開けた扉から、灰色の毛足の長いネコが一匹入ってきた。
「あらエドアルド殿下。2日もおいでにならなかったから、もう見限られたかと思いましたわよ?どちらの綺麗なかたのところへ浮気なさっていらしたの?わたくし、ずぅっと待っていましたのよ?」
ネコに話しかけながら、今朝届いたミルクの缶から、クリームをひとすくい、お皿へ移してやった。

「本物にもそれくらい媚びて見せれば良かったのでは?」
呆れたと言う風にルーは扉を閉めて出て行き、やあね、とわたしはネコの頭を撫でる。





実際、一度やってみたからこそ私は逃亡しなきゃならなくなったのだ。

そもそも、わたしが物心ついたときには、既に私は子爵邸に転がっているゴミクズと同様の扱いをうけていた。親代わりとはいっても兄は仕事で忙しく、さらにはまだ若かったために子供の相手などさらさらする気がなかった。

そのため、よく吟味もせず見た目が美しい者や、経歴が華々しいものを私のメイドや家庭教師につぎつぎ雇いいれたのは兄だった。彼らは私利私欲のために私に殴る蹴るの乱暴をはたらき、兄には愛想よく耳障りのいいことばかりを報告した。

とくに酷かったのは、礼儀作法の女教師だ。兄の恋人も兼ねていたその女は、平民の出で高級娼婦だった経歴をもっていた。
気に入らぬことがあれば鞭で私を打ち、兄がいるときには授業そっちのけで兄と部屋に籠ることも多かった。

彼女の教育に問題があると私が思い知ったのは、婚約者であるエドアルド皇太子に、はじめて目通り叶った時だった。エドアルド皇太子は14歳だったけれど、すでに想う方がいて、私に会うこと自体意に染まぬことだったから、彼はとても機嫌が悪かった。

なんとしてでも気に入っていただけるようにと、兄にきつく言われていた私は、皇太子の側へぴったりと座り、教えられたとおりにお茶をついだり、皇太子の手や膝に触ったりした。

皇太子は辟易した様子で
「君は後宮にいる身分の賤しい愛妾のようだね」
と吐き捨てた。いま思えばあのとき泣くなり怒るなり、少しでも動揺を見せていたなら、今のこのような事態は避けられたのかもしれないけれど。

しかし、なまじ皇太子が王侯貴族特有の愛想笑いなど貼り付けていたものだから、わたしはそれに全く気づかず、
「まあ、その方と殿下は仲がよろしいの?お話しの仕方を覚えてしまうほどかしら?」
と教えられた作法どおりにしなだれかかってしまった。それを聞いた皇太子は、真っ青になって席を立ち、私を睨み付けて
「口の聞き方に気をつけろ」
と睨んでから、王宮に帰っていった。今でこそ私が知らず知らずに無礼をはたらいたのだとわかっているが、なにせ作法の先生に習った通りにしてこれだったから、面食らった。

屋敷にもどり、兄に涙ながらに事の顛末を話して聞かせると、兄は激怒した。私が皇太子の前で売女の真似をしたと腹をたて、わたしの持っていたドレスや宝飾品をハサミで切り刻んで暖炉へほうりこみ、作法の女教師をクビにした。それからわたしに、今日から半地下にある調理場の石の床で寝泊まりして、キッチンメイドの下働きとして働けと命令をしたのだった。

つまり、私の料理の腕は帝都貴族の屋敷の、調理場仕込みの本格派ということになる。兄が調理場へ叩き込んだ妹がいることを思い出したのは、まる一年ちかくたったころだったから、まあまあ修行する時間もあったのだ。
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