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紫のドレスと緋色の口紅
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「ロクサーヌ・テレーズ・アリアス伯爵令嬢!貴方は私の妻にふさわしくない!今夜限り、婚約を破棄する!」
輝くシャンデリアのもと、僕は男らしく堂々と、宣言した。鳴り止まぬ拍手喝采のなかを縫うようにして、美しいアリスが飛び出してくる。
転ばぬよう、しっかりと抱き締めた。
「殿下!」
「アリス、待たせてしまってごめん、両親に了解をもらったよ、結婚しよう」
愛しいアリスの頬へ口づけしようと、抱き締める腕に力をいれた…
ばしっ、と音が聞こえて、脳髄を揺さぶるようなあまりの痛みに目をさました。
「おはようございますフレドリク様」
目の前に座る、どうやら私の頬を目一杯の力でひっぱたいたらしい妻は、今日も朝から身支度もばっちりだ。紫の豪華なドレスに、真っ赤な口紅は人でも喰ったかとおもうほど毒々しい。
「やあ、おはようロクサーヌ。僕は何かしたかな?頬を張られるほどの…」
「いいえ、ただ、夢見が悪そうだったので起こして差し上げただけよ」
赤い赤い唇をひきあげて、にっこり笑って、ベッドから立ち上がった。
「ああ……ありがとう」
そう、婚約破棄なんて夢のまた夢、学園を卒業した翌年、僕は王宮を出て伯爵令嬢であるロクサーヌと結婚し、アリアス侯爵と名乗ることになった。
第三王子としての地位を奪われ、愛しいアリスとも引き裂かれたのだ。
それもこれも、ロクサーヌの策略に違いなかった。
ロクサーヌ・テレーズ・アリアス侯爵夫人。いかついのは名前だけではない。
172センチという長身に、華美なまでの長くまばゆい金の髪。深海を思わせる黒っぽい紫の瞳。きつい印象ばかりの派手な美貌に、真っ赤な口紅。学生時代は学生会の副会長、会長、相談役を歴任し、学業成績で一番は当たり前。
乗馬、テニス、ダンスでも、どころか他校相手の戦略対抗戦でもいくつものトロフィーを手にしていた。
かわいげなんてもの、ロクサーヌはひとかけらも持ち合わせていない。ひたすらに完璧な女だ。
僕はベッドに腰掛け、ため息をついた。
「ロクサーヌ、僕は今日から公務で少し帰りが遅いから」
部屋を出ていこうとしていたロクサーヌが、天蓋の向こうで振り向く気配がした。
「そうですの?わたくし、領地の山岳地帯へ視察に参りますの…3日ほど家をあけますわ」
どうぞ羽をのばしていてね、と笑いながら部屋からでて行った。
侯爵領としてわたしが父から拝領したのは、王都に程近い王国の南西部だった。
近いといっても、端まで行くには馬車道を1日かけてゆかないとならず、私はそこまでいったことはない。拝領当時にいちど、マナーハウスのある田舎町まで行ったきりだ。
ロクサーヌは頻回に視察だの監査だの行っているし、山岳地帯へも足をはこんでいる。山岳地帯は南端を隣国との国境、西の稜線をロクサーヌの実家のあるアリアス伯爵領と接している。
「どうせなら山賊にでも襲われてしまえばいいのに」
呟いて、頭をかかえた。襲われても逆に取っ捕まえて、しばりあげて引き摺って、王都で磔にでもしそうだ。
「なにかおっしゃったかしら?」
二人だけで座るには大きすぎるテーブルの端と端で、それぞれ食事をする。
「いいや?ただ、きみはきれいだね、と言ったんだ」
私が作り笑いをすると、そうですかと冷たい言い方で遮られた。
「いつも君は山岳地帯へ出かけて行くね?なにがあるのかな?」
山賊討伐、とかだったらどうしよう?
「侯爵領の山岳地には、我が国でも珍しい植生があるのです。そう多くはありませんが、なかには貴重な薬品として精製できるものも…」
なんだ、ただの花畑観賞か。旦那が仕事しているというのに優雅なもんだな。
「そう。なら僕もいつか一緒にいこうかな?」
とりあえず持ち上げておこう。今晩からはアリスと食事したり、観劇にもいけるかもしれない。
これもその、花畑のおかげだしね。
急に静かになったな、と思っていると、またカチャカチャとロクサーナが食事をはじめた。珍しく、食器の音をたてている。
「まあ、そのうち。いらしてくださいな」
ロクサーナはちいさくつぶやいて、それからグラスの水をすべて飲み干した。体調でも悪いのだろうか?
とにかくロクサーナは出かけてゆき、私は王城へと出勤していった。
出勤と言っても、私の仕事は侯爵として兄の皇太子や父上の補佐をすることだから、普段はほとんど仕事がない。
今日のように、議会が召集されれば行くが、それも父上や兄上、宰相であるアリアス伯爵がきめたことにハイハイと頷く簡単かつ単純な仕事だ。
これがおわったらアリスと約束している。もしかしたらもう僕の執務室についているかもしれないな。
お茶を出すよう言っておいたが、なにか甘いものを用意するよう連絡しておくべきだろうか?そういえば、この間アリスが市街で人気だといっていたあの…
「聞いているのか?アリアス侯爵」
はじめは宰相が呼ばれているのかと思った。
「ええ、え、え?」
何の話かな、と見回すと、兄上たちが資料を掲げて目配せし、宰相が困ったように
「現在海洋地区で流行の兆しのある、疫病についての報告と、その対策です。報告書の48枚目」
と教えてくれた。48、48ね。はいはい。
「ああー、まあ、兄上に賛同いたします」
私が言うと、父上は肩を落として
「おまえに兄は二人いるだろう?そんなこともわからなくなったのか?」
「構いません父上。フレドリク、私たちに賛同してくれて嬉しいよ」
第二王子のラシード兄上が微笑み、皇太子であるリヒトも
「ああ、フレドリクはそれでいいよ。他に気になることがあるのだよな?また教えてくれ」
と頷く。有能かつ心優しい兄二人に、本当に感謝している。
「すまない、宰相。このとおり、王妃と歳の離れた兄に甘やかされ、非常に、なんというか、ロクサーナに申し訳ない」
父上はなにを言ってるんだろう?と兄を見ると、
「フレドリクは母親に先立たれ、不幸にも我々のような後楯もなく、とても気の毒な幼少を過ごしたのですよ!でも心根の優しい、とても賢い子です!母上が、やればできる子だし、大器晩成型だと」
リヒト兄の言葉に首をふり、もうよい、と父上は資料をめくった。
「次は山岳地帯の地殻変動についての地理院からの報告書です」
宰相はほんとにうるさいな。それくらい見たらわかるんだけれど。
輝くシャンデリアのもと、僕は男らしく堂々と、宣言した。鳴り止まぬ拍手喝采のなかを縫うようにして、美しいアリスが飛び出してくる。
転ばぬよう、しっかりと抱き締めた。
「殿下!」
「アリス、待たせてしまってごめん、両親に了解をもらったよ、結婚しよう」
愛しいアリスの頬へ口づけしようと、抱き締める腕に力をいれた…
ばしっ、と音が聞こえて、脳髄を揺さぶるようなあまりの痛みに目をさました。
「おはようございますフレドリク様」
目の前に座る、どうやら私の頬を目一杯の力でひっぱたいたらしい妻は、今日も朝から身支度もばっちりだ。紫の豪華なドレスに、真っ赤な口紅は人でも喰ったかとおもうほど毒々しい。
「やあ、おはようロクサーヌ。僕は何かしたかな?頬を張られるほどの…」
「いいえ、ただ、夢見が悪そうだったので起こして差し上げただけよ」
赤い赤い唇をひきあげて、にっこり笑って、ベッドから立ち上がった。
「ああ……ありがとう」
そう、婚約破棄なんて夢のまた夢、学園を卒業した翌年、僕は王宮を出て伯爵令嬢であるロクサーヌと結婚し、アリアス侯爵と名乗ることになった。
第三王子としての地位を奪われ、愛しいアリスとも引き裂かれたのだ。
それもこれも、ロクサーヌの策略に違いなかった。
ロクサーヌ・テレーズ・アリアス侯爵夫人。いかついのは名前だけではない。
172センチという長身に、華美なまでの長くまばゆい金の髪。深海を思わせる黒っぽい紫の瞳。きつい印象ばかりの派手な美貌に、真っ赤な口紅。学生時代は学生会の副会長、会長、相談役を歴任し、学業成績で一番は当たり前。
乗馬、テニス、ダンスでも、どころか他校相手の戦略対抗戦でもいくつものトロフィーを手にしていた。
かわいげなんてもの、ロクサーヌはひとかけらも持ち合わせていない。ひたすらに完璧な女だ。
僕はベッドに腰掛け、ため息をついた。
「ロクサーヌ、僕は今日から公務で少し帰りが遅いから」
部屋を出ていこうとしていたロクサーヌが、天蓋の向こうで振り向く気配がした。
「そうですの?わたくし、領地の山岳地帯へ視察に参りますの…3日ほど家をあけますわ」
どうぞ羽をのばしていてね、と笑いながら部屋からでて行った。
侯爵領としてわたしが父から拝領したのは、王都に程近い王国の南西部だった。
近いといっても、端まで行くには馬車道を1日かけてゆかないとならず、私はそこまでいったことはない。拝領当時にいちど、マナーハウスのある田舎町まで行ったきりだ。
ロクサーヌは頻回に視察だの監査だの行っているし、山岳地帯へも足をはこんでいる。山岳地帯は南端を隣国との国境、西の稜線をロクサーヌの実家のあるアリアス伯爵領と接している。
「どうせなら山賊にでも襲われてしまえばいいのに」
呟いて、頭をかかえた。襲われても逆に取っ捕まえて、しばりあげて引き摺って、王都で磔にでもしそうだ。
「なにかおっしゃったかしら?」
二人だけで座るには大きすぎるテーブルの端と端で、それぞれ食事をする。
「いいや?ただ、きみはきれいだね、と言ったんだ」
私が作り笑いをすると、そうですかと冷たい言い方で遮られた。
「いつも君は山岳地帯へ出かけて行くね?なにがあるのかな?」
山賊討伐、とかだったらどうしよう?
「侯爵領の山岳地には、我が国でも珍しい植生があるのです。そう多くはありませんが、なかには貴重な薬品として精製できるものも…」
なんだ、ただの花畑観賞か。旦那が仕事しているというのに優雅なもんだな。
「そう。なら僕もいつか一緒にいこうかな?」
とりあえず持ち上げておこう。今晩からはアリスと食事したり、観劇にもいけるかもしれない。
これもその、花畑のおかげだしね。
急に静かになったな、と思っていると、またカチャカチャとロクサーナが食事をはじめた。珍しく、食器の音をたてている。
「まあ、そのうち。いらしてくださいな」
ロクサーナはちいさくつぶやいて、それからグラスの水をすべて飲み干した。体調でも悪いのだろうか?
とにかくロクサーナは出かけてゆき、私は王城へと出勤していった。
出勤と言っても、私の仕事は侯爵として兄の皇太子や父上の補佐をすることだから、普段はほとんど仕事がない。
今日のように、議会が召集されれば行くが、それも父上や兄上、宰相であるアリアス伯爵がきめたことにハイハイと頷く簡単かつ単純な仕事だ。
これがおわったらアリスと約束している。もしかしたらもう僕の執務室についているかもしれないな。
お茶を出すよう言っておいたが、なにか甘いものを用意するよう連絡しておくべきだろうか?そういえば、この間アリスが市街で人気だといっていたあの…
「聞いているのか?アリアス侯爵」
はじめは宰相が呼ばれているのかと思った。
「ええ、え、え?」
何の話かな、と見回すと、兄上たちが資料を掲げて目配せし、宰相が困ったように
「現在海洋地区で流行の兆しのある、疫病についての報告と、その対策です。報告書の48枚目」
と教えてくれた。48、48ね。はいはい。
「ああー、まあ、兄上に賛同いたします」
私が言うと、父上は肩を落として
「おまえに兄は二人いるだろう?そんなこともわからなくなったのか?」
「構いません父上。フレドリク、私たちに賛同してくれて嬉しいよ」
第二王子のラシード兄上が微笑み、皇太子であるリヒトも
「ああ、フレドリクはそれでいいよ。他に気になることがあるのだよな?また教えてくれ」
と頷く。有能かつ心優しい兄二人に、本当に感謝している。
「すまない、宰相。このとおり、王妃と歳の離れた兄に甘やかされ、非常に、なんというか、ロクサーナに申し訳ない」
父上はなにを言ってるんだろう?と兄を見ると、
「フレドリクは母親に先立たれ、不幸にも我々のような後楯もなく、とても気の毒な幼少を過ごしたのですよ!でも心根の優しい、とても賢い子です!母上が、やればできる子だし、大器晩成型だと」
リヒト兄の言葉に首をふり、もうよい、と父上は資料をめくった。
「次は山岳地帯の地殻変動についての地理院からの報告書です」
宰相はほんとにうるさいな。それくらい見たらわかるんだけれど。
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