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終活

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朝、俺は川口青年の部屋から聞こえる物音で目を覚ました。
枕元のスマホを見ると、まだ朝の7時だった。
この日、俺は仕事が休みだったのでもう少し寝ていたかったのだが、また寝ることもできそうにないので、ベッドから抜け出して川口青年の部屋のドアをノックしてみた。
「何してるの?」
俺が彼の部屋を覗くと、いくつものゴミ袋と段ボールが置かれていた。
「あっ、すいません、起こしちゃいました?静かにやってるつもりだったんですけど」
「それはいいんだけど、どうしたの?これ?」
「これは、最近断捨離をさぼっていたから、今朝は久しぶりに調子もいいし、終活の一環です」
「終活?」
俺は川口青年の口から出た、終活という言葉に鼓動が早まった。目の前の彼は元気そうで、とても終活などとは縁遠く見えたのだから。
「こうしてまだ使えるものは箱詰めしてネットオークションに出品して、いらなさそうな物はゴミ袋に詰めて。ただでさえ甘えさせてもらってるのに、迷惑かけられませんから」
俺は、それ以上かける言葉が見つからなかった。俺にもっと言語能力があったなら、こんな時、もっと気の利いた言葉をかけられるのに。
「それも大事かもしれないけど、もっと他に有意義な過ごし方があるんじゃないか?」
「例えば?」
例えば?と、聞かれてもなかなかパッとは思い浮かばない。なんせ、俺はまだ死などというものとは縁遠いから。
「そうだな・・・例えば、残された時間でやり残したことをやるとか」
思わず口に出してから後悔したが、これではますます彼に死を意識させてしまうではないか!
「あっ、それいいですね!」
しかし、川口青年の反応は俺の想像とは真逆の反応だった。俺は、取り越し苦労だったかと、思わず溜飲を飲んだ。
「でも、何をしたらいいと思います?」
「そりゃあ、旅行とか友だちと遊ぶとか、かな」
「ありきたりですね」
「うるさいなぁ」
俺たちは互いの発想の貧しさを笑い合った。
「旅行は行ったし、友だちは福山さんくらいだし」
そうか、俺は彼の中では友だちに降格していたのか。いや、わかってはいたのだが、やはり直接聞くのは痛いな。
「あぁ、そうだ。母さんに会っておきたいな」
「そうか、子供の頃に離婚したんだったな。それから会ってないのか?」
「はい、それきりです」
「よし、それじゃあ会いに行くか。どこにいるのかは知ってるのか?」
「横浜にいると聞きました。たしか年賀状があったはず」
川口青年は、机の引き出しを開けて、その奥から茶ばんだ年賀状を取り出して見せてくれた。
「随分と古い年賀状だな」
「それ、中学に上がる前に届いた、最後の年賀状なんです」
なるほど、それ以降は音信不通ということなのか。果たして、今もこの住所にいるのだろうか?
「会ってくれますかね?」
「会ってくれるだろ!当たり前だ」
こうして、俺たちは横浜まで年賀状の住所を頼りに、川口青年の母親を訪ねに行くこととなった。
「中学に上がる前ってことは、もう14、5年会ってないっことか?」
「そうですね、もうそんなになるんですね」
せっかく会いに行くというのに、彼の表情は陰鬱そのものだった。その顔を見ていると、彼を焚き付けた俺も次第に不安になってくる。
ほとんど会話も無いまま、俺たちを乗せた車は東京を通過して横浜へと進んで行く。
「たしかこの辺なんだけどな」
辺りは真新しい家が立ち並んでいて、おそらく14、5年前とは様変わりしているのだろうな。
俺たちは、昔からありそうな古い家を訪ねては、彼の母親の行方を訪ねて回ることにした。
しかし、なかなか彼の母親の行方を掴むことはできず、俺たちは途方に暮れた。無駄足だったのだろうか?
「やっぱりもう、この近くにはいないのかもしれませんね」
川口青年も俺も諦めかけた時、行手にいかにも古くから営業しているクリーニング店が現れた。そうだ、もしかしたらこの店に通っていたかもしれない。
一縷の望みにかけて、俺たちは店の中に入ってみた。俺たちが店に入ると、奥からお婆さんが出て来た。
「いらっしゃいませ」
「あの、すいません。客じゃないんです。人を探してるんです」
「はぁ、そうなんですか」
「宮島佳苗という人なんですけど、ご存知ありませんか?」
川口青年は、古ぼけた年賀状を店番のお婆さんに差し出した。
「宮島宮島・・・あぁ、あー、佳苗ちゃんならもうすぐ来るよ」
えっ!?なんて巡り合わせなんだ!
「本当ですか!?」
「苗字変わってたから気づかなかったけど、佳苗ちゃんならここでパートで働いてるよ。3時に出勤するから、もう少し待ってなさい」
俺たちはしばらく車の中で待つことにした。
「苗字が変わってるってことは、再婚してたんですね」
そう呟いた川口青年の表情は、不安の色が濃くなっていた。果たして会ってくれるのか、歓迎してくれるのか、それは俺にも予想できないことだった。
そこへ、初老の女性がこちらに向かって歩いて来た。
「母さんです!」
女性の姿を見て川口青年は車から飛び出して行った。
「久しぶり!」
川口青年が女性に声をかける。
「どなたですか?」
女性の一言に、川口青年の顔から明るさが消える。
「母さん、僕を忘れたの?」
今度は川口青年の一言に、女性の顔に緊張が走る。
「お母さん!」
その時、俺たちの背後から若い男の子の声が聞こえた。俺たちが背後を振り返ると、そこには高校生と思われる制服を着た男の子が立っていた。
その男の子は、どことなく川口青年の面影を宿していた。
「さっさと帰りなさい」
それだけ言って、女性は川口青年に視線を送ることもなく、立ち尽くす彼を置いて立ち去った。
そして、川口青年も女性を目で追うこともなかった。
「帰るか」
帰りの車中、2人の間に言葉は全く無かった。
俺がくだらない提案をしたせいで、彼を傷つける結果になってしまったことが、心から申し訳なかった。
その日、川口青年は部屋から出てくることは無かった。
部屋からは物音一つせず、沈黙が彼の心情を物語っているようだった。
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